3. 兄と妹

 

ガブリエレはため息をひとつ漏らすと、覚悟を決めてラファエラを抱き上げた。長身のガブリエレよりも頭二つ分ほど背の低いラファエラの体は軽かった。昼間よりもラファエラから放たれる力の波動が強くなっていることに気づいて、顔をしかめる。

(これは見過ごせない)

ラファエラの身体を抱えて扉をたたくと、慌てた様子でラファエラの双子の兄、フェルナンドが飛び出してくる。

「ラファ!」

フェルナンドはラファエラの体をひったくるように奪い取ると、ラファエラを抱えて部屋へと連れて行く。ガブリエレは大人しくあとに続いた。

フェルナンドはベッドの上にラファエラを寝かせると、ガブリエレに向き直る。

「これはどういうことだ?」

「少し飲ませすぎただけだ」

フェルナンドの剣幕にうんざりしながら、ガブリエレはラファエラに掛けられたままになっている眼鏡を取り上げて、すぐそばの棚の上に置いた。フェルナンドによく似た顔が露わになる。

ラファエラよりも幾分か濃いめの金髪を一まとめにしているフェルナンドは、自分たちの血に秘められた力ゆえに封印を受けていることを知っていた。

幸い、ラファエラほど力が強くないフェルナンドには封印は必要がなかった。密かにガブリエレの父がフェルナンドの守り人として、陰ながらその存在を見守ってはいるがまず心配はない。

だが、ふたりが幼いころ、守り人となるためにラファエラに近づいたガブリエレは、フェルナンドの思わぬ妨害に手を焼き、仕方なく事情を打ち明け協力を打診したのだ。

以来、フェルナンドはガブリエレを排斥しようとはしなくなったが、必要以上に近づくことを快く思っていないことをことあるごとに露骨に見せるようになった。妹への偏った愛情を隠そうともしないフェルナンドに、いささか閉口するものの、ラファエラを守るために必要なことだと、ガブリエレは半ば諦めの境地に達していた。

ガブリエレはにらみつけてくるフェルナンドの視線を感じつつも無視した。

「ちょっと気になることがある。ラファエラの背中を見せてくれ」

封印に関してはガブリエレに任せるしかなく、フェルナンドはしぶしぶ従った。眠りこけているラファエラの体をうつ伏せにすると、ドレスの背中を少し開く。

「なんだこれは!」

ラファエラの背中には小さなあざが二つ現れていた。丁度、肩甲骨の間辺りに、羽のような小さなあざが浮き上がっている。

「やはりな……完全に父のかけた封印が解けてしまっている」

ガブリエレは思ったよりもラファエラの症状の進行が早いことに舌打ちした。

「何だって!」

慌てふためくフェルナンドを押しのけ、ガブリエレはラファエラの背中のあざに手をかざすと、守り人としての力を注ぐ。

微かにガブリエレの手が輝き、背中のあざは少し色が薄くなる。しばらくガブリエレはそのまま手をかざしていたが、それ以上あざが薄くなることはなくガブリエレは諦めて手を下ろした。

(くそっ、やはり俺の力ではこの辺が限界か……)

「どうなんだ!?」

それまで心配そうにラファエラを見守っていたフェルナンドが心配げに口を開く。

「俺の力ではこれが精一杯だ。誰だかわからないが、封印を解いてしまった者に再度封印をしてもらうしかない……」

ガブリエレの顔には悔しさがにじみ出ていた。

「とりあえず、ラファエラを起こさないように場所を移そう」

フェルナンドは背中を元に戻すと、ラファエラの身体に掛布を掛けた。ガブリエレも頷いて、部屋を後にした。二人は応接室に入ると、フェルナンドが棚に仕舞われていた蒸留酒を取りだした。

グラスに少しだけ注ぐとガブリエレに手渡す。フェルナンドも同様に自分の分を用意すると、一気にグラスを煽った。

「とりあえず、明日から俺はラファエラの側にいるようにする。研究の手伝いを頼んだから、何かあってもすぐに対応できるはずだ」

「わかった。俺はラファエラの封印を解いた者を探すことにする」

「ああ、頼む」

ガブリエレはグラスの酒を舐めた。

「全く!なんだって今頃になって封印が解けたりしたんだろう?」

フェルナンドは首をかしげている。

「そうだな、お前にはほとんど天翼族の血は流れていないが、ラファエラのは先祖返りと言うやつだ。俺よりも守り人の血が濃い者と接触があったことは間違いない。長が言うには、可能性として一番高いのはラフォレーゼ一族の誰からしい」

「ラフォレーゼ!」

フェルナンドは宿敵と言っていいほど仲の悪い一族の名前を耳にして、大声を上げた。

「ラファはよりよって、ラフォレーゼの一族に接触したのか……。だが彼の一族ならばすぐにラファの封印を解いた人物もわかるだろう」

「思ったより進行が早い。なるべく早く見つけてくれ」

(この羽が実体化した時が恐ろしい。そんなことになる前に封印できればいいのだが……)

「ああ、わかっている。」

フェルナンドは秀麗な顔をゆがめた。

 

翌朝、目が覚めたラファエラは目を開けた途端、頭痛に襲われ再び目を閉じた。

(頭痛いー。あれ、昨日はガビィと夕食を一緒に食べた気が……)

