六. はじまりの街

「まずは準備をしましょう」

エドワードの言葉に、リアムも頷く。

「俺は自衛団の団長に挨拶をしてくる」

「では、僕と一緒に買い物に行きましょう。服や食料も揃えなければいけませんね」

「……よろしくお願いします」

善は急げとばかりに、診療所を飛び出していったリアムを見送って、栞はエドワードと一緒に街に出ることにした。

玄関を出た栞は、初めて見る異世界の街の景色に目を見張った。

レンガ造りの建物が立ち並び、同じような茶色い屋根が集まる様子は、中世のヨーロッパにでも迷い込んだような気分になる。道路は石で舗装され、さまざまな店が軒を連ねている。街を歩く人々は、栞よりも圧倒的に背が高かった。一八〇から一九〇センチくらいはあるだろうか。女性でも一七〇から一八〇センチくらいはありそうだ。

リアムもエドワードも一八〇センチくらいはあり、一六〇センチの栞が彼らと並べば子どものように見えるのかもしれないと納得する。中でも栞の目を引いたのは、獣人とでも呼べばいいのか、身体の一部が獣の特徴をしている人たちだった。

長くとがったウサギのような耳をもつ女性を見かけた栞は、興奮も露わにエドワードに話しかけた。

「エドワードさん、ねえっ、あの人、耳がっ、可愛い!」

「もしかしてシオリさんの世界では獣徴(じゅうちょう)を持った人はいないのですか?」

「あれ、獣徴って言うの? うん、ないよ。可愛いなぁ」

栞は道行く女性の姿をうっとりと眺めた。

「そうなんですか。こちらでは多くの人が身体のどこかに獣の特徴である獣徴を持っていますよ。それこそ持っていないのは王族ぐらいです」

「えっ? ってことは、エドワードさんも獣徴を持っているんですか?」

「長くて呼びにくいでしょうから、エドって呼んで下さい。僕の獣徴はこの髪の毛です。まあ、足の指にもあるんですが……」

そう言ってエドワードは自分の頭を指さした。エメラルドグリーンの髪の毛は確かに珍しい。だが、獣に通じるのかと言われると、栞は首をひねってしまう。

「僕は人魚の血を引いているんですよ。かなり薄まってはいますが」

「に、人魚!」

そう言われてみれば、彼の髪の毛の色は海の碧そのものだ。

 

異世界って、奥深い。

 

「ってことは、リアムさんも獣徴を持っているんですか?」

「はい。詳しくは本人から聞いてください。この調子だと日が暮れても買い物が終わらなさそうなので……」

苦笑するエドワードに、栞は頭を下げた。

異世界の常識はおいおい覚えていけばいい。

「すみません。では、なるべく口をはさまないようにしますので、よろしくお願いします」

「はい、ではシオリさん。まずは服を調達しましょうね」

ついきょろきょろとあたりを見回してしまう栞に、痺れを切らしたエドワードは栞の手をつないで歩き始めた。エドワードに手を引かれるままに連れていかれたのは、衣料品店だった。

栞のサイズの服は子ども用しかないらしく、異様に可愛いデザインの女の子の物か男の子用しかない。しぶしぶ男の子用の動きやすそうなパンツとシャツをいくつか選び、防水処理の施されたマントも合わせて購入することにする。下着はやはり紐パンが主流な様で、仕方なくそれをいくつか選んだ。この世界にブラジャーというものはなく、簡素なビスチェのようなもので代用するしかなさそうだ。

男性であるエドワードに買ってもらうのは、非常に抵抗があったけれど自分では支払いができないので開き直るしかない。

栞はエドワードが財布から硬貨を取り出している様子を眺めた。どうやらこの国には紙幣はないらしい。

 

そのうちお金の価値も教えてもらおう。

 

栞がずっと履いていたヒールではどう考えても長距離を移動できそうにないので、動物の皮で作られたブーツも購入する。店先の椅子を借りて、栞はブーツに履き替えた。なめされた革は意外と柔らかく、栞の足にぴったりとなじんだ。後はタオルなどを少々買いこめば身の回りの品はこれで十分だろう。

次に、雑貨屋さんで生活に必要なこまごまとしたものを購入する。途中で野宿する可能性もあるということで、石鹸や歯ブラシなどお泊まりに必要そうな物をひと通り購入する。

「ほんとうは日焼け止めぐらいは欲しいんだけどなぁ……」

「ありますよ?」

「え、本当に?」

最低限の基礎化粧品くらいは持っていたかったのだが、無いのであればせめて日焼けだけでも防ぎたい。お肌の曲がり角を越えている栞としては、譲れないぎりぎりのラインだった。

