次の目的地を黒の森手前にあるエルトの街とした栞たちは、ゆっくりと、だが確実に進んでいた。
「前方、百フェルト先に反応有り」
レイモンドが魔法で魔物の存在を教えてくれる。
栞はバグ退治に対する心の準備ができることに感謝した。フェルトはこちらでの距離の単位だ。一般的な足の大きさと聞いて、栞はフィートを想像した。百フェルトだと三十メートルくらいか。
栞は慎重に足を進めた。
ガサリと音を立てて揺れた茂みから姿を現わしたのは、ポニーのような小型の馬のような魔物。
これまで遭遇してきた魔物よりも若干大き目なそれを目にして、栞はひるんだ。
栞の隣では、レイモンドが小さな杖(ワンド)を手に呪文を詠唱する。短く発せられた声は、すぐさま攻撃プログラムとなって、魔物に向かって飛んでいく。
バチッ!
破裂するような音と共に、青白い稲妻が獣の周りを取り囲むように煌めく。
がくがくと崩れ落ちる身体に、栞は安心した。どうやらレイモンドが使った魔法はスタンガンのような効果があるらしい。すっかり麻痺して動けなくなっている魔物に栞は近づく。
栞が近付いたことで、魔物からプログラムが現れる。栞は手をかざしてそれらを消去すると、見た目はちょっと大きなだけの馬に外見が変化していく。
栞の技量を観察していたレイモンドが、口笛を吹いて称賛を送った。
「ありがとうございます。助かりました」
「いや、調停者とはすばらしい技能の持ち主だ。魔物化した獣を元に戻すことができるとは、この目で見るまで信じられなかった」
「でも、レイモンドさんのお蔭でとてもやりやすくなったのは確かです」
エドワードは渋々ながらも頷いている。出番がないリアムは若干不満がありそうだが、旅が安全であることに越したことはない。
「後方に反応が三つ、すぐに来る」
真剣な顔つきでレイモンドが告げると、荒い息遣いと足音が近づいてくるのが栞にもわかった。
リアムは駆け出すと栞の前に立ちふさがる。エドワードは錫杖を掲げ、素早く守りの防壁を作り始めていた。
「ギャウゥン!」
勢い余ったマッドウルフがエドワードの作った目には見えない防壁にぶつかり、もんどりうっている。
レイモンドが手にした杖を振れば、氷の刃がマッドウルフめがけて降り注ぐ。
「ガゥ……」
栞は近づくと、三匹のマッドウルフに対して同時にプログラム消去を試みた。
とにかく消せばいいんだから!
栞は無我夢中で手先を操り、マッドウルフたちに取りついたバグを消去していく。エドワードの作った防壁のお蔭で、マッドウルフが栞たちに近付くことはできない。
シオリがバグを退治し終えて振り向くと、剣を手に前方を警戒しているリアムの姿が目に入る。
仲間たちと栞の連携プレーは徐々に精度をあげ、バグ退治にかかる時間も短縮されていた。
気を失っていたマッドウルフはただの狼に戻り、しばらくすると立ち上がり、足を引きずる様子を見せながらも茂みの向こうへと姿を消す。その様子を見届けて栞は皆と笑顔を交わした。
そんなことを何度か繰り返し、日が傾き始めた頃、リアムが今日はここまでにすると宣言した。
「え? 外で寝るの?」
野営を覚悟していなかった栞はがっくりと肩を落とした。
キャンプなど、高校の合宿以来だろうか。
生粋のインドア派と言ってもいいほど、外へ出る事の無い栞にとってはかなりハードルが高い。それでも栞以外のメンバーはてきぱきと野営の準備を始めている。
エドワードは魔物よけの呪いを唱え、辺りに魔物が近寄らないように仕掛けを施すと、栞の方へ戻ってくる。
「何をすればいいの?」
「シオリさんは魔物退治で疲れているでしょうから休んでいてください。僕たちが夕飯を用意します」
そうエドワードに言われてしまえば栞は黙ってみているしかない。
リアムが熾したたき火に当たりながら、栞は夕飯の準備が調うのを漫然と待っていた。レイモンドは荷物からパン生地を取り出し、たき火の上に置いたフライパンの上でナンのようなパンを焼き始める。
辺りを漂い始める香ばしい匂いに、栞のお腹が素直に反応してぐうぅと鳴った。
材料を刻んでいたエドワードが鍋に材料と水を入れ、スープを作っている。そこへたき火の材料となりそうな小枝を拾ってきたリアムが加わる。
「シオリさん、どうぞ」
「ありがとう」
疲れていた栞は口を開くのもおっくうになり、小さな声で礼を言うと差し出されたスープの椀を受け取った。疲れた身体に塩気の効いたスープがしみわたる。レイモンドが焼いたパンをスープに浸しながら食べ終えると、辺りは夕闇に包まれていた。
「明日も早いから早めに寝た方がいい」
レイモンドの助言に栞は頷くと、リアムが鞄から出して準備してくれた天幕へ潜り込んだ。男性陣はもう一つの大きな天幕で眠るらしい。
栞は地面の上に延べられたシートの上に、寝袋引いて横になる。
あ、着替えなきゃ。
栞は疲れた頭の片隅でそう思いながらも、襲い来る睡魔に身を委ねた。
栞が天幕で寝入ったことを確認した男性陣は、たき火を囲んでにらみ合っていた。
「それで? どうしてわざわざ野営にしたのかな?」
レイモンドが不機嫌な様子を隠そうともせずリアムとエドワードを睨みつける。
「ここなら話が漏れる心配もない」
淡々と答えるリアムに、レイモンドはため息をついた。
「そうまでして話さなければならないのは、シオリさんのことだろう?」
「そうです」
エドワードが答えると、たき火のぱちりと爆ぜる音が夜のしじまに響いた。
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