「栞はいったい何をしたんだ?」
リアムは恐ろしいほど真剣な顔で栞の顔を見つめている。
「え、軽くなったら助かるって言ったでしょう? だから、プログラム……じゃなくて魔法を書き換えたの」
「ちょっと待て、今魔法を書き換えたと聞こえたんだが」
「うん。……だめだった?」
「いや、だめじゃないんだが……。くそ、俺にどうしろっていうんだ」
頭を抱えるリアムに、どうしていいのか分からず、栞はおろおろと顔色を窺うことしかできない。
「どうしたの?」
そこへちょうどエドワードが顔を出した。
「エド! ちょうどいい、シオリの能力を見てほしい」
「なんなの、一体?」
「この鞄を持てばわかる」
そう言ってリアムが差し出した鞄を受け取ったエドワードは驚愕した。
「何これ? どうしてこんなに軽いの?」
「シオリが魔法を書き換えたらしい」
「本当なの? シオリさん」
ふたりの深刻な様子に、口をはさめずにいた栞はおずおずと答えた。
「……はい。魔法を書き換えて重さが六分の一になるようにしました」
「これが……調停者の能力なのか……」
そう呟いたエドワードの視線に栞はすくみ上った。
「シオリさん。この財布を同じように軽くすることはできますか?」
エドワードが差し出した財布を栞は受け取った。けれど栞が触れてもプログラムが現れることはない。先ほどはいとも簡単に触れることができたプログラムが現れず、栞にはどうしようもなく途方に暮れた。
「無理みたい……」
案外と不自由な能力に、栞はがっかりする。
「なるほど。物質に対して魔法を付加することができるわけではないのですね」
興味深げに栞の様子を観察していたエドワードが納得したように呟く。
「ならば、こちらはどうでしょう?」
エドワードは栞が改造してしまった鞄から、水筒らしきものを取り出した。栞が両手でそれを受け取ると、今度はプログラムが目の前に展開されていく。水筒には見た目の容量以上に水を溜めこむために、水を圧縮する魔法が掛けられていた。
「あ、これなら……」
この水筒に掛けられた魔法をいじるのなら、魔法瓶しかない!
栞は嬉々としてプログラムの中に詰められたときの温度を保つように式を付け加える。と、その瞬間。
ピシリ。
水筒がきしむような音を立てる。
「うわ。これ以上は無理っぽい」
栞は水筒をエドワードへ返却した。
受け取ったエドワードは目を見張っている。
「これ……、軽くしたのではありませんね?」
「うん。保温機能を追加してみたんだけど、本体の方が限界みたい……」
「ああ、そうですね。こういった魔法具は魔法の基となる魔石が組み込まれています。この魔石の大きさでは圧縮魔法を維持するだけで、あまり余裕はないでしょう」
エドワードが水筒の底に嵌められた魔石を示した。艶やかなきらめきを放つ黒い石。これが魔法を維持しているのだ。
栞は何となく魔石が電池のようなものかと理解する。
どうやら栞が持つ能力は既に魔法が掛けられたものにしか反応しないらしい。エドワードの治療を受けているときは魔法が見えたので、発動中の魔法には干渉することができそうな気がした。自ら魔法を作り出すことができないことに、栞はがっくりと気落ちした。
「シオリさん……、素晴らしいです。この魔法具! こうなるといろいろと試したくなりますね」
うきうきと顔をほころばせるエドワードをリアムが怒鳴りつける。
「おい、エド! そんなことをしてる場合じゃないだろう。シオリを総神殿へ送り届けなきゃいけないんだろう?」
「っ、そうでした!」
我に返ったエドワードは、照れくさそうに笑った。
「では挨拶も済ませましたので、そろそろ出発しましょう」
「はい」
栞が頷くと、リアムが荷物を背負う。よく見るとエドワードも旅支度を調えたらしく、歩きやすそうなブーツにズボン、少し長めの上着にマントをはおり、手には錫杖が握られていた。
「ねえ、エドワードさんは僧侶? なんでしたっけ」
「はい。太陽神フォボスに仕える僧侶です」
「ねえ、普通神殿に仕える人は神官なんじゃないの?」
栞はずっと疑問に思っていたことをこの際だからとぶつけてみることにする。
「はい。シオリさんの認識は間違っていませんよ。神殿に住み、神に祈りを捧げるのが神官の役目です。一方で僧侶は神に仕えてはいますが、野に下り、人々のために神の力を役立てるのが役目なのです。私が使うことのできる治癒魔法は、僧侶が最も得意とする魔法の一つです」
「なるほど……。リアムは剣士なの?」
「まあ、そうだな。普段は自衛団に勤めているが、今はシオリを総神殿へと送り届ける護衛だな」
「リアムは魔法を使えるの?」
「残念だが俺はほとんど使えない。まあ、中には魔法を使う魔法剣士もいるらしいが、この辺では見たことがないな」
「へえ~」
栞がリアムの話に聞き入っていると、リアムは栞を促して建物の外へと連れ出す。建物の前には大きな黒豹のような生き物が腹ばいになっていた。
うわ~。かわいいけど、ちょっとこわい。
栞は大きな馬ほどもある大きな黒豹の姿に見惚れていた。黒豹には騎乗するために鞍や手綱などが取り付けられている。
黒豹は栞たちの姿に気付いているはずなのに、こちらを見ようとしない。ぴくぴくと耳だけがこちらを向いているので、興味を持っていることは分かる。
「ディアン」
リアムが名を呼ぶと、黒豹は優雅な仕草で身体を起こし、四本の足で立つと、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。長くほっそりとした尾が、ゆらゆらと揺れていた。
黒豹は栞には目もくれず、リアムの身体にその巨体をすりよせた。
「ぐるる~」
目を丸くして見守る栞に、リアムが黒豹を紹介してくれた。
「俺の騎獣のディアンだ。レパードという種類の獣だ」
「よろしくお願いします」
「ぐる~」
まるで栞の言葉が分かっているかのように、ディアンは唸ってみせる。
「では、行きましょう」
リアムがディアンの手綱を引いて歩き出す。
こうして三人と一匹ははじまりの街を旅立った。