一一. 魔法都市カレン  

一晩眠った栞は驚くほど回復していた。泣き疲れてそのまま眠りについた筈なのに、瞼も腫れておらず、すこぶる快調だ。

宿で朝食を済ませると、三人と一匹は今日も元気にカレンの街に向かって歩き出した。所々で休憩をはさみつつも、栞たちは思ったよりも早い旅程でカレンの街に迫っていた。

「シオリさん、大丈夫ですか?」

一向に疲れる様子もなく、元気に歩く栞にエドワードが声を掛けてくる。

「ありがとうございます。すごく足が軽くって、全然疲れないんですよ。不思議ですよね~」

栞が笑いながら答えると、エドワードは栞を呼びとめた。

「足を見せてもらえますか?」

「いいですけど……」

栞は地面に腰を下ろすと、足を前へと投げ出した。

靴の上からエドワードが栞の足に触れる。

「これは……、フォボス様の祝福の気配が」

栞は傍迷惑な神の名前に顔をしかめた。

普段の自分ならば筋肉痛でのたうちまわっているはずなのに、恐ろしく軽い足に疑念を覚えてはいたのだ。

 

あのおっさん、一応、気に掛けてくれていたんだ。今度会ったら、お礼を言うべきか……。

 

「やはり、フォボス様が招いた客人なのですね。神が自ら祝福を与えることは非常に稀なのですよ。この目で見られるなんて幸せです」

「……そうですか。アリガタイコトデスネ」

複雑な気持ちを抱える栞は、棒読みでエドワードに同意した。

そんな事情もわかったところで、移動速度を上げた一行は予定通り魔法都市カレンへと到着したのだった。

栞は目の前に広がる景色に言葉を失っていた。

夕闇の迫る空に向かっていくつもの尖塔が伸びる様子は、まさにファンタジーとしか言いようがなかった。

カレンの街をぐるりと取り囲んでいる石垣の壁の四方には門が設けられているようだ。栞たちはそのうちの一つの門をくぐって街へと入った。

街角には電灯のような光が所々に灯されている。

こんな時間になっても、人通りが途切れることはないようだ。栞がこの世界に来てから、これほど多くの人を見たのは初めてである。

「俺は先に宿を取っておく」

「よろしく頼む」

リアムはディアンを連れて、栞たちと別れて行動することにしたらしい。

「どこへ行くんですか?」

「魔法ギルドへ行きます。魔法使いを雇いたいので」

エドワードは栞の手を引いて歩き始める。栞は何となく自分が見られているような視線を感じて、居心地の悪い思いをしながらエドワードの進む方向へと着いていく。

しばらくすると、魔法ギルドと書かれた看板のある建物が見えてきた。

それは栞が想像していたゲームの世界にあるようなギルドとは少々違っていた。相互組合のような、魔法使いの仕事をあっ旋する場所だとエドワードからの説明を受ける。

「求人票を出してきますので、少し待っていて頂けますか?」

「はい」

栞は快く返事をすると、ロビーに椅子を見つけて座る。

「ふぁー」

いくらフォボスの祝福を受けているとはいえ、かなりの長距離移動に疲れを感じていた栞は、大きなため息が漏れてしまうのを堪えることができなかった。

辺りが暗くなっても、ロビーを行き交う人の姿が途切れることはない。通りかかるのは皆栞よりも大きな人ばかりで、巨人の国に迷い込んだような気分になる。牛の角がついている人や、犬のような耳がついた人など、明らかに獣徴(じゅうちょう)とわかる外見をしている人もいれば、紺色の肌の人などは何の種族なのかわからない人もいる。

栞は通りかかる人を夢中になって観察していると、すぐ横で声を掛けられ驚く。

「ねえ!」

「え?」

こちらへ屈みこんでくる男性の驚くほど美しい顔が目の前に迫り、栞はうろたえた。その男性はダークブラウンの長い髪をひとつに括って後ろへ垂らしている。琥珀色の瞳に見つめられ、栞はぼうっとその美しい瞳に見惚れていた。

「ねえ、私のパートナーになる気はない?」

「は? パートナー?」

全くわけがわからず、栞は目を瞬(まばた)かせた。

「そう。こんなに美しい魔力は久しくお目にかかっていない。一体今までどんなところにいたんだ?」

青年の言いたいことが分からず、栞は助けを求めて周囲を見回した。

ちょうどエドワードがこちらに戻ってくる姿が目に入り、栞は手を上げて合図を送った。

「シオリさん!」

栞が青年に絡まれていることに気付いたエドワードが、血相を変えて走り寄る。

「どうしました?」

「彼女にパートナーを申し込んでいただけだ。何か問題でも?」

栞を庇う様にエドワードが青年との間に入り込み、挑戦的に美しい顔を睨みつける。

 

わー、どんなときでも美形って美しい~。

 

栞はのんきにふたりの趣の異なる美しい顔に見惚れていた。そんな栞を余所に、ふたりの間には険悪な空気が流れる。

「シオリさんには成すべき使命があります。こんなところで遊んでいる暇はありません」

「パートナーとなるのかは彼女の自由だろう?」

「シオリさん、行きますよ!」

エドワードは青年に構わず、栞の手を引いて立ち上がらせた。

「はいっ!」

栞は怒気を纏ったエドワードに驚きつつ、大人しく彼に従うことにした。

「ごめんなさい。私はちょっと忙しいので、そのパートナーとやらには他を当たってください」

栞はぺこりと頭を下げると、エドワードに引きずられるようにして魔法ギルドをあとにした。

「ちょっと、エドワードさん! もう少し、ゆっくり歩いてくださいよう」

足の長さが違いすぎて、エドワードについていくのに小走りになっていた栞は、とうとう根を上げた。

「すみません。シオリさん」

栞が息を荒くしているのを見て取ったエドワードは、すぐに歩みを止めた。

「いいけど、どうしてあんなに怒ってたの?」

「目の前で好きな女性をパートナーに誘われて、怒らない男がいると思いますか!?」

腹立たしげなエドワードはうっかりと自分の心情を暴露したことに気付いていない。

「えっと、エドワードさんって私のこと好きなの?」

「えっと……」

エドワードは気まずそうに視線を逸らした。

「ねえ、どうなの?」

これまでほとんどモテた記憶のない栞は、すわモテ期の到来かと意気込んで詰め寄る。

「好き……ですよ」

顔を赤く染めながらも、しっかりと栞を見つめる視線に、栞の鼓動は跳ね上がった。

まさか正直に答えが返ってくるとは思っていなかった栞は、ただうろたえる。

「そ、っそう。ありがとうって言うべきなのかな?」

「すみません。いまシオリさんがそんな気分ではないことは承知しています。でも、僕の気持ちを知っていてほしいです」

「うん。……ありがとう」

栞はやにさがった顔を隠すようにうつむく。

「ねえ、さっきの人が言ってたパートナーって何?」

栞は気恥ずかしさを振り払うように、疑問をぶつけた。

「パートナーというのは……、魔法使いにとっての魔力の交換相手です。魔力の強い相手とは性交によって魔力を高めることができるので、恋人や伴侶とは別にパートナーと呼ばれる性交渉の相手を持つことが多いのです」

エドワードはためらっていたが、思い直したように一気に説明を続ける。

平然と性交渉とか言われたので、ふんふんと頷いていた栞は意味を理解して顔を真っ赤にした。

「つまり、あの人は私と……そういう関係にならないかと?」

「そういうことです」

不機嫌そうに会話を打ちきったエドワードのあとにつづいて、栞はリアムが待つ宿へと向かって再び歩き始めた。

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