研究所へと到着したラファエラは自分の研究室に荷物を置くと、ガブリエレの研究室の扉を叩いた。
「どうぞ」
すぐに入室の許可を告げる声にラファエラは扉を開けた。
「おはようございます」
「おはよう」
「昨日はすみませんでした」
「とりあえず、そこに座ってくれ」
ガブリエレはラファエラの方を見もせずに作業を続けている。ラファエラは手近な椅子に腰を下ろし、彼の作業を見守ることにした。
ガブリエレは砕いた鉱石を乳鉢ですりつぶす様に混ぜている。ラファエラは普段目にする事の無い彼の様子を興味深く眺めていた。
作業が一段落したらしく、ガブリエレは作業手袋を脱いで手を洗った。ポットにお湯を沸かし、お茶の準備を始める様子を見て、ラファエラは口を開いた。
「それで、私は何をすればいいのかしら」
「今の作業が終わったら、ベルモンド山の方に鉱石を採取に行く。それについて来てほしい」
ラファエラは頷いた。
採取のお手伝いなら、役に立てるだろう。
「だったら、部屋へ戻って着替えてくるわ。この格好では山へはいけないもの」
「ああ、それがいいだろう」
ラファエラは自分の研究室へ戻ると、いつも山へと出かける服装に着替えた。おしゃれとはほど遠いが、これならば山でも問題なく歩ける服装だ。
ガブリエレの研究室に戻ると、ちょうどお茶を入れ終わったところだった。ラファエラは渡されたカップを受け取ると、そっと口をつけた。
「あつっ」
やはり舌先を火傷してしまった。猫舌な為いつも注意しているのだが、ついやけどをしてしまう。ひりひりする舌を堪えて、ラファエラはガブリエレの顔を見上げた。
面白がる様な瞳と目があい、ラファエラは気恥ずかしさにほほを染めた。
(見られてた~)
「用意はできたか?」
「ええ」
「ラファエラは馬に乗れたか?」
ラファエラは随分と昔に馬に乗ったきりだということを思い出した。
(かなり昔だった気がする。ま、なんとかなるでしょ)
「……少しなら」
「わかった」
どちらからともなく二人は互いに微笑むと、研究所の管理する馬小屋に向かう。
馬番に声をかけ、二頭の馬を選び出してもらうと、ふたりはそれぞれの馬に騎乗した。
久しぶりの乗馬に、ラファエラはすこし不安に思っていたものの、馬にまたがってみれば身体は以前の感覚を覚えていたようですぐになじむ。そうして、休憩を入れつつ二時間ほど馬を走らせると、ベルモンド山の中腹にたどり着く。この山は王都から割合に近く、日もまだ天頂には差し掛かっていなかった。
「ここからは歩いていく」
ラファエラはガブリエレの指示した場所で馬を止めると、近くの木に繋いだ。近くには小川も流れており、しばらく放置しておいても問題はない。ガブリエレも隣に馬を繋ぐと、馬に括り付けてあった荷物を下ろす。
ガブリエレの後をついて行くと、程なくして洞窟の入り口が見えてきた。
(こんなところに洞窟があったんだ……)
「ガビィ、あそこなの?」
「ああ、そうだ」
ガブリエレは荷物からトーチを取り出して火を入れた。ガブリエレは内部をよく知っているのか、迷いのない足取りで先に進んでいく。ラファエラは鞄を持って、慌てて後を追いかけた。
(おいてかないで~)
洞窟の中からは冷たい風が吹き出している。トーチに照らされた狭い道を二人はゆっくりと歩いて行った。所々天井の隙間から光が差し込み、洞窟の内部を照らしている。丸太で組まれた枠組みが坑道を支えており、崩落の心配もなさそうなことにラファエラは安堵の息を漏らした。
「ここって、もう使われていないの?」
「ああ、十年ほど前に廃坑になった」
内部は涼しく、所々水がしみ出している場所はあるが、道自体はしっかりしている。ラファエラは初めての体験に少々興奮しながら坑道を進んでいく。二十分ほど歩いたところで、ガブリエレは足を止めた。
「ここだ」
ガブリエレが足を止めたのは、行き止まりになった広い空間だった。平らな岩がいくつか転がっており、その上に鞄を置くとガブリエレは採掘の為の道具を取り出した。
壁にフックを打ち付けると、持ってきたトーチを吊るして辺りを照らす。ガブリエレは厚手の手袋をはめると、保護用の眼鏡をかけてノミとハンマーで壁を穿ち始めた。ラファエラはガブリエレの鞄の中から麻袋を取り出すと、採取した鉱石を袋に詰めていく。明らかに色が異なる鉱石は別の袋に入れた。
(こんなものかな?)
