十一話

沙耶は身体を揺さぶられる感触に目を覚ました。覚醒と同時に身体の中心に熱を感じる。

(嘘……! ユーセフとまだ繋がってる?)

「……あぁ」

沙耶は自分の喉から洩れた声がかすれていることに気付く。

(そういえば、この国に来てからまともに眠れた記憶がない)

「サーヤ、口を開けて」

ユーセフの命令に従って口を開けると、水差しから直接水を煽ったユーセフが口移して水を飲ませてくれた。

「ん、っく」

呑みきれなかった水が顎を伝い、胸の間を滑り落ちていく。沙耶はその冷たい感触に身体を震わせた。

「ユーセフ、もう、無理……っあ」

抱え上げられた脚の付け根が痛み、脚は震えている。

沙耶が漏らした抗議の声に、ユーセフが分身を引き抜いた。

途端に襲われた喪失感に沙耶の胸が痛む。けれどそれは一瞬のことだった。

まともに動くこともできない沙耶をユーセフは素早くうつ伏せにすると、脚だけをベッドから下ろさせる。ユーセフは背後から沙耶に覆いかぶさった。

「ああっ!」

背後から貫かれた沙耶はくぐもった悲鳴を上げる。

熱い楔に貫かれ、沙耶は全身が満たされるような例えようのない幸福感を覚えた。

ユーセフは沙耶の指に自分の指を絡めて、ベッドに縫いとめつつ、腰を動かした。そのたびに沙耶の内部はユーセフを断続的に締め付ける。

果てはすぐに訪れた。

「サーヤ、ああ、サーヤ」

ユーセフが苦しそうな、それでいて耐えられないというように沙耶の耳元で掠れた声を上げた。

沙耶はユーセフの声を聞きながら熱い奔流に身を任せた。

 

熱い嵐が去ったあと、沙耶はユーセフに抱えられ、シャワーを浴びていた。

未だ足首に嵌められた鎖は繋がれたままだ。

ユーセフが身体を洗う優しい手つきに、沙耶は全てを忘れ、その身を預けてしまいたくなる。

バスタオルで丁寧に水気を拭われたあと、ベッドに戻った沙耶はぐちゃぐちゃだったシーツが新しいものに交換されていることに気がついた。

行為の痕跡を他人に見られたのだと思うと、沙耶は恥ずかしさにいたたまれなくなる。けれどユーセフは沙耶の拘泥(こうでい)に気付くことなく、平然としている。

(そりゃ、ユーセフはシークで王子様だもの。全てを他人に見られても構わないわよね)

沙耶はいささか面白くない気分を持て余す。

ユーセフは沙耶を抱きかかえて、綺麗になったベッドの上に横になった。彼は沙耶の至る所

にキスを繰り返す。沙耶の息はあっという間に荒くなる。

(このまま流されたら、だめだ)

「ユーセフは、わたしなんかのどこがいいの?」

沙耶は苦しい息の下から、ずっと思っていた疑問をユーセフにぶつける。

「ふふ、今更だな」

ユーセフはキスを中断して沙耶をじっと見つめた。

「サーヤはわたしの唯一の安らぎだ。今まで他のどんな女性にもこんな気持ちを感じたことはない……」

(ユーセフの唯一の女性になれないなら、虚しいだけなのに……どうしてこんなに嬉しいと思ってしまうんだろう)

「でも、わたしはユーセフの事を何も知らない。どんな仕事をしているのか、兄弟がいるのかも知らないのよ?」

「わたしはナショナルLPGというヘイダルの国営会社の役員だ。弟が一人いる。アサドという。今はNYへ商談に行っていて不在だ。父はこの国の国王で、母は二十年前に亡くなっている。他に知りたいことは?」

ユーセフは淡々と沙耶に訊かれたことに答えていく。

「ユーセフはわたしのこと、知りたくないの?」

「サーヤのことならば、ハサンに調べさせた」

思いもよらない答えに沙耶は言葉を失った。

(調べさせたって、探偵とか身辺調査とかそういうこと?)

沙耶の心に静かな怒りが湧きあがってくる。

「勝手に調べたの?」

「そうする必要があった。サーヤがわたしと一緒にいればどうしても危険に巻き込まれる可能性がある。ヘイダルは天然資源のお陰で豊かになったが、その富には偏りが存在する。サーヤとサーヤの家族を危険から守るためにはあらかじめ情報を得ておく必要があった」

「だったらわたしに訊けばいいでしょう?」

怒りにまかせて、沙耶は一番訊きたかった質問を口にする。

「ねえ、ユーセフ。あなたはいずれ、ほかにも奥さんを貰うのでしょう?」

「バカな! あり得ない! どうしてそんなことを?」

「だって……、ムスリムは複数奥さんがいるのが普通なんじゃないの?」

怒っていた沙耶もユーセフの剣幕に、恐る恐る彼を見上げた。

「わたしの妻はサーヤだけだ。これからも、ずっと」

見返すブラウンの瞳は真剣そのものだった。

(信じてもいいの?)