「もう少し若ければいらないかもしれないけどね……」

ぼやく栞にエドワードは商品が陳列された棚からクリームの瓶を取り出し、優美なデザインの瓶を差し出した。蓋を開けると爽やかでどこか甘い香りが鼻をくすぐる。

栞は申し訳ないと思いつつも、そちらも一緒に購入してもらうことにした。そうして買い物をしていると、リアムが合流してくる。

「どこまで買ったんだ?」

「衣類と日用品は揃えました。あとは食料品ですね」

「よし。そっちは俺が連れて行く。エドも準備して来いよ。それに家族に挨拶もしてないんだろう?おふくろさんが心配してたぞ」

リアムはエドワードが持っていた荷物を受け取ると、自分の背中に背負っていたリュックのような袋に詰め込んでいく。

「それは失念していました。それでは、大変申し訳ないのですが、あとはこの男に任せます」

「気にしないで、ちゃんとあいさつしてきてね」

「ありがとうございます。すぐに戻りますので」

栞は手を振ってエドワードといったん別れた。

「さて、食料をそろえるぞ」

「はい」

リアムのあとについて、栞は歩き出した。

人通りが多くなり、次第に混み合ってきた道はひどく歩きにくい。彼らからすると小柄な栞など目に入っていないかのようにぶつかってくる。何度か人とぶつかることを繰り返していると、リアムが呆れたような顔で手を差し出してきた。

「手をつなげ」

「え……やだ」

「いちいちシオリの速度に合わせていたら、いつまで経っても進まん」

リアムは強引に栞の手をつかむと、さっさと歩き始めてしまう。

久しく男性に触れていない栞は、気恥ずかしくて仕方がない。けれど、彼の言うことももっともで、栞は黙って手を引かれるまま進んでいく。

沈黙が気詰まりになり始めた頃、ふたりは食料品店へと到着した。

栞が初めて見る食材に目を奪われている間に、リアムは店主と交渉して買い物を進めていた。

「何だろう?」

栞はかごから取ったものをしげしげと眺めた。紫色のそれはじゃがいものような大きさで、ごつごつとしている。果物とも野菜ともつかぬ物体に、栞は首をひねった。

「カボアだ。芋の一種だな」

「ふーん」

栞がカボアをかごの山に戻そうとすると、リアムがそれを取り上げる。

「日持ちがするから、これも買う」

リアムは他にも玉ねぎによく似た野菜、小麦粉のような穀物と合わせて購入している。栞は異世界の食材がそれほど地球と変わらなさそうに見えることに安堵する。

リアムは購入した品物を背中のリュックに押し込んだ。

明らかに先ほど詰め込んだ衣類などの品物も含めると、リュックの容量をオーバーしているように思える。不思議に思った栞はリアムにそのリュックを見せてもらった。

「ねえ、どうしてそのリュックにそんなに物が入るの?」

「リュック? ああ、この鞄のことか。これは魔法具だ。見た目以上に詰め込めるように魔法が掛けられている。どんな魔法なのかは知らない」

リアムからリュックを受け取った栞は見た目以上の重さに、取り落しそうになる。

「うわっ。重っ」

「おっと」

すかさずリアムがリュックを持ち上げ事なきを得た。改めてリュックを床に下ろしてもらい、栞がリュックに触れると、プログラムが展開されて表示される。

 

なるほど。魔法がかかっているというのはこういうことなのか。入れられたものを圧縮してるんだ!

 

プログラムの内容を読み取った栞は、この大容量なリュックの仕組みがわかり、にやりとほくそ笑んだ。

「ねえ、リアムさん。この鞄が軽くなったら困ります?」

「いいや、助かるが、そんなことができるのか?」

「まあ、やってみないとわからないですが……やってみても?」

「いいぞ」

持ち主の許可も出たことで、栞はプログラムをいじることにする。

 

あんまり軽くし過ぎるのもまずいよね……。

 

栞は荷物の重さを取得し、その重さが六分の一ぐらいになるように調整する式を追加した。六分の一というのは適当だ。

どうやら書き換えは成功したらしい。リュックが壊れなかったことにほっとしながら、軽くなったリュックをリアムに返した。

「おい、何だこの軽さは。本当にやったのか?」

「えへへ」

リアムは慌ててリュックの中から先ほど購入した食料を取り出している。特に問題はなかったらしく、食料はすぐにリュックに戻された。

「シオリ、ちょっと来い」

「え? ちょっと?」

いきなり怖い顔つきになったリアムが、栞を引っ張る様にして歩き出す。待ってという栞の懇願にも耳を傾けることなく、リアムはどんどんと歩いていく。自衛団と書かれた建物に入ると、リアムの知り合いらしき人達に声をかけられる。

「部屋を借りるぞ」

取調室のような場所に入ると、ようやくリアムは栞の手を離した。

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