14.   潜入

コナーとの打合せどおりにノーフォーク公の別荘の裏口に回ったダイアナは、セキュリティシステムからの警告を受けることもなく、別荘への侵入に成功していた。あらかじめコナーにセキュリティシステムのハッキングをこの時間に実行するように頼んでいたのだ。

コナーの仕事の腕は確かだ。スムーズな滑り出しにダイアナの唇は弧を描く。怪盗アルテミスとして少々露出の多い身体の線にぴったりと沿った服を身につけ、ダイアナは物音ひとつ立てずに足を進める。

寒さが厳しくなるこの時期、別荘に人の気配はほとんどない。調べた限りでは、管理人夫妻が暮らしているだけで、絵画を盗み出すのはそれほど難しくないように思われた。

コンラッドはダイアナが奪還した絵画を受け取るために、別荘からすこし離れた場所で待機している。

ダイアナは下調べしておいたとおりの道順をたどって廊下を進んだ。

順調すぎて逆に恐ろしくなる。

しっかりと周囲に注意を払いながらも、ダイアナは絵画が保管されているはずの部屋に急ぐ。薄暗い廊下を突き進み、たどり着いた部屋の前で、彼女はノブに手をかけたまま扉を開けることをためらった。

(なんだろう? この嫌な予感は……)

この別荘に侵入したときから、ダイアナの本能は注意するように促している。もとより危険を冒さなければ、彼女の両親が残した遺産を取り戻すことができない。ダイアナは警告を無視して、扉を開いた。

完全に空調が管理されたその部屋には、多くの絵画が壁に並んでいた。光による退色を防ぐために窓はなく、人工的な照明がわずかに足元を照らしている。

夜目がきくダイアナは壁の明かりのスイッチに手を伸ばすことなく、父の絵を探してゆっくりと足を進めた。

大小さまざまな絵が壁にかけられている。だがこの中に、ダイアナが探しているものはない。ゆっくりと部屋を一周して、目的の絵画を見つけられなかったダイアナは目を細めた。

(どういうこと? コナーの調査が正しければこの部屋にあるはずなのに……)

あらためてダイアナは部屋をぐるりと見回した。

大きく息をついて気持ちを落ち着かせると、ダイアナは目を瞑った。この別荘の間取り図を脳裏に思い浮かべ、ここまでたどった通路と照らし合わせていく。ダイアナはかすかな違和感に目を見開いた。

この部屋の大きさが間取り図にあるよりも若干小さい気がする。

貴族の邸宅にはいざというときに備えて隠し部屋が作られていることが多い。この別荘も例に漏れず隠し部屋が作られているようだ。

ダイアナは部屋の端まで走ると、ゆっくりと反対側の壁まで歩いた。歩幅が一定になるように気をつけながら部屋の中を往復して確信する。

(やっぱり小さい! ……ということは!)

ダイアナは部屋の奥の壁に駆け寄った。壁に張り付くようにして、隠し部屋に続く扉を探す。注意深く眺めてみれば、かすかに壁と額縁の間の色が変わっている部分がある。

ダイアナはその部分に手を伸ばして触れた。指先に力を込めて額縁を横にずらすと、ぽっかりと隠し部屋に続く穴が口を開ける。

開いた入り口から慎重に足を進めたダイアナは、壁にかけられた絵に目を瞠った。

(これが……!)

森の中にある泉のほとりにはひとりの男性とも女性ともつかない人物が佇んでいる。その絵は神話に出てくる月の女神を描いたものだった。

ダイアナは自らの名前の由来となった月の女神の絵を、慎重な手つきで持ち上げ、壁から外す。

何の抵抗もなく壁から外した絵画を手にして、ダイアナはこみ上げる喜びに笑顔を浮かべた。

(やった……!)

不意にダイアナの脳裏をラファエルの姿がよぎる。

(こうして、絵画を取り返した以上、彼と会う必要はもう、ない……)

ラファエルと会うことがなくなると考えただけで、ダイアナの胸に痛みが走る。彼女は気づかぬうちに色が変わるほど強く唇をかみ締めていた。

(どのみち、彼が私の正体を知ったら、二度と会うことなどできない)

そこまで考えて、ダイアナはふと気づく。

(私は彼に自分のことを知ってほしいと思っている?)

両親を亡くしてから、ダイアナが心を許したのはコナーやコンラッドぐらいしかいない。どんな手段を用いても、代々受け継がれてきたものを取り戻すと決めたときに、ダイアナは特別な存在を作らないと心に誓った。誰かを好きになり、心を許せば、罪を犯してまでも取り戻そうとした決心が鈍ってしまうとわかっていた。すべては、父と母とのつながりである遺産のすべてを取り戻したあとのことだ。バーリントン伯爵として、いずれは誰かを伴侶に迎えなければならないことは承知している。けれどそれは心で繋がる関係である必要はない。伯爵家を存続させるために必要な行為だと割り切っている人のほうがいい。そうすれば二度とかけがえのない人を失う痛みに傷つくこともない。なのに、ラファエルに関しては、どうしても冷静でいることができない。

ダイアナは、ひんやりとした空気の流れを感じて我に返った。

(誰かが来る?)

完全に空調が管理されたこの場所で、風を感じることなどないはずだ。

ダイアナは額縁を手にしたまま、とっさに隠し部屋の出入り口の脇に身体を潜ませた。飛び出しそうになる心臓を押さえつけ、干上がった喉に湧き上がった唾をごくりと呑み込む。

やがて、かすかな足音をダイアナの耳は捕らえた。ゆっくりとした足取りでこちらに向かって進んでくる。聞こえる足音からはその主が大柄な男性であることがうかがえる。

他に逃げ道はない。

息を殺して、ダイアナはそのときを待った。

そして――、ダイアナの金色の瞳は、この場にいるはずのない人の姿を捉えた。

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