8. 王都での生活

そろそろ王都に着いて一カ月が過ぎようとしていた。

ナディアは思ったより騎士団での生活が楽しいものであることに、嬉しい驚きを感じていた。

(ご飯は美味しいし、ちゃんとしたベッドで眠れるし、訓練も楽しい。このままここで過ごせたら楽しいだろうなぁ。副団長もすごくいい人だし……)

辺境伯の娘として育ったナディアは、絶えずその地位に相応しくあるために厳しく育てられた。父に代わって部隊を指揮する時も、その任が務まるのか、判断は間違っていないのか、という兵士たちの視線に晒され、部下を預かる者としての緊張と重責が付きまとう。だが騎士団に居る時のナディアはただの騎士見習いのナディで、少々腕が立つというだけのものでしかない。ありのままの自分で居られる場所に、ナディアは生まれて初めてと言っていいほどの解放感に包まれていた。

それに、これまで同性の友人をもったことが無かったナディアにとって、女性騎士との交流は非常にありがたかった。特に仲良くなったのは最初に宿舎を案内してくれたアリシアだった。

今度の休日に二人で出かける約束をしている。

友人と買い物するという初めての体験に、ナディアは胸をわくわくさせて休日を待ち焦がれていた。

 

 

 

「ナディ、準備できた?」

「今行く」

ナディアは何を着ていけばいいのか分からず、ずっと鏡の前で悩んでいた。女性らしい服は一着もなく、もういつもの服装でいいかと思い始めた時に、アリシアに声を掛けられた。

アリシアは女性らしく線の柔らかな服を着ている。それでも騎士として振る舞えるように動きやすそうな服装であることは確かだ。

「ナディ、貴女そんな服しか持ってないの?」

「ああ、まずいかな?」

「貴女が好きで身につけているならいいのよ」

「うーん、好きかどうかわからない。今まで服を選べるような環境になかったからなぁ」

「まあ、もったいない。じゃあ、最初の行き先は服屋で決定ね!」

「よろしくたのむ」

アリシアはナディアと腕を組んで歩き始めた。騎士団の門をくぐり城下町へと繰り出す。友人と買い物をするという初めての体験にナディアの胸は、わくわくといつもよりも早い鼓動を打っていた。

しばらく大通りを歩いていくと、アリシアが足を止めた。

「ここよ」

大きな店構えで、ショーウィンドウには可愛らしい服が並んでいる。普段のナディアならばまず近寄らない店だ。戸惑うナディアをよそに、アリシアはさっさと店の扉をくぐってしまった。ナディアも引っ張られるようにして店へと足を踏み入れた。

「ようこそ、アリシア様」

早速女性店員が声を掛けてくる。

「こんにちは。今日は私の服を買いに来たのではないの」

「ではお隣のお嬢様の服をお求めに?」

「どうしてわかったの?」

ナディアは思わず驚きに声を上げた。

店員はナディアに向き直ると丁寧に挨拶を述べた。

「ようこそ、当店へ足をお運びいただきありがとうございます。お嬢様の質問は、なぜお嬢様が女性だとわかったのかという意味でしょうか?」

「そう」

ナディアは頷いた。

「それは私も知りたいわ。最初に見た時、てっきり男性だと思ったんだもの」

「大したことではございません。女性と男性では骨格が異なります。また歩き方が違いますの。男性は踵から地面に足を着くことがほとんどなのですが、女性はつま先から着く方がほとんどです。ですから意外と簡単に見分けられますのよ」

(なるほど)

ナディアは専門家の視点に改めて驚いた。アリシアも興味深く聞いている。

「ふうん。参考になった。ありがとう」

「いいえ、ではこちらへどうぞ」

ナディアとアリシアは腕を組んだまま店の奥へと案内された。

アリシアは壁に掛けられた服を物色しながら、ナディアに似合いそうな物を選んでいる。ナディアはどうしたらいいのか分からず、壁際に置かれた椅子に座ってアリシアの様子を眺めていた。

