四. 僧侶エドワード

栞(しおり)は額に当てられた冷たい布の感触に目を覚ました。
夢の中で太陽神を名乗るちゃらオッサンに、いろいろと言われたような気がする。
フォボスとかいう神の所為で、死に掛けたのだという怒りが心の奥底にぐつぐつと煮えたぎっていたが、その怒りをぶつける相手はこの場にいない。自分の力ではどうしようもないことで起こっていても仕方がないので、ひとまず棚上げにすることにする。

次にあったらぜったいボコる!

栞は大きく深呼吸をすると、目の前の状況把握に努めた。
目を開くと、ベッドの脇に男性が座っている。鮮やかな緑色の髪の毛を目にした栞はぎょっと目を見開いた。

 

うわー、エメラルドグリーンの髪の毛! これって地毛かなぁ? さすが異世界!

 

熱のある頭ではまともに考えられず、埒もないことを考えてしまう。

「目が覚めました?」

低く艶やかな声に男性の顔に視線を映した栞はぼうっと見惚れた。野性味のある独特な美貌は栞の視線を釘付けにするには十分だった。

「あの……」

栞のかすれ声に気付いた女性が、慌てて吸い飲みをあてがってくれる。栞は男性の手を借りてようやく水にありついた。

「……ありがとうございます」

「すみません。リアムは焦るあまりあなたに水も飲ませてなかったんですね」

「いえ……、大丈夫です」

どうやらこの男性はリアムの知り合いらしい。栞はほっとすると同時に、名乗っていないことに気付く。

「私は栞・長谷川と言います」

「僕はエドワード・アシュトン。リアムの幼馴染で僧侶をしています。あなたの腕を治療させていただけますか?」

栞は自分の知る僧侶とはずいぶんと違う雰囲気戸惑う。

 

異世界の僧侶はやっぱり違うのかなぁ?

 

「はい、お願いできますか?」

栞が左腕の傷を意識したとたんに、ずきずきと痛みが増した気がする。

エドワードは栞の左腕をそっと持ち上げると、巻かれていた包帯を外し始める。

包帯が外され、傷口にあてられたガーゼのような布があらわになると、むっとする匂いが鼻をつく。栞は眉をしかめた。

ガーゼが外されると、薬草の下からわずかに牙の跡が覗いている。咄嗟に栞は顔をそむける。

「気分が悪くなるかもしれませんから、見ない方がいいでしょう」

エドワードのいたわるような声に、栞は強張っていた左腕から力を抜いた。

「では、治療を始めます」

エドワードは呪文らしき言葉と同時に、右手をなにやら空中で動かしている。

 

へ? 異世界の治療ってもしかしてお医者さんがするようなことじゃないの?

 

栞は周囲を見回すが、病院にあるような道具はどこにも見当たらない。エドワードの手の動きに目を引かれて見つめると、空中に文字が浮かんで見える。

栞は自分の目の錯覚ではないかと疑い、思い直す。

 

そうか! これがあのオッサンの言っていたプログラムってことなんだ!

 

栞の眼にはエドワードが呪文らしき言葉を呟くと、空中にその文字が現れた様に見えた。そして彼が手を動かせば、その文字が形を変えていく。

しかもそれは栞に馴染みの深いプログラミング言語なのだ。

文字を目で追っていくと、彼が何をしようとしているのか大体分かる。エドワードの手で作られた治療のプログラムは、栞の腕の細胞を増やし自己治癒能力を高めようとしているらしい。

栞が興味深くプログラムが空中に描かれていく様子を見守っていると、ふと左腕の傷口近くに温もりを感じた。エドワードの唇が左腕にそっと触れると、展開されていたプログラムが全て腕の中に収まっていく。

「うわ、わ、っわ」

栞はうろたえ、顔を真っ赤にする。咄嗟に左腕を取り返そうと引っ張るが、エドワードがつかんでいてびくともしない。

「じっとして、もうすぐ終わります」

左腕に熱い吐息がかかり、栞はざわりとした感覚が背筋を駆けあがっていくのを感じた。むずむずとした左腕の感触に耐え、エドワードが手を離してくれたときには、栞の左腕から痛みはすっかり消え失せていた。傷口も薄いピンク色の皮膚があるばかりで、すっかりふさがってしまっている。

「これで傷は大丈夫です。ただ、シオリさんの身体は疲れているので、薬湯を飲んでゆっくり休んで下さい」

エドワードはそう言うとにっこりと微笑んだ。

「あ……、ありがとうございました」

栞は信じられない思いで傷口のあった場所を見つめる。

 

異世界の治療、すごすぎる!

