三. 家出娘、護衛になる

「一緒に行きましょう。どうせ行き先は一緒なのだし」
「い・や・だ!」
マルティナ王女とナディアはしばしの間、同じ問答を繰り返した。ナディアの主張を聞き入れようとしない王女との口論に疲れたナディアは、白旗を揚げた。
マルティナ王女は実にしたたかだった。
負傷した護衛はしばらく使い物にならないだろう。ナディアの行き先が王都だと聞きつけ、臨時の護衛を依頼してきたのだ。
「報酬ははずむわ」
その言葉にナディアの心はぐらついた。手持ちの資金は少なくないが、王都の物価がわからない。当面の住処や食事にどれほどお金がかかるのか、わからないので、手持ちは多いほうがいい。王女を助けた褒美は別にもらえるという話だったが、ナディアは王都での安い下宿でも紹介してもらえれば御の字と考えていた。
そこへ降ってわいた報酬の話にナディアの心はおおいにぐらついた。
「わかった。王都までの護衛、確かに引き受けた」
(こうなったら自棄(やけ)だ)
ナディアは王女の護衛の一行に加わった。そうと決まれば、全力で務めて見せよう。ナディアは決意を新たにした。
護衛のリーダーを務めるのは騎士のロベルトといった。さきほどの襲撃の際にもいい動きをしていたが、いかんせん部下の行動がいまいちだ。
「ここからできるだけ早く移動したほうがいい。仲間を連れて戻ってくるかもしれない」
「確かに」
ロベルトはナディアの提案に頷いた。
幸い馬車は無傷だった。負傷した護衛も、なんとか馬には乗れるほどの軽症だったので、一行はゆっくりと移動を開始した。
ナディアはロベルトに頼まれ、殿(しんがり)を務めることになった。
侍女や護衛を含めると二十人ほどの大所帯になる。道中の宿はどうするのかとロベルトに尋ねると、途中にある領主の館に泊まることになっているという。
(なるほど。王女ともなれば、その辺の宿屋に泊るというわけにもいかないか……)
ナディアは自分も辺境伯の娘であるという立場を忘れ、感心していた。本来ならば宮廷で結婚相手を探して社交に興じていれば済むだけの身分を持っているにもかかわらず、ずっと鄙(ひな)びた辺境で過ごしてきたため、ナディアは身分に対する認識が甘かった。
途中小さな休憩をはさみつつ、一行は無事その日の宿泊先である伯爵領の屋敷にたどり着いた。
王女を出迎える為に大勢の人々が屋敷の前に並んでいる。
王女はロベルトの手を借りて馬車から下りると、出迎えた伯爵の挨拶を王女に相応しい威厳を持って受け入れていた。王女は伯爵にエスコートされ、屋敷の中へ入っていく。
ナディアは王女の姿を見送って、馬小屋へとミゲルを連れて移動した。飼育員から許可をもらい、ミゲルの鞍とハミを外し、飼い葉桶の中にたっぷりと飼料を放り込み、新鮮な水も準備する。食べ終えたミゲルの体を拭いてやり、ついでに馬車を引いてきた馬の面倒も見てやった。
ナディアは馬の世話を終えて屋敷の裏口に回り、屋敷の人間から水浴びできそうな場所を聞き出した。
きっと今頃王女の世話で忙しいだろう。この慌しさでは旅の汚れを落とせるのはいつになるかわからない。
ナディアは勝手に近くの井戸の水を使って身繕いを済ませた。幸い季節は初夏に指しかかろうとしていた。すこし冷たい水も、汗ばんだ肌にひんやりと心地よかった。
ナディアが屋敷に足を踏み入れると、護衛たちに用意された部屋を使用人が教えてくれた。部屋の中にはいくつかベッドが並び、負傷した護衛の数人が横たわっていた。
護衛たちは交代で王女の部屋の前で警備をする必要があるらしい。
ナディアは食堂で適当に夕食を済ませると、交代に備えてベッドに横たわった。
(やっぱり私の事を女だと誰も気づいてないな。……ま、いいか)