あとでガブリエレに確認してもらえばいいだろう。ラファエラは袋を鞄の近くまで運び始めた。袋をもう一つ持ち上げようとしたとき、昨日感じた鋭い痛みが背中を走り、ラファエラは思わず袋を取り落した。
「あ、っつぅ。いたっ……」
(痛い、痛い! 何なのこれ?)
背中を引き裂かれるような痛みに、ラファエラは押し殺した声を漏らした。
ラファエラの様子に気づいたガブリエレが慌ててノミとハンマーを放り出して駆け寄ってくる。
「どうした?」
「せ……なかが……いた……い」
冷や汗を流しながら痛みを堪えるラファエラに、ガブリエレは彼女の身体を支えながら近くの大きな岩にうつぶせにさせた。ラファエラのブラウスの裾をめくって、痛みを訴える背中をむき出しにする。下着の隙間から、羽の形をしたあざが見えた。
昨日よりも濃くなっているあざにガブリエレは眉をひそめた。
「や、やめ……」
(ちょっと、痛いけど見ないで。恥ずかしいんだって!)
恥ずかしがるラファエラをガブリエレが怒鳴りつける。
「恥ずかしがっている場合か!」
ガブリエレは両手をあざの上にかざし力を注いだ。けれど、ラファエラの様子はわずかに眉間のしわが少し緩むく程度にしかならないようだ。
(痛い、なにこれ。裂けるんじゃないのっ……!)
「嫌だろうが、少しだけ我慢してくれ」
ガブリエレはそう言うと、ラファエラの背中のあざに口づけた。
(ひゃ、何するの?)
背中を舐められる熱い感触にラファエラは背筋を震わせた。熱い感触が痛みに取って代わり、ラファエラは大きく息を吐いた。しばらく濡れたざらりとした舌が背中を這い回っている感触が続いていたが、痛みが治まってくるに従ってラファエラは体から力を抜いた。
(うそ……。どうしてこんなことで痛みが治まるの?)
ラファエラの体から力が抜けたのを感じたガブリエレは、ようやく唇を背中から離した。
力が抜けて動けないラファエラの服を直し、荷物から水筒を取り出す。
ラファエラは差し出された水筒から水を何口か飲むと、ようやく体を動かして岩の上に座りなおした。
「これってどういうこと?」
(ガビィは明らかに対処方法を知っていた。絶対に何か知っているはず)
「ラファの背中にあざが出来ている。それが痛みの原因だ」
「あざって何? それにどうしてガビィが舐めたら痛みが治まったの?」
研究者としても優秀なラファエラの疑問は尤もだった。これ以上隠し通すことはできないと、ガブリエレは観念して真実の一端を明かすことを決めた。
「ラファ、君は天翼族を知っているか?」
「ええ、祖先に天翼族と結婚した者がいるという話は聞いたことがあるけど、そんなのてっきり御伽噺だと……」
半信半疑な態度のラファエラとは対照的に、ガブリエレの顔は真剣そのものだった。
「いいや、天翼族は実在する。そして現実に君にはその血が流れている。それも普通では考えられないほどの濃さで」
「ねえ……私はどうなるの? いままで普通に生活してきたのよ?」
うろたえるラファエラとは対照的にガブリエレは冷静な表情で答える。
「すべては封印が解けてしまったのが理由だ。君が生まれてすぐに俺の父が封印を施したんだ」
「ガビィのお父さんが? どうして?」
「そんなことは今どうでもいいだろう。このままだといずれ天翼族の象徴である翼が現れる」
(訳が分からない。私は人間じゃなかったってこと? 天翼族なんて御伽噺か神話でしか聞いたことないよ……)
茫然と視線をさまよわせているラファエラの意識を、ガブリエレが引き戻す。
「こんなところで話していても信じられないだろう。戻ってフェルナンドと一緒に対策を考えよう」
「フェルは知ってるの?」
「ああ」
ラファエラは自分だけが知らなかったことにショックを受けていた。
(私だけのけ者にされていたわけね)
ガブリエレに促されるままに、荷物を取り上げ出口へと向かう。ガブリエレは壁に掛けたトーチを取り上げると、荷物をまとめて先導し始めた。
(なんだか悪い夢を見ているみたい)