二. ベネディートの英雄

カルバハルとイグレシアスの間に、地下資源を巡って戦端が開かれた。すぐに決着がつくかと思われた戦は三年もの長きにわたり、両国の国力を疲弊させていた。
のちに三年戦争と呼ばれる戦いは、カルバハルがイグレシアスの産出する豊富な地下資源を求めて起こした戦争だった。
イグレシアスの国境付近の領地を治めるベネディート辺境伯も、老いた身ながら剣を取り、両国の戦争を一日でも早く終わらせるために尽力していた。老獪(ろうかい)なベネディート辺境伯の力をもってしても、襲い来るカルバハルの兵を退けることは叶わず、とうとう王都への増援を要請することとなった。
王都から差し向けられた増援の騎士の中に若き騎士フェリクスとマウリシオはいた。小隊長にすぎないふたりの戦いぶりを見たベネディート辺境伯は、すぐにふたりを大隊長へと抜擢し、前線に配置した。冷静な判断力を持つマウリシオと、勇猛果敢なフェリクスは大隊を率いて次々と敵兵を屠っていく。ふたりはその地位に見合うだけの力を発揮し、劣勢だった国境を回復するまでに至った。
ここに至ってようやくカルバハル側から停戦の申し入れがあり、両国の間には平和協定が結ばれた。
ふたりはベネディートの英雄として王都へ凱旋した。ひとりは騎士団の団長として任じられ、もうひとりは老いたベネディート辺境伯に代わって新たな辺境伯として任じられた。
王からベネディート辺境伯に任じられたマウリシオは、ベネディート領へと旅立つ前に、共に戦場を駆けたもうひとりの英雄と酒を酌み交わしていた。
「なあ、お前に娘が生まれたら嫁にくれ」
だいぶ酒も進んだころ、マウリシオはフェリクスにそう切り出した。
「いやだ、お前こそ娘が生まれたら嫁によこせ」
酔いに頬を赤らめつつ、フェリクスはさらに盃をあおった。
互いに同じことを主張するふたりに、周囲は笑いながらも折衷案を提案する。
「それじゃ、娘が生まれたら嫁にやるってことでいいじゃないですか」
長きにわたり副官を務めている男の言葉に、ふたりは頷いた。
「そうだな。俺に娘が生まれたら嫁にやる。だけど、もし両方とも息子だったらどうする?」
「そんときゃ、息子に娘が生まれるまで待ってやる」
豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な性格のマウリシオらしく、鷹揚にうなずく。
「なるほど。しかし、娘しか生まれない可能性だってあるぞ」
「そんときゃ、婿を貰えばいいだろう」
盛り上がったふたりは冗談で契約書まで作ってしまった。互いに一通ずつ契約書を胸に、ふたりは別れを告げた。
「また、会おうな」
「ああ、どっかでな」
マウリシオは二度と王都の地を踏むことはないと知っていた。
英雄がふたりも王の近くにいれば、民衆は惑う。もともと高位貴族の血を引くフェリクスであれば、騎士団長という騎士の頂点に据え、王の配下であることを示せば周囲は納得するだろう。
だが、下級貴族でしかないマウリシオを王の近くに置くこともできず、さりとて英雄と呼ばれるほどの活躍をした者に、褒美を与えぬわけにはいかない。
ベネディート辺境伯の後継が存在しなかったことは、王にとっては好機だった。
マウリシオは辺境に向かって一歩を踏み出す。
英雄はひとりでいい。王の存在を脅かす者がふたりもいてはならない。
マウリシオは己の分を知っていた。
そうして共に戦場を駆け抜けたふたりの英雄は光と影のように存在を分かたれた。
新たに辺境伯となったマウリシオは王から勧められた貴族の娘と結婚した。辺境伯という王族に次ぐ身分こそ与えられたものの、国境に接する領地を治め、国を守る大義を担わなければならない。
決して楽な仕事とは言えなかった。
政略で結ばれたマウリシオと妻の仲はそうとは思えないほど良好なものだった。跡継ぎとなる男児が生まれ、その数年後には娘も授かった。
けれど、マウリシオの妻は娘を産んですぐに流行病にかかり、看病の甲斐もなく儚くなってしまう。さらに追い討ちを掛けるように跡継ぎであった長男も同じ病で亡くなり、マウリシオに残されたのは生まれたばかりの幼い娘ただひとりだった。
妻と息子を同時に失ったマウリシオは、戦場を駆けた英雄とは思えないほど憔悴(しょうすい)した。仕事にのめり込み、酒におぼれ、家に帰らない日々が続いた。
そんなマウリシオの噂を聞きつけたかつての盟友は部下を辺境へと遣わした。マウリシオの副官を務めていた男は、流行病に襲われたベネディート領を立て直すべく奔走していたマウリシオを現実に向き合わせた。
残された幼い娘が、街の診療所で働いているところを人買いに攫われそうになった姿を見て、ようやくマウリシオは正気を取り戻した。もしかしたら娘まで失っていたかもしれないのだ。
幸い、娘はかつての副官と共にやって来た騎士見習いによって助けだされ、大事には至らなかった。
けれどこの事件はマウリシオの心に大きな傷を残した。
マウリシオは生活態度を改め、娘を大事にするようになったのだが、その親心はどこかずれていた。
娘が二度と失われる心配のないように、剣術と体術を教え、自らの知識と技を徹底的に仕込んだ。馬に乗り、野原を駆け回る娘は元気すぎるほど健康に育ったが、とても貴族の子女として通用するとは言えないようなお転婆に成長した。
今ではマウリシオから三本に一本はとれる剣の腕を持ち、辺境伯の部下たちを従えるほど慕われるようになってしまった。
これでは嫁の貰い手が無くなるのではないか。
マウリシオが自分の教育方針の間違いに気付いた時には、娘はすでに結婚適齢期と呼ばれる十六歳を過ぎていた。
鍛えられた体に余分な脂肪は一切なく、マウリシオの長身を受け継いだのか、女性とは思えないほどたくましく成長してしまった。
頭を抱えたマウリシオの脳裏に冗談で交わした契約がふとよぎる。
(こうなったら、あいつになんとかしてもらおう)
マウリシオは娘の将来について悩むことを諦めた。
そうして数年の時が過ぎ、いつしか娘のナディアも十八歳になっていた。

