一. 家出娘、活躍する

「父上、正気ですか?」
ナディアは驚きに青い目を見張った。父マウリシオが手にしているのはベネディートの英雄と取り交わした契約書だった。
かつて、三年戦争とよばれた隣国との戦の折、戦いを終結へと導いた兵士がふたりいた。そのうちのひとり、ベネディートの英雄と呼ばれたマウリシオは大真面目な顔で答えた。
「そう言うことで、お前には婚約者がいるから。来年には結婚式を挙げてもらう」
契約書には、もうひとりのベネディートの英雄であるフェリクスの名が記されていた。
互いに子供が生まれ、性別が異なった場合は結婚させること。性別が同じ場合はその子孫の代に契約は持ち越されること、とある。
「父上、いくら病に罹(かか)ったからと言って、唐突すぎます」
ナディアは精一杯の抗議を込めて父を睨みつける。
「これは決定事項だ!」
「もう、家出してやる!」
ナディアは扉をたたきつけるようにして、部屋を飛び出した。足早に自室へ戻りながら、頭のなかに計画を描き始める。
(そういえば……)
ナディアが幼いころ、人買いに攫(さら)われそうになった時に、助けてくれた騎士が王都に居るらしいと最近聞いた。
(そうだ、ちょうどいい。王都へ行こう!)
ナディアはゆったりと波打つ、長い金髪をうしろで一つにまとめる。
女性にしては長身の部類に入るだろう。肉感的ではないが、すらりとした肢体は儚げでありながら、俊敏な動作が彼女の印象を溌剌として見せている。中性的な顔立ちの中で、薄い青色の目が強い意志を主張していた。
ナディアは必要な荷物を袋に詰め、愛用の剣を腰に佩き、馬小屋へと向かう。
幼いころから世話をしてきた愛馬のミゲルに鞍をつけ、その背に軽々とまたがる。足で腹を押さえてミゲルに歩きだす合図を送ると、ナディアはその身一つで王都へ向って旅立とうとしていた。
「お嬢様~! お待ちくださいませ~!」
ナディアが城から飛び出すのを、目ざとく見つけた家(か)宰(さい)のルカスが叫んでいた。
「ちょっと王都まで言ってくるー! 来年までには戻るからー!」
ナディアはちょっと近くに出かけるのと同じほどの気軽さで叫ぶと、ミゲルの速度を上げた。
「王都はちょっとの距離じゃありませーん!」
ナディアは悲壮な顔で叫ぶルカスの言葉を、聞こえない振りでやり過ごす。
(ルカス、すまないが父上を頼むぞ)
こうしてナディアは生まれ故郷である辺境のベネディート領を離れ、一路王都へ向かって進み始めた。
旅を初めて三日目、宿を発ったナディアはミゲルの背に乗り、順調に王都への道のりを歩んでいた。
「今日も、無事進めるといいな~」
ナディアはミゲルに向かって話しかける。手綱を緩め、ミゲルの思うままに街道を駆けさせる。
しばらく進んだところで、ナディアは先方で砂煙が上がっている様子に気づいた。
(物盗りか……)
ナディアは治安の悪さにため息を禁じえなかった。
ナディアの父が治める辺境の地は、領主としての父のたゆまぬ努力のおかげで、これほどまでに治安は悪くなかった。
もっとも、辺境の地であるがゆえに、盗賊にとって魅力的な獲物となる物が少ないだけかもしれないと、ナディアは苦笑する。
目の前では、立派な馬車を取り囲んだ野盗たちが、護衛を斬り伏せ、今まさに馬車の扉に手をかけようとしていた。
馬車の中からは女性の悲鳴が止むことなく上がっている。
いく人かの護衛は野盗と切り結んでいるが、じょじょに馬車から引き離されようとしていた。
(あれでは護衛の意味がない)
舌打ちしたナディアは、懐から携帯していたナイフを取り出すと、盗賊に向かって投げつけた。
ミゲルの手綱を引いて、馬車へと近寄せる。
仲間がナイフに倒れたことに気付いた野盗のひとりが、ナディアに向かって襲いかかる。ナディアは腰の鞘から剣を引き抜くと、斜め下に構えてミゲルをさらに進ませた。
すれ違いざまに盗賊を切り捨てる。血しぶきを上げながら、盗賊はゆっくりと地面に倒れ伏した。
倒れた盗賊の脇を駆け抜けると、ナディアはミゲルの首を反転させて、再び馬車の方へ近づいた。
「ぅおおおおお!」
またひとり、襲い掛かってきた盗賊を、ナディアは冷めた表情を変えることなく切り捨てる。
「これ以上、攻撃を続けるならば、全て切り捨てる!」
わずかに残った盗賊たちはナディアの声に完全に圧倒されていた。
「ずらかるぞ!」
盗賊たちはわれ先にと、転びそうなほど慌てて逃げ出した。
ナディアは馬上に留まったまま、盗賊のうしろ姿を見送った。
自分が兵を率いている身であれば、このまま盗賊を追跡し、根絶やしにするところだが、単騎で追いかけるわけにもいかない。ナディアはしばらく周囲を警戒していたが、もう盗賊が襲ってくることはなかった。
ナディアはミゲルから飛び降りると、剣に付いた血を振り払って落とした。腰につけていた布で剣についた血を拭き取り、鞘にしまう。
先ほど投げたナイフを回収がてら、地面に倒れている盗賊を縛り上げる。回収したナイフも同様に丁寧に拭き、懐にしまった。
ナディアがゆっくりと馬車へ近づくと、馬車から引き離された護衛たちが戻ってきていた。助けに入ったナディアの姿に気づいて、口々に礼を述べはじめる。
「気にしないで。たまたま通りかかっただけだから」
ナディアの性格から、盗賊に襲われている者を黙って見過ごすことはできなかっただけだ。わざわざ礼を言われるほどのことでもない。
ナディアはミゲルの手綱を引き、その場を立ち去ろうと鞍に手を掛けた。
護衛たちが慌ててナディアを引きとめようとする。
「お待ちください! 主が礼を述べたいと申しております」
「めんどくさいからいいよ」
馬車の造りからみて、持ち主の身分はかなり高そうに見える。厄介ごとの予感に、ナディアは内心でため息をつく。
「そんなことはおっしゃらずに、どうか」
(護衛も大変だなぁ)
しぶしぶ馬車の所へ戻ると、馬車の中から極上の美少女が飛び出した。
「わたくしが礼をしたいと言っているのに、めんどくさいとはどういうことですか!」
豊かな金髪を波打たせ、大きな緑色の瞳をさらに大きく見開いて、少女は高飛車な態度でナディアに詰め寄る。
「あなた、名前は?」
「ナディ」
きちんと名乗るのも面倒で、ナディアは偽名を名乗る。
「わたくしはマルティナ・デル・イグレシアス。この国の王女よ!」
特大の厄介事の予感に、ナディアはげんなりとした。

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