9. 家出娘、暴れる

アリシアが選んだのはおしゃれな雰囲気のカフェだった。食堂くらいしか縁のなかったナディアにとってはかなり衝撃的だった。初めての体験にナディアは興奮を隠せない。

(ああ、これも美味しそう。こっちも捨てがたい~)

どれもこれも美味しそうで、メニューを眺めながらずっと悩んでいるナディアを見かねたアリシアが代わりに注文を済ませる。

「すまない」

「いいのよ。とりあえず私のお勧めを頼んだから、足りなければ今度は自分で注文してね」

「うん。ありがとう、アリシア」

わくわくしながら足をぶらぶらさせて、料理が出されるのを待っているナディアの様子に、アリシアが急に抱きついた。

「あ~ん、ナディって可愛い」

「は?」

ナディアは訳が分からずどう反応を返していいか分からない。

「ナディっていくつなの?」

「十八です」

「あら、もっと大人かと思ってたわ」

「アリシアは……」

「女性に年齢を尋ねるものではないわよ」

「ちょ、アリシアが聞いたんでしょう?」

「私はいいの」

そんなやり取りをしている間に、料理が席に運ばれてきた。

白い湯気を立てている肉のシチューに、焼き立てのパンが添えられている。ナディアはすぐに口をつけた。柔らかくなるまで煮込まれた肉が、口の中で解けていく。野菜から染み出た出汁が効いていて、ナディアは美味しさにうっとりと食感を楽しんだ。

「おいし~」

ナディアの幸せそうな様子に、アリシアもつられて微笑むと自分の皿に手をつけた。

焼き立てのパンは外側がカリッとしているが、中はふんわりと柔らかくほのかな塩味を感じる。ナディアはパンとシチューを交互に食べ終えると、追加でミルフィーユステーキを注文した。

薄くスライスされた肉を重ねて焼いたステーキが席に届くと、あっという間に平らげてしまう。アリシアはあっけにとられた様子で、ナディアの食べっぷりを見守った。

ナディアの腹がようやく落ち着いて食後のコーヒーを楽しんでいると、アリシアが感心した様子で話しかけてくる。

「ナディって本当によく食べるのね」

「え、普通じゃないの?」

(辺境では皆これくらい食べていたけど?)

「う~ん、ちょっと多いと思うわ。それなのにちっとも太らないし、羨ましい」

「私はこれくらい食べないと体がもたないから」

「ねえ、午後からはどうする?」

「あ、そうだ。アリシアと行ってみたい武器屋があるんだけど」

「武器屋……。女性同士で行く場所ではないけれど、まあいいか」

行き先が決まり、二人は会計を済ませて店を出た。ナディアは王都に着いた日に見つけた武器屋に向かって歩き始めた。

大通りから一本道に入ったところで、数人の男たちがたむろしている。あまり良くない雰囲気を感じて、少し離れた場所を通りすぎようとすると、二人は前を塞がれた。

「そっちの姉ちゃん、俺らとつきあってくれないかなぁ」

「ナディ、行きましょ」

アリシアがナディアの腕をつかみ、通り過ぎようとした。

しかし、再び前を塞がれる。

(あぁ、面倒くさい)

ナディアはげんなりとしながら、ため息をついた。大方自分を男だと勘違いしているのだろう。身長の割に女性らしくない体つきの為に、弱い者だと思われることが多い。刀を抜くほどの事でもないので、無視して通り過ぎることにする。

アリシアの腕をつかもうとした男たちの手をナディアは打ち払った。

「アリシアに触れるな」

途端に男たちの態度が荒々しい物に変化する。

「てめぇ」

(ああ~、やっぱりこうなるのか……)

ナディアはもっていた荷物をアリシアに押し付ける。

襲いかかってきた相手の力を利用して、ナディアは素早く相手を地面に転がした。アリシアも器用に下がって被害を避けている。

男の一人がナイフを取り出した。

(まずい。だが、こんなことで刀を抜くのも馬鹿らしい。どうしようか)