そろそろ婿でもとってやれば、ナディアは立派に俺の後を継いでくれるだろう。俺の後継ぎに相応しいのはナディアしかいない。
だが、この国の王はそう簡単に若い女に辺境伯を継がせてくれないだろう。しっかりとした後ろ盾のある婿がいれば、あるいは……。
問題はその婿をどうするかだ。
俺の体が動くうちはいい。
ナディアには早めに後継ぎを生んでもらって、親を安心させてほしいというのは俺の勝手な願いなんだろうな。
だが最近どうにも体が重く、朝もすんなり起きられない日が増えてきた。体の丈夫な事だけが俺の取り柄なのにいったいどうしちまったんだ?
国境の砦にいる辺境軍の軍医に診せたら、この先長くないと言われちまった。もっても一年から二年だとさ。
こりゃまずい。はやくナディアに後を継いでもらわねえといけねえ。
あせった俺はフェリクスに相談の手紙を送った。返事はすぐに返ってきた。
あいつの所は三人も息子ばかり生まれたらしい。そのうちひとりを婿にやってもいいという。
これは願ったり叶ったりだ。
あいつの息子なら実力的にも問題ないだろうし、ちゃんとナディアを支えていってくれるだろう。騎士団長の息子ともなれば、王もうなずかざるを得ないはずだ。
ナディアに許嫁が決まったぞと話したら、何が不満なのか家を飛び出しやがった。行動力のあるところはさすが俺の娘と言いたいところだが、今は少しばかり時期が悪い。
最近カルバハルのやつらがまた欲を起こして、ちょっかいを出そうとしているらしい。副官のオスバルドが砦からしょっちゅう報告書を送ってくる。
俺の体が自由にならないこんなときに、ナディアが抜けるのは正直ちと辛い。
ナディアが来年までに戻るというなら、なんとかなるか……。
おい、ナディア。俺が伝えられることはすべて、お前に教えたつもりだ。戦い方、馬の乗り方、部下を預かる責任。どれをとってもお前は優秀な生徒だった。お前になら辺境を安心して任せてもいいと思う。これはお前にとって最後の自由な時間かもしれねえ。せいぜい楽しんでこいよ。
俺がかつてフェリクスと出会ったように、お前にも出会いと別れがあるだろう。それも一つの経験だ。お前の剣の腕はいいから、どこへ行っても不自由はしねえはずだ。
この広い世界を見て、いろんな人に出会い、守りたいものを見つけてこいよ。何のためにお前の力があるのか、誰のために戦うのか。ただ力があればいいってもんじゃねえことを、俺は老ベネディートから学んだ。おまえにもそんな出会いが訪れることを願っておいてやるよ。

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