8. 最初の奪還

ダイアナは最初のターゲットをハワード男爵に定めた。コナーが探し出した目録によれば、男爵が隠し持っているシェフィールド家の遺産は、月長石(ムーンストーン)がはめられたブレスレットだという。

幸運なことにダイアナが保有している会社にはセキュリティを専門とする部署が存在する。そこからハワード家のセキュリティネットに侵入したコナーは、ブレスレットの保管場所と金庫の暗証番号をすぐに探し当てた。ブレスレットは男爵の愛人が住む王都の屋敷の地下にある金庫に保管されているという。屋敷には監視カメラもセキュリティシステムも設置されていない。調査結果を手にダイアナは何度か下見を重ねたあと、奪還を決行した。

その夜、屋敷では男性たちを招いたパーティが開かれていた。

パーティのために雇われたケータリング業者にまじってダイアナは屋敷に潜入する。潜入しやすいようにあらかじめ業者には手の者を潜ませてある。一通り配膳が終わった頃を見計らい、ダイアナはするりと化粧室に飛び込んだ。エプロンからドレスに着替えて招待客に変装し、手近な部屋に入る。

ダイアナは咄嗟(とっさ)に身を潜めた。

部屋の奥から濃密な性の気配がしている。かすかな喘ぎ声と、身体がぶつかり合う音に、ダイアナは物陰で顔を赤くする。

ダイアナは学生時代、わき目も振らずに学問に打ち込んでいたため、付き合った男性もなく恋愛経験がない。そんな彼女の目の前に突きつけられた男女の交わりは、いささかハードルが高かった。

忍び込んだ緊張と、とんでもない場面に出くわした驚きにどきどきしながら、ダイアナは部屋を立ち去った。ちらりと見えた男性の姿は、写真で目にした男爵とは明らかに異なる。

どうやら愛人は、男爵以外にも男性と付き合っているらしい。

(お盛んだこと……)

ダイアナはあきれつつ、地下へと続く階段を探す。幸いにも優秀なコナーが作成した見取り図をあらかじめ頭に叩き込んでいたので、迷うことはなかった。

金庫がある地下室へはこの道を行くしかない。このタイミングで誰かに見つかれば、逃げ場はない。

ダイアナは慎重に足を進めた。

豹(ひょう)の血を引くダイアナは暗闇に視界がさえぎられることはない。真っ暗な廊下を迷いのない足取りで進み、薄い手袋をはめた手で地下室の扉を開ける。部屋の奥に設置された金庫の前に立って、すばやく暗証番号を入力し、ダイヤルを回す。

あっけないほどあっさりと金庫は開かれた。いくつかの宝飾品と共に、柔らかな布に包まれたブレスレットがある。ダイアナはそのブレスレットを手にした瞬間、これが目標だと確信する。やわらかな光を放つ乳白色の意思がはめられた台座をひっくり返し、ポケットライトを取り出すと、ブレスレットに刻まれた証拠を探した。

(これ!)

小さく刻まれたシェフィールド家の百合の紋章を見つけたダイアナは歓喜(かんき)した。ブレスレットを服の下に隠し、ダイアナは金庫を何事もなかったかのように閉めて、地下室を脱出した。

再び化粧室に消えたダイアナは、個室の中で大きく息を吐いた。

(やった! 取り戻したんだ)

喜びのあまり笑い出しそうになる自分を抑え、エプロンを身につけてケータリング業者に扮(ふん)する。キッチンでは仕事を終えた業者が撤収準備にかかっていた。荷物を運び出す人にまぎれてダイアナは裏口から屋敷を抜け出す。

(もうすこし)

荷物を持って道路に向かったダイアナの前に、車が止まった。ケータリング業者のステッカーが貼られた車の後部ドアを開けて荷物を運び込み、そのままダイアナは車に乗り込む。運転手はもちろんコンラッドだ。

ダイアナは無事ブレスレットを取り戻した。

ダイアナはその後も順調に遺産を取り戻すことに成功する。それらの品々には月の女神が関わっているという噂が、いつしか地下市場に流れ始め、それらを盗み出すダイアナたちはいつしか怪盗|月の女神《アルテミス》と呼ばれ始めた。

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