王都にあるノーフォーク公の屋敷で、手痛い失敗を喫(きっ)してしまったダイアナは焦っていた。
(どうして……?)
注意を払って潜入したはずの場所であっさりと捕らえられたばかりか、唇を許し、愛撫(あいぶ)まで受けてしまった。ひとりの男に触れられただけなのに、全身から力が抜けた。あの日以来、ダイアナの身体は熱くほてり、異性をひきつける匂いを発し続けている。ダイアナは完全に発情期を迎えていた。
あの日、ダイアナを迎えに来たコンラッドは鼻をうごめかせていた。わずかだが狼の血を引くコンラッドにまで影響を及ぼす匂いに、ダイアナは仕方なく街屋敷(タウンハウス)に閉じこもって、発情期が過ぎるまでの三週間ほどをひとりで過ごすことにする。家にいてもPCがあれば仕事はできる。異性であるコナーとコンラッドには休暇を与え、家政婦(ハウス・キーパー)のミセス・ギルモアにすべてを任せて彼女は家に引きこもった。元来、活動的なダイアナが、家に閉じこもって過ごすことに嫌気がさすのはすぐだった。
「ああっ、もう! イライラする」
「まあまあ、もう少しの辛抱(しんぼう)ですよ」
同じネコ科の血を引くミセス・ギルモアは、リビングのソファでふてくされているダイアナをなだめた。
「私も祖母から聞いた話でしか知りませんが、たいへん苦労したようですよ」
「どうしようもないってことね……」
嘆くダイアナに、ミセス・ギルモアは特製のパイを差し出した。
「落ち込んだときは、甘いものをどうぞ。気分転換になりますよ」
「ありがとう」
しぶしぶながらもパイを口にするダイアナに微笑んで、ミセス・ギルモアは食事の準備に取り掛かった。うしろ姿を見送ったダイアナは、気分転換に散歩をすることを思いつく。
(もう、やだ!)
気がつけばノーフォーク公の屋敷で起こった出来事を思い出してしまう自分に嫌気がさし、ダイアナは衝動的に家を抜け出した。
(まったく、なんて厄介なの。自由に出歩くこともできないし、身体はだるいし、まともに考えることもできやしない……)
心の中で悪態をつきながら足が赴くままに歩き続ける。
調査に失敗したあの日、ダイアナは帰宅するとすぐに男の正体を調べ始めた。特徴的なすみれ色の瞳に身元がわかったのはすぐだ。
ノーフォーク公爵の長男にしてクラン子爵であるラファエル・ダルトンは、いずれはノーフォーク公の跡を継ぐと目(もく)されている。年齢は三十一歳で、貴族の子弟らしく多くの夜会や晩さん会に参加しているが、そのたびに異なるパートナーを連れている。未婚で、適齢期の女性たちからは結婚したい男として名を上げられることが多い。
ノーフォーク公の家族構成までは事前に調査しておらず、後手に回ってしまったことをダイアナは悔いていた。
(今度からはもっと詳しく調べなきゃ)
加えて腹が立つのは、ラファエルに身体をいいように触れさせてしまったことだ。これまで感じたことのない熱に翻弄(ほんろう)され、簡単に口づけを受け入れてしまった自分が厭(いと)わしい。
彼とのキスを思い出して、ダイアナは顔を赤らめた。
(ああ、もうっ。やめやめ!)
またラファエルのことを考えてしまい、ダイアナは彼の面影を振り払うように首を振る。
(あれ?)
「うわ……」
気がついたときには見知らぬ通りを歩いていた。
(ここ……どこ?)
道に迷ったことがないダイアナは、本格的な自分の不調に頭を抱えたくなる。
近くには通りの名前を示す標識もなく、大きな屋敷の建物ぐらいしか目に付くものがない。GPSで現在位置を確認することを思いついたが、ポケットにあるはずの携帯電話が見つからない。
(そういえば、リビングに放り出したままだった……)
仕方なく標識を探してダイアナは歩き始めた。
ふと誰かに呼ばれたような気がして振り向く。
そこにはノーフォーク公の屋敷で出会ったすみれ色の瞳の男が、信じられないという表情で立ち尽くしていた。
(げっ!)
ダイアナは咄嗟(とっさ)に駆けだした。けれど数歩も進まないうちに腕を掴まれる。
「……っや!」
振り払おうともがくが、強く掴まれた腕はびくともしない。
「見つけた……」
見上げた男の目には歓喜(かんき)が宿っていた。