栞は黙々と考えながら街道を歩いていた。
魔物とはどうやって生まれるのか?
栞の頭の中はそのことで一杯になっていた。元々はただの獣が、あの変なプログラムの所為で魔物化しているのだとしたら、栞はそれを消し去ることができる。あのプログラムはほとんど意味のないコンピュータウィルスのようなものだ。どうしてそんなものが生まれてしまったのか。
果たしてあのプログラムを消し去ってしまうことが正しい対処方法なのか、栞にはいまいち自信が持てないのだ。
難しい顔つきで黙り込んでしまった栞を、心配そうに見守っていたエドワードが声をかけた。
「シオリさん、そろそろ休憩にしませんか?」
空を見上げれば、太陽は正中に差し掛かっている。慣れない道を歩き続けた栞の足は疲労を強く訴えていた。
「はい」
栞はありがたくエドワードの言葉に甘えることにした。
「リアム、お願いします」
「わかった」
ふたりの間ではそれだけで話が通じたらしく、見晴らしのいい丘の上で先を行くリアムとディアンが立ち止った。栞が柔らかそうな草の上に腰を下ろすと、リアムが荷物から食料や飲み物の入った水筒を手渡してくれる。
「ありがとう」
水筒で喉を潤した栞は甘酸っぱいジュースが疲れた身体に浸みわたるのを感じた。
「ふうー。疲れたー」
「シオリ、もう疲れたのか?」
リアムは信じられないとでも言いたげな顔をしている。
「すみませんね。普段はずっと座り仕事なもので、身体を動かすのは慣れてないんです」
つい、子供じみた言い訳をしてしまい、栞はばつが悪くなってリアムから視線を逸らした。
「異世界とこちらでは常識も違うでしょう」
とっさにエドワードが気まずくなりかけた雰囲気を解消してくれる。
「そうなんですよ、エドワードさん! どうしてこちらでは乗り物が発達してないんでしょう? 車とか電車とか、飛行機とか……」
「商人が商品を運ぶために荷馬車などを使うことはありますが、普通の旅人は歩いて旅をするのが一般的ですねぇ。身体が頑丈な人が多い所為でしょうか、あまり乗り物に乗ろうという発想がないですね。シオリさんのいう、クルマ、デンシャはわかりませんが、飛行船ならばこちらにもありますよ?」
「え、そうなの?」
リアムからサンドウィッチのようなパンの包みを受け取って、栞は運動で空いたお腹を満たし始めた。
「飛行船は、国と国の間を結ぶものだ。魔石で動く魔法機関で空を飛ぶ。あんなものに乗るのは王族くらいだ」
リアムも同様にパンにかぶりついている。
「じゃあ、一般人の私たちは地道に歩くしかないのね……」
「そうだ。まあ、お金があれば騎獣を借りるのが早いのだろうが、どのみち訓練が必要になるし、歩いたほうが早い」
リアムの冷酷な宣言に、栞はがっくりと項垂れた。
「この調子だと、カレンに着くまで二日はかかりそうだな」
「そうですね」
「二日も歩くの!?」
リアムは荷物から取り出した肉の塊をディアンに与えつつ頷いた。
「宿屋に泊りたいから、午後からはもう少しペースを上げるぞ」
「ええー」
「野宿になってもいいのなら、俺はかまわないが?」
「野宿はちょっと……」
インドア派の栞としては、魔物がうろつく外で野宿するなど考えられない。できることならきちんとしたベッドで眠りたい。
「なら、頑張れ」
「ふぁい」
栞は力なく返事をすると、食事に集中し始めた。リアムもエドワードもとっくに食事を終えている。栞は慌ててパンを口に詰め込んだ。
休憩を終えた一行は、再び歩き始める。途中で、何匹かの魔物と遭遇する。一匹だけであれば栞は練習を兼ねて、バグ退治にいそしんだ。それほど近寄らなくても魔物に取りついたプログラムが展開されることがわかったので、エドワードの助けを借りずにプログラムを消去することができた。ふたりが栞を見守ってくれているという安心感もあり、順調にバグ退治をしながらも足を進めることができていた。
けれど、数匹の魔物の群れに遭遇したとき、同時にプログラムを消去することができずに、栞は恐怖に立ちすくんだ。
栞の様子を見て取ったリアムは、すかさず剣を抜いて栞の前に出る。
「下がっていろ」
剣を抜いたリアムは、俊敏な動きでイノシシのような魔物に向かっていく。一突きで眉間の辺りを切り付け、切り付けられた魔物はぴくぴくと四肢を痙攣させ次々と無力化されていく。リアムは小さめの切れ味のよさそうなナイフを左の腰に括り付けられた鞘から抜き放つと、魔物の首のあたりを切り付けた。切り付けられた部分からは血がゆっくりと流れ出した。
「この魔物は食べられる」
リアムは平然と仕留めた魔物の血抜きを始めてしまった。
立ち上る血の匂いに、栞は気分を悪くした。
ぐらりと傾(かし)いだ身体を、エドワードが支える。
栞が普段食べている肉も、こうして獣の命を摘み取って食べているのだとしても、食卓に上った肉を前にそんなことなど考えたこともない。栞は遠巻きにリアムの様子を眺めることしかできずにいた。
「エド、保冷石を取ってくれ」
リアムは腹を裂いて内臓を取り出すと、エドワードから受け取った石の塊を腹に詰めた。そのまま魔物を油紙のようなもので包むと、リュックの中に納めてしまう。
取り出した内臓はディアンがすべてその場で食べてしまった。
「シオリさん、大丈夫ですか?」
しばらくエドワードに支えられたまま、じっとしていた栞はようやく魔物の処分が終わったことに気付いた。
リアムは魔物の血で汚れた手を、近くを流れる小川で洗い流すとふたりのいる場所へと戻ってくる。
「こういうのはだめなのか?」
少し傷ついたような表情で、リアムは栞の顔を覗き込んだ。
「ちょっと……。ごめん、これが普通なんだよね?」
「……そうだな。異界の住人は何を食べて生きているんだ?」
呆れたようなリアムの声に、栞は俯く。
「多分一緒だよ。家畜として育てられた豚とか牛とかも食べるし、魚も食べる」
俯いたまま答える栞の頭をリアムの手が撫でた。
その手が命を屠ったのだと思うと、栞は少しの恐怖を感じてしまう。けれど同時に彼がいなければ、自分だけでなくみんなの命が危険にさらされていたのだろうと思うと、すぐに恐怖は消え去った。
この手が自分を守ってくれたのだ。
優しく何度も頭を撫でられ、栞の気分は落ち着いてきた。
「……ありがとうございます。助かりました」
「いいや、これが俺の役目だからな」
リアムはぶっきらぼうな口調でそう言うと、撫でていた手を離してしまう。栞は少しその手の温もりを名残惜しく思った。
「ほら、急ぐぞ」
リアムの声に、栞は再び歩き始めた。
そうして少し暗くなり始めた空に、二つの月が顔をのぞかせ始めた頃、一行は無事街にたどり着いたのだった。