店員がナディアに近付いてくる。

「どのような服がお好みですか?」

「正直、こういう店で買い物をするのは初めてなんだ。好みと言われても、よくわからないがとりあえず動きやすい格好……かな?」

「まあ、もったいない」

店員はさっさといくつかの服を見つくろうとナディアの前に並べた。

「この中でお好みのデザインはありますか?」

(う~ん。どこがどう違うのか私にはさっぱり分からない)

ナディアは仕方なく一番飾りの少なそうな物を指さした。

「なるほど。ではこちらを試着してくださいませ」

ナディアは店員に試着室へと追い立てられた。仕方なくいわれるまま渡された服に着替えようとすると、店員が試着室へと入ってくる。

「な、何か?」

「やっぱり。なんてこと!胸をそんな物で締め付けるなんて」

店員はさらしのまかれたナディアの胸を見ると、叫びながら試着室を出て行った。

(なんだったんだ?)

ナディアは首をかしげつつ、渡された服に袖を通した。鏡に映った自分は確かに女性に見える。ナディアは服装一つでここまで変わるものかと感心していた。

試着室の外からアリシアが声を掛けてきた。

「ナディ、入るわよ?」

「ああ」

「まあ、素敵じゃない」

「そうか?少しは女性らしく見えるな」

「何言ってるの! ナディはちゃんとした服を着ればすごく綺麗よ。ちょっと待ってなさい」

ナディアの言葉はアリシアの闘志に火をつけてしまったらしい。

試着室に取り残されたナディアはアリシアが戻ってくるのを待っていた。ちょうど、先ほど出て行った店員も包みを手に戻ってきた。

「こちらに着替えて下さい」

店員は女性用の胸当てを差し出した。

「これ何?」

「胸当てです」

「どうやってつけるの?」

ナディアの言葉に店員は絶句した。しばらくして立ち直った店員が静かにナディアに問いかける。

「お嬢様、今まで下着はどちらで購入されていましたか?」

「家では家宰が全て用意してくれていた。自分で買いに行ったことは……ないな」

「あんまりですわ。胸をその様に締め付けていると、形が崩れてしまいます。今は私がつけて差し上げますので、次からは御自分でできるように見ておいてくださいませ」

「わかった」

ナディアは抵抗を諦めて、店員に全てを任せた。

上着を脱ぐと胸に巻かれたさらし一枚の姿となる。ナディアは手際よくさらしを解くと、形の良いささやかなふくらみが露わとなった。

「まぁ、もったいない」

店員が嘆いているが、もはやどうでもよくなったナディアは店員が胸当てを着せつける所を黙って見ていた。

「これでいいですわ」

店員が合格を告げると、ナディアは自分の目を疑った。

(ちゃんとふくらみがある!)

初めて見る自分の女性らしい姿に、ナディアは茫然としていた。

「ナディ、これを着てみて!」

アリシアが服を抱えて入ってくる。目に入ったナディアの下着一枚の姿にアリシアも驚いている。

「どうしたの?」

「アリシア様、こちらのお嬢様は今まで胸当てをつけた事がないということで、わたくしがつけさせて頂きました」

「ええっ! ナディ、胸当てをつけてなかったの?」

「そんなに驚くこと?」

「いったいどんな生活をしてたのよ~」

アリシアの呆れた様子に、さすがに危機感を覚えたナディアは今度下着を買いに行くことを胸に刻んだ。

「まあ、いいじゃないか。それより服を選んでくれたんだろう?」

「そうよ!これを着てみてね」

アリシアから山のような服を渡され、ナディアは今度こそげんなりした。

結局、アリシアの言われるままに服を着たり脱いだりして、思いのほか時間がかかってしまった。アリシアが選んだ中から自分でも違和感のなさそうな組み合わせを二、三着購入すると、店を出た。

既に時刻は昼ごろになっていた。

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