兵士としての暮らしが長いナディアは、どんな場所でもすぐに眠れる特技を生かし、横になるとすぐに眠りについた。
「おい、起きろ」
ロベルトの声でナディアは目を覚ました。目を擦るナディアの型をロベルトが強くたたいた。
「交代の時間だ」
「わかった」
ナディアはすぐにベッドから抜け出し、ロベルトのあとに続いた。曲がりくねった廊下を進み、王女の部屋の前で護衛を交代する。
ナディアとロベルトが見張りに立ってしばらく経ったころ、ロベルトが小さな声で話しかけてきた。
「お前、どこで剣を習った?」
「父からだ」
ナディアは小声で答える。
「お前の父は名のある剣士なのか?」
「知らん。あと、いい加減お前はやめてくれ」
「すまん。ナディだったか、どうして王都へ?」
ロベルトは次から次へと質問を投げかけてくる。
「幼いころに、私を助けてくれた恩人に会うため。……なあ、この質問ってどうしても必要なのか?」
ナディアは次第に受け答えが面倒になってきた。
「すまん。王女の恩人とはいえ、素姓の確かでない者をお傍に近付けるわけにはいかんのだ」
「私の素姓ならベネディート辺境伯に問い合わせてくれれば、保証してくれる。さ、もういいだろう?」
不機嫌さを隠そうともせずに、ナディアは言い放った。
「わかった」
ロベルトはナディアの態度に諦めがついたのか、それきり黙りこんで、護衛を続けた。
何事もなく時間が過ぎ、明け方にやってきた交代の護衛に役目を引き継いだ。部屋に戻ったナディアは、すぐに眠りについた。
ナディアが再び目覚めたとき、護衛たちは出発の準備に取り掛かっていた。
「おはよう」
「おはよう、ナディ。朝食は適当に食堂で済ませてくれ。今日も道中よろしく頼む」
ロベルトはそれだけ声をかけると、忙しそうに部屋を出ていく。
「お前、もうロベルトさんに認められたのか」
ナディアは護衛のひとりから声を掛けられ、振り向いた。
「俺はフリオ。よろしく」
「私はナディだ。よろしく」
ナディアが手を差し出すと、大柄な男は愛想よく握手を返した。剣ダコのある剣士らしい手だ。
「お前の手、ほっそいな。どうしたらこんな手であんなに綺麗に剣を振り回せるんだ?」
フリオはナディアの手を無遠慮に触れながら、感心したようにつぶやいた。
「別に、綺麗に振り回している訳じゃない。敵を斬る為に練習していたらそうなっただけ」
「そうか、お前すげえな」
無愛想に答えるナディアの態度を気にする様子もなく、フリオは子犬のようにきらきらと瞳を輝かせて、ナディアを見つめていた。
率直な好意を湛えた視線に、ナディアは気恥ずかしくなる。
「それより、朝食を食べにいかないと食いっぱぐれるぞ」
少々ぶっきらぼうな口調で、ナディアは話題を変えた。
「おう、俺も一緒にいいか?」
「別にかまわない」
ナディアはフリオと連れだって食堂へと向かった。
食堂では大皿に盛られた料理を好きなだけ取り分けて食べるようになっていた。
ナディアはたっぷりと皿の上に料理を盛り付けると、猛烈な勢いで食べ始める。
「美味しい」
思わず賞賛の声を漏らしたナディアの隣では、フリオも同じような分量を、勢いよく口の中にかきこんでいる。
「ここの飯は上手いなぁ……。けちな領主の所に泊まると、護衛の分の飯は量も少なくて、まずいときもあるんだよな~。ここの領主はなかなか豪勢だなぁ」
「ふうん」
ナディアは適当に相槌を打ちながら、フリオの言葉を聞き流す。あっという間に朝食を食べ終わると、ナディアはミゲルの世話をする為に馬小屋へ足を向けた。フリオは他にも仕事があるらしく食堂で別れた。
ナディアは馬小屋に入ると、真っ先にミゲルのもとへ向かった。