「ラファ、起きてる?」

扉の外からフェルナンドの声が聞こえて、ラファエラは痛みを堪えて起き上がった。

「起きてる~」

我ながらひどくかすれた声に驚きつつ、扉を開ける。

「ラファ、すごい格好だね」

くしゃくしゃになった髪と、まくれ上がって皺のついたドレスを見下ろしたフェルナンドは、呆れたように笑った。手には冷たい水の入ったグラスを持っている。

「わかってる。ありがと」

ラファエラはグラスを受け取ると、水を一気に飲み干した。

「あんまり無防備に外で飲んだらだめだよ」

「うん。反省してます」

(でもお酒って美味しいし、外で美味しい料理と一緒に頂くのは最高の贅沢なんだけどな~)

フェルナンドにグラスを返しながら、ラファエラは眼鏡を探した。ぼんやりとした視界では、どこにあるのか分からない。フェルナンドはラファエラが眼鏡を探していることに気付くと、すぐにベッドの脇に置かれた眼鏡を取り上げ、ラファエラに手渡す。

「ん、ありがと。フェル」

フェルナンドから眼鏡を受け取ったラファエラは、すぐに眼鏡をかけて身支度を始めた。

「食堂に朝食を用意しておいたから、すぐにおいで」

「ん」

ラファエラはぼんやりとしながらも、新しいドレスをクローゼットから取り出すと着替え始めた。フェルナンドは苦笑しながら扉を閉めると、食堂に向かって歩き始める。

あの様子では、きっとろくに朝食を食べられないに違いない。

食堂に着いたフェルナンドは、台所にいる家政婦のテレーザに二日酔いに効きそうなスープを用意するように伝えると、先に朝食に手を付けた。

フェルナンドが食事を食べ終えるころ、着替えたラファエラがのろのろと食堂に現れた。

(う~気持ち悪い~。頭がぐるぐるする~)

ラファエラは自分の椅子に座ると、用意されている料理には目もくれず、グラスにオレンジジュースを注いで飲み干した。

家政婦のテレーザが先ほど頼んだスープを持って食堂に入ってきた。

「おはようございます。テレーザ」

「ラファ様、おはようございます。こちらをどうぞ」

ラファエラはテレーザからスープの器を受け取ると、そっと口をつける。スープを飲み終えたラファエラはしばらくぼんやりとしていたが、次第に具合がよくなったのか顔色もよくなってきた。

ようやく話が出来そうだと感じたフェルナンドは、昨夜のことについて注意する。

「ラファ、昨日はガブリエレが抱えて送ってくれたんだよ。後でお礼を言うのを忘れないようにね」

「わかってます」

幾分かふてくされ気味に、ラファエラは答えている。

(ガビィには申し訳ないことをしてしまった。おごってもらった挙句、酔っぱらいの面倒まで見させてしまった。後でちゃんとお礼を言っておこう)

「なんで寝入ってしまうほど飲んだの?」

「だって……私は二十五歳にもなって彼氏の一人もいないのよ。いい加減悲しくなってきちゃって。どうせ私には女性としての魅力なんてないのよ……」

落ち込んでしまったラファエラを前に、原因は自分だと言い出せずフェルナンドは沈黙した。

(まさか今までラファエラに興味を示した男を全て排除してきたと言ったら、酷い目にあわされそうだ)

「ガビィだって誰か紹介してって言っても、だめだって言うし」

(当たり前だ!)

しかし、追及されると困るフェルナンドは話題を変えることにする。

「そういえば、昨日一人で山に入ったんだって?」

「それガブリエレから聞いたの?」

「そうだ。研究も大事だが、何かあったら心配するだろう?」

「何かって……」

明らかに挙動不審になったラファエラを、フェルナンドは問い詰める。

「何かあったのか?」

怪我を手当てしたらお礼にキスされましたとは……言えないよね。

急に低くなったフェルナンドの声に怯えながら、ラファエラは渋々と昨日の出来事を話し始めた。

「泉で休んでいたら、手を汚した軍人がやって来たの。黒鷲団の軍服を着ていたから、大丈夫だと思って、ちょうど薬も持っていたし手当てをしてあげたの。それだけよ」

「ふーん。そいつは手当てをしてもらったのに名乗りもしなかったのか?」

「ううん。レオって言ってた」

「ふうん、レオ……ね。それで不埒なことって何?」

「え、えーと。お礼だって言ってキス……されました」

「何だって!」

怒気を露わにするフェルナンドにラファエラは身をすくめている。

「皆そうされると喜ぶんだって。私はいやだって言って帰って来たけど、とんだ目にあったわ」

(本当に最低な奴!)

ラファエラは思い出して腹が立ってきた。

「なるほど。それなら俺の方からもしっかりと抗議しておこう」

(よくも俺のラファに不埒な真似を!)

フェルナンドの顔は笑っているが、目が笑っていなかった。ラファエラは自分よりも怒っている兄の姿に脱力し、苦笑した。

「フェル、行ってらっしゃい」

「ああ、今日はまっすぐ帰っておいで」

「はーい」

ラファエラは兄を見送って、自分も慌てて研究所へと出勤した。

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