 

栞が左腕を動かしても、まったく痛みもなく違和感もない。

「いいえ、礼には及びません。僕がもっと早くこちらに来ることができていたら、太陽神が招かれた客人をこのように苦しめるようなこともなかったはずなんです」

エドワードは栞に対して頭を下げ謝罪する。栞は手を振り押しとどめた。

「いえいえ! 助けていただいた上に、治療までしていただいて本当に感謝してます」

「……そうですか。では……」

エドワードが言いかけた途中で、部屋の扉が開かれる。

「エド、終わったのか?」

リアムが部屋へと入ってくる。

「リアム、女性の部屋に入る時はノックぐらいしないと」

「……すまん」

リアムは少し顔を赤らめつつも、栞が起き上がっているのを見つけて近付いてくる。

「シオリ、傷はもういいのか?」

「はい。エドワードさんが治して下さったので、すっかり」

栞は左腕を持ち上げ、治ったことをアピールする。

「油断はいけませんよ。治癒の技は体力を使います。薬湯を用意しますから、飲んで下さいね」

「はい……」

途端にエドワードに釘を刺され、栞はうつむいた。

不意に首筋に手をあてられた感触を覚えて栞が顔を上げると、リアムが心配げな顔で栞の様子を窺っていた。

「熱が下がらないな」

熱を測るためとはいえ、無遠慮に触れてくるリアムに栞の心臓はバクバクと早鐘を打ち始める。熱が更に上がった気さえする。

「リアム、いくら幼いとはいえ、女性の身体に断わりもなく触れてはいけませんよ」

「あっ! す、すまん」

エドワードにたしなめられ、リアムは慌てて手を離す。

「あのー、エドワードさん。私のこと何歳だと思ってるんですか?」

「え? そうおっしゃるということは、成人してらっしゃる……と?」

恐る恐るといった様子で、エドワードは栞の顔を見つめる。栞は頷くことでそれに答えた。

「ちなみにこちらの世界の平均寿命と、成人の年齢はどれくらいですか?」

「種族によっても違いはあるが、ヒト族はおよそ八十年といったところだ。十八を過ぎれば成人したと見なされる」

リアムが代わって答える。

「なるほど……。それならあまり私の世界とは変わらないようです。私の世界、と言って国によって違いますが、私の国では二十歳を過ぎれば成人とみなされます」

「え?」

「ええっ?」

リアムとエドワードの驚きの声が重なった。

「てっきり十四、五くらいかと……」

「いや、俺は十六くらいかと思ってた」

リアムとエドワードの予想に、栞は落ち込まずにはいられなかった。

 

いくら日本人が幼く見えやすい人種とはいえ、十代はないわ~。

 

「そう言うことなので、おふたりが女性に年齢を訪ねるような失礼な方とは思いませんが、しっかりと成人しておりますので、そのように扱っていただけると嬉しいです」

「はい! もちろんです。大変失礼いたしました」

エドワードは慌てて頭を下げる。リアムは自分がしたことを思い出したのか、顔を赤くして目をそむけている。

「リアム、そろそろシオリさんを休ませてあげましょう」

「ああ、そうだな」

「ということで、詳しいお話はあなたの熱が下がってからにしましょう」

「ありがとうございます」

エドワードがリアムを促して部屋を出ていく。ふたりの背中を見送って、栞はベッドに倒れ込む。熱に浮かされた身体はすぐに浅い眠りに引きこまれていった。

 

§

 

エドワードはリアムに連れられて行ったはじまりの街の治療院で、異世界からの客人と対面することになった。

エドワードは太陽神フォボスから天啓を受けたときから、客人にまみえることを心待ちにしていたのだ。世界に平和と安定をもたらす調停者がどのような人物なのか、幼馴染であるリアムに手紙を送って以来、ずっと想像をたくましくしていたのだ。

そしてエドワードから伝書鳥の連絡を受け、目にした調停者の姿は想像とは全く異なっていた。まさかあんなに可憐な少女だとは思わなかったのだ。

艶やかな黒髪は長く、思わず触れたいと思うほど美しい。黒い瞳孔はこの国ではほとんど見られないため珍しい。東方にはそのような民族がいると聞いたことはあるが、目にするのは初めてだった。

治療のためにほんの少し触れただけなのに、顔を真っ赤にしてうろたえる様子はエドワードの嗜虐心を煽った。幼い少女に対する性的指向はなかったはずなのに、むくりともたげ始めた彼女に対する欲望にエドワードは苦笑した。

熱にうるむ瞳はまるで事後の様で、いつか彼女を自分の手でそんな表情をさせてみたいと思ってしまう。

太陽神が選ばれた客人に対する感情ではないと、自分を諌めてみるものの、彼女が成人していると知って、その欲望は更に増す。

問題はどうやら幼馴染のリアムも彼女に惹かれていることだ。

あれほど可愛らしく、擦れていない女性であれば惹かれない方がおかしいのかもしれない。

リアムとは成人と共に道は別れてしまったけれど、どうやら僕たちの夢が叶うかもしれないことに興奮が隠せない。――いつか一緒に世界を旅する冒険者になりたいという幼い頃の夢が。

早く彼女が目覚めるといいのに。

そしてあの黒い瞳に僕の姿を映してほしい。

これから、楽しくなりそうだ。

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