飲み水を新しいものに入れ替え、飼い葉桶に飼料を追加する。その間に馬具に問題がないか確認し、それが終わるとミゲルの背に毛布を敷き、鞍を載せて馬具を装着した。
そうこうしているうちに、一行の準備が整ったようだった。
ナディアはミゲルを馬小屋からひいて皆と合流した。ロベルトに今日の旅程と役割を確認する。
「ナディは先頭を頼む。襲われる可能性があるから注意してほしい」
「わかった」
ナディアは一行の先頭を切って、次の宿泊先となるトリスタン伯爵の領へと向かって出発した。
マルティナ王女の一行は、再び襲われることもなく、順調に王都へ向かって道のりを進んでいた。
王都に近付くにつれ、次第に治安も良くなっているようで、行き交う旅人の様子も活気にあふれているのを感じる。
ナディアが一向に加わってから四日後、ナディアたちは無事に王都へ到着した。
(さすが、王都だ……)
ナディアは人の多さに驚いていたが、それを表情には出すことなく、馬車とともに進んでいく。
王女を乗せた馬車は街の中心をゆっくりと走りぬけると、ほとんど待たされることもなく王宮の門をくぐった。門を抜けてから、王城にたどり着くまでは、少々の時間を要した。
大きな玄関の前で、騎士たちが王女を出迎える。
無事、王宮の騎士に王女を引き渡したナディアは、一行とは別れ、応接室のような部屋に案内された。しばらくそこで待っていると、ロベルトを従えた王女が、ドレスを着替えて現れた。
「護衛、ありがとう」
王女はにっこりと極上の笑みを浮かべながら、礼を述べた。
うしろに控えていたロベルトが、たっぷりの金貨が入った袋を報酬として差し出す。ナディアは遠慮なく袋を受け取った。
「こちらこそ、快適に王都まで着くことができて、助かりました。ありがとうございました」
ナディアは失礼にならない程度に頭を下げ、立ち上がった。
(これで、しばらくは生活に困らないだろう)
温かくなった懐に、ほくほくした顔で王宮を去ろうとしたナディアを、ロベルトが引きとめた。
「待ってくれ。襲撃から助けてもらった礼がまだだ」
「あ? そういえば」
すっかり忘れていたナディアは、思い出して手を打つ。
「お前は恩人に会いに来たのだろう? あてはあるのか?」
「うーん、あの時、私を助けてくれたお兄さんは騎士見習いだったと聞いた。今頃は騎士になっているはずだ」
「それならば、騎士団に入らないか?」
「へ?」
ナディアは思ってもみない申し出に、間抜けな顔を王女とロベルトに晒(さら)していた。
「騎士団って、そんな簡単に入れるものなのか? それに、私は来年までには領地ベネディートに戻らないといけない。王都には半年くらいしか滞在しない予定なのだが、いいのか?」
どこの者とも知れないのに、そんなに簡単に入団を許していいのだろうかという疑問は、ロベルトによってすぐに否定された。
「お前ほどの腕の持ち主ならば、騎士としてすぐに活躍できるだろうに……。そういう事情があるならば騎士見習いとして働けばいい。食べるものと寝る場所には不自由しないぞ」
ロベルトの申し出はナディアに取ってかなり魅力的だった。
(得意な事をして、ご飯と寝る場所が確保できるなんて!)
「よろしくお願いします」
思わずナディアは頭を下げていた。
「こんなお礼でいいの?」
王女は不満そうにナディアの意思を確認していたが、ぶんぶんとうなずくナディアにあきれたような顔をしていた。
「では、騎士団の方には話を通しておくから、明日の朝にでも団長のフェリクスを訪ねるといい。今日はこちらに部屋を用意するが……?」
ロベルトの問いかけに、ナディアは首を横に振った。
「いや、せっかくだが街の方も見てみたいし、今日は宿に泊まるよ」
(王宮なんかに泊まったら息が詰まる!)