ナディアが悩んでいた時、助けの声が降りかかる。

「お前ら、その辺にしとけ」

「フロル!」

「副団長」

フロレンシオがごろつきどもの後ろに立っていた。フロレンシオの顔を見た男たちは一斉に恐怖の表情を浮かべ、慌てて逃げ出した。

「大丈夫か?」

「はい」

「問題ありません」

フロレンシオの問いかけに、ナディアとアリシアはそれぞれ答えた。

「無事でよかった」

フロレンシオは爽やかな笑みを浮かべた。

ナディアはアリシアに預けた荷物を受け取って、礼を述べた。

「アリシア、ありがとう。フロルも助けていただきありがとうございました」

「この辺はたまにああいう輩が出没するから、注意した方がいい」

「そうなんですか」

アリシアは感心した様子でフロレンシオを眺めている。

「そう言えば君達はどうしてここへ?」

「ちょうどアリシアを連れていきたい武器屋がこの先にあるんです」

「もしかしてベッキオ爺さんの店だろうか?」

「フロルもそこに用事ですか?」

ナディアは偶然に驚いた。

「ああ、ちょっと修理に出している剣があってそれを取りに行くところだ」

「じゃあ、副団長も一緒に行きましょうよ」

アリシアの誘いにフロレンシオは頷いた。

店の扉をくぐると、ベッキオ老がカウンターに座っていた。

「いらっしゃい」

ナディアの後ろから現れたフロレンシオの姿に、老人は眉を上げた。

「私たちは適当に見させてもらっていいかな?」

ナディアがそう言うと、ベッキオは快く店の奥へとナディアとアリシアを案内してくれた。店の表の方ではフロレンシオが老人とやり取りしている様子が漏れ聞こえてくる。

「ナディ、どうしてこの店を知っているの?」

アリシアは並べられた武器の数々に目を輝かせている。やはり彼女も騎士だけあって、武器にはこだわりがあるらしい。連れてきてよかったとナディアは嬉しくなった。

「王都に着いた日にたまたま見つけたんだ」

「そうなの」

夢中になっているアリシアをナディアは見つめながら、一緒に武器を吟味していると商談を終えたフロレンシオが入ってくる。

「こんな場所で会うとは思わなかった」

「私も、です」

「どうだ?騎士団の生活には慣れたか?」

「そうですね。思ったより楽しくて驚いています」

「そうか、良かった」

ナディアの言葉を聞いたフロレンシオは本当に嬉しそうに笑う。

「では、私は先に失礼するよ。気をつけて戻ってくることだ」

「了解しました」

「はい、フロル」

フロレンシオが去ると、アリシアも購入する物を決めたようでベッキオに話しかけていた。ナディアは助けられたことに感謝する気持ちと、悔しい気持ちが入り混じった複雑な気分でフロレンシオの後ろ姿を見送った。

「ナディ、お待たせ」

「いや、全然待ってないよ」

ナディアはベッキオに暇を告げると、アリシアと共に騎士団の宿舎へと戻る。二人ともそれぞれの成果を抱えて、満足と共に騎士団の門をくぐった。

夕食をアリシアと一緒に食堂で取りながら、自然と話題は今日の買い物の話に移った。

「そう言えば、ナディって副団長のこと名前で呼んでいるのね」

「ああ、最初に名前で呼べって言われたから」

ナディアは入団初日のことを思い返していた。

「副団長って冷たい態度で有名なのよ」

(えぇ? あんなによく笑うのに? あ、でも最初の案内の時は冷たかった気がする)

「冷たいのか?」

「そうよ。今日なんて笑っているところを見たからびっくりしちゃった」

アリシアは笑っている。

「そうなのか」

比較的自分の前では笑い顔をよく見る気がして、ナディアは首をひねった。

「も~、鈍いわねぇ。ナディ、副団長は貴女の事が好きなのよ」

「はぁ?」

(どうしてそういうことになる?)

「やっぱり!?」

周囲で食事を取っていた女性騎士たちも話の輪に加わってきた。

「私もそうなんじゃないかって思ってたのよー」

(初耳だ)

ナディアは会話についていけず盛り上がる騎士たちを後にして、食器を片付けようと立ち上がろうとする。しかし、アリシアに腕を取られて引き戻されてしまう。

「ちょっと、アリシア?」

「逃がさないわよ」

「えー?」

「ナディは副団長の事どう思ってるの?」

女性騎士に訊かれ、ナディアは改めて考えてみる。

「剣の腕が立つ、上司として尊敬できる、面倒見がいい」

「それって男として見てないでしょう?」

「男として?」

ナディアは首をかしげた。

「もう、ナディって恋愛したことないの?」

アリシアに訊かれたナディアは素直に答えた。

「うーん、無い、かも」

良くも悪くもナディアは幼い頃から男性に囲まれて育った。父の部下たちの話は男性の本音を知るいい機会となった。いつの間にか自分も男性のように振る舞うことで、父たちと同様に働けることを証明したかったナディアは女性らしさを切り捨ててしまった。

恋愛とはどういう感情なのか、ナディアにはまだ理解できていない。

「そのうちわかるわよ」

困惑するナディアの顔を見た御姉様方は優しく助言をして去って行った。

「そう言うものなのか?」

首をかしげるナディアにアリシアが頷く。

「そうよ」

ナディアは未だわからない感情について考えることを放棄した。

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