「必ず複数の妻を持たなければならないと言うことはない。昔はそうだったかもしれないが、今は複数の妻を持つ夫は少ない」

「そう……」

沙耶はその言葉を信じたいと思った。

 

ユーセフは沙耶に不実な男だと思われていたことに傷ついていた。それでも持ち前のプライドがそれを認めることを許さなかった。

(やはりサーヤはわたしがサーヤを愛するほどには、わたしを愛してはいないのだろう)

そう考えるだけで、胸のあたりが重く冷たくなる。

(勝手に繋いで、閉じ込めておいて愛されたいと思うのは傲慢なのだろうな)

ユーセフは自嘲しながら沙耶を抱き寄せた。

びくりと身体をこわばらせる沙耶に、ユーセフは安心させるように背中を撫でた。

「今日はもうしないから、抱き締めさせてほしい」

ユーセフの言葉に、沙耶はやがて力を抜いて身体を預けてくれる。ユーセフは温かで滑らかな沙耶の肌の感触に、再び欲望に火が灯るのを感じて苦笑した。

(このままではサーヤとの約束を守れそうにない)

それでも腕の中の温もりを手放すことはできなかった。抱きしめた沙耶の肌からは甘く、ユーセフを酔わせる香りが漂ってくる。

「アミール・ユーセフ、よろしいですか」

扉の外からハサンの遠慮がちな声が聞こえた。

邪魔をしないように言いつけたハサンが声を掛けてくるのだから、よほどのことが起こったのだろう。

ユーセフは舌打ちすると、沙耶からしぶしぶ身体を離した。ガウンを羽織ると、沙耶をベッドに置き去りにして部屋の外へ出る。

「何だ?」

ユーセフの地を這うような低い声は、そのまま彼の機嫌を現していた。

「申し訳ございません」

ハサンは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。

「陛下がユーセフ様をお呼びです」

「父上が?」

いつかは沙耶と結婚したことが父の耳に入るだろうとは思っていが、このタイミングで知られてしまったことを苛立たしく思った。

けれど国王である父の呼び出しを無視するわけにもいかない。

「わかった。すぐに準備を」

「かしこまりました」

ユーセフはハサンから離れ、沙耶のそばに戻る。すると、沙耶はぐったりと目をつぶりベッドの上で胎児のように丸くなっていた。

「サーヤ、すこし用事で出てくる。すぐに戻る」

「……うん」

沙耶の小さな返事を聞くと、ユーセフは慌ただしく陛下に面会するための支度を整えた。

ハサンが準備したカンドゥーラに袖を通し、グドラを正式な形に被る。

王の待つ部屋へ向かうと、ユーセフはすぐに通された。

そこには五十歳を超えたとは思えない、若々しい姿をした王の姿があった。

「ユーセフ、久しぶりだ」

「陛下もお元気そうですね」

「ああ」

鷹揚(おうよう)に頷くイスハーク・ビン・サルマーンは、ユーセフによく似た容貌に満面の笑みを浮かべていた。

「我が息子がようやく妻を娶ったと聞いてな……。祝福の声でも掛けてやらねばと思ったのだが……」

ユーセフはやはり、という思いで父の言葉を聞いていた。

「サーヤは異教徒であるため、残念ながら今は期限付きの結婚しかできませんでしたが、いずれお知らせしようと思っておりました」

ユーセフは内心を覆い隠して、イスハークと対峙していた。老獪な政治家としての父を侮れない。沙耶を守るためには慎重に事を運ぶ必要があった。

「ふうん。サーヤというのか、そのうち会わせてくれるのだろうな?」

「それはもちろんです」

イスハークは顎に蓄えられた立派なひげを撫でつけながら、ユーセフの顔を嬉しそうに見つめた。

これまで何一つ不自由することなく育てられた息子が、ようやく自ら求める者を見つけたことをイスハークは喜んでいた。

ユーセフには自分のように国に全てを捧げるような生活をしてほしくはない。幸い、自分には兄の息子たちという正当なる王位継承者が既に存在する。

イスハークの愛した妻はあっという間に自分の手を離れ、天に召されてしまった。それはいくら神の思し召しといえども、受け入れがたいことだった。

だから、せめて愛する妻の忘れ形見であるふたりの息子たちには、自由に生きてほしいと願っている。そして叶うことなら愛する人を見つけ、幸せな人生を送ってほしいと思っていた。

イスハークはユーセフのいないところで、息子の伴侶となった女性を品定めすることを決めた。

「ならばよい」

イスハークは手を振って、会見の終わりを告げた。

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