「では、紹介状を用意するから、少し待ってくれ」
ロベルトが紹介状を書きあげるのを待って、ナディアはそそくさと王宮を後にした。
ナディアを見送った王女とロベルトは彼女の姿が見えなくなると、顔を見合わせて噴き出した。
「まったく、面白いやつでしたな」
「あー、おっかしいったら。彼ったらすごく居心地が悪そうだったわ。それに、お礼っていうと、大抵の人は嬉々としてお金や宝石をねだってくるのに……」
ロベルトはにんまりと笑った。
「ええ……。なかなか得がたい人物のようですね」
「きっと、紹介状を見たら驚くでしょうね」
王女も人の悪い笑みを浮かべている。
「私の名前で紹介状を書きましたから、騎士団に行けばきっと団長が良い様にしてくださるはずです」
「そうね。そのときにそばにいられないのが残念だわ」
ロベルトと女王は再び顔を見合わせて、笑みを交わした。
王宮でそんなやり取りがされていることなど露知らず、ナディアは、宿を探すことにした。
大通りにある宿はどこも高くて、食指が動かない。しかし、今は報酬として受け取った金貨が懐にあるので、下手に安い宿を選ぶと、盗まれる可能性がある。
ミゲルを預けられる馬小屋のある宿となると、そう多くはない。
大通りから一本入った場所にある、妥協できる程度の値段の宿を見つけて入った。前払いで一泊分の宿賃を支払うと、馬小屋で働いていた男にミゲルを預ける。
受付で部屋の鍵を貰い、教えられた部屋で足を伸ばしてみたものの、どうにも落ち着かない。
せっかくなのでナディアは街を歩いてみることにした。
(すごい人の多さだ)
ナディアは通りを歩きながら、王都の人の多さに辟易(へきえき)していた。田舎者には、右を見ても左を見ても人という環境は息苦しさを感じてしまう。大通りから逃げ出すように、一本道を入って少し人通りの少なくなった通りを歩いていると、武器屋の看板が目に入った。
(どんな武器が売られているんだろう?)
ナディアは好奇心から店の扉をくぐった。
王都で店を構えているだけはあって、田舎よりも格段に品揃えがいい。ナディアはナイフを買い足そうと手に取った。
(こんなものか……)
ナイフを手にとり、刃を光に当ててみる。どうやら品揃えはいいが、質はそれほどでもないようだ。
「どうだ、気に入った品はあったか?」
突然声を掛けられ、ナディアは驚きに手にしたナイフを取り落としそうになる。
(この老人、全く気配を感じなかった。ここまで気配を感じさせないとは、この人は只者じゃない)
ナディアは物珍しさに緩んでいた気を引き締めなおした。
老人はかくしゃくとした足取りで、ナディアに近づいてくる。
「そうですね。なかなかいい物をそろえていると思いますよ」
「だが、お主が求める品ではないと」
「まぁ……、そうですね」
ナディアの言葉に老人は笑った。
「ははは。正直者じゃの。こっちだ」
ナディアは老人が指し示した奥の部屋に足を向けた。
そこには店の表には並べられていない、上質な武器がいくつも並べられている。ナディアは思わず武器に駆け寄る。
(これは! かなりの業物(わざもの)だ!)
目を輝かせるナディアに、老人は嬉しそうに笑みを刻んだ。
「気に入ったものはあったかの?」
ナディアは購入しようと思っていた投擲用ナイフのほかに、短剣を指さした。
「そうだな。金貨五枚というところかのぉ」
「ええっ! そんなに?」
田舎では金貨が一枚あれば、ひと月は暮らせるほどの価値を持つ。五枚ともなればかなりの出費だが、命を預ける道具に金を惜しむなと教えられてきたナディアは、その値段に購入をためらった。
「こっちは趣味でやっているようなものだからな。儲からなくても、いいんじゃよ」
懐が温かいいまならば、払えない金額ではない。ナディアは素早く計算すると、懐から金貨を取り出した。
「まいどあり」
老人はにっこりと笑みを浮かべて、品物をナディアに手渡す。
「わしはベッキオという。これからも御贔屓(ごひいき)に。嬢ちゃん」
初対面で性別を見破られ、ナディアは軽い驚きを覚えていた。
「こちらこそ」
(なかなか王都にはいろんな人がいるものだ)
ナディアはベッキオに向かって無邪気な笑みを返し、足取りも軽く店をあとにした。

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました