「っふ、あ……」
女の艶めかしい声が部屋から漏れ聞こえる。
魔法使いが好んで身につけるローブを脱いだ男の裸身は、引き締まっており余分な脂肪一つない。激しく腰を動かす男の名はレイモンド・アルフォンス・ローズ。魔法都市カレンでも中級から上級クラスに所属する魔法使いの一人だ。魔力持ちが相手に不自由しないことは周知の事実だが、それ以上にレイモンドの怜悧な容貌は女性を引きつけていた。
普段まとめられているダークブラウンの長い髪は、乱雑にシーツの上に散らばっている。
常ならば魔力交換のパートナーとの行為は、レイモンドにとって欲望の解消と実益を兼ねた行為だった。
「……あ、ああっ」
真っ赤な長い髪を振り乱し、女性はレイモンドの激しい腰使いに絶頂を迎えた。
これまで、レイモンドはそれなりに彼女との関係を楽しんでいた。恋人も伴侶もいない彼にとって、唯一肌を交える対象である。それなりに気を許していなければ、これほど長く関係を続けることはできなかった。
けれど、今宵初めてレイモンドは彼女との行為に違和感を覚えていた。なかなか訪れない果てに、今日初めて出会った女性の姿を重ねてみる。すると恐ろしいほど素直に自分の欲望が高まるのを感じる。
「あ……、あ、……もうっ」
達したばかりで敏感になっている身体を無理矢理組み敷いて、黒髪の幼い顔立ちの女性の姿を重ねてレイモンドは腰を突き動かした。
「っく、うぅっ!」
ぞくぞくと腰を走る快楽に身を任せ、欲望を迸らせると、急速に意識がクリアになっていく。そして腕の中の女性が彼女ではないことに失望を覚えてしまう。
素早く女性から身体を離すと、レイモンドは手早く後始末を終える。
ぐったりとベッドに身体を預けている女性に毛布を掛けると、レイモンドはすぐに身支度を整え彼女の部屋をあとにした。
「いままで、ありがとう」
「レイ!?」
驚いたような女性の声にも構うことなく、どことなく甘く香る夜の風を吸い込んでレイモンドは歩き始めた。
魔力を交換したばかりで、レイモンドの身体には魔力が満ち溢れている。
「ふう」
レイモンドは物憂げなため息をついた。
いましがた女性との情交を終えたばかりとは思えない、冷めた顔つきで空に見えるふたつの月を眺める。
思い出されるのは夕刻、魔法ギルドで見かけた小柄な女性のことだった。艶やかな髪はまるで闇を孕んだかのように珍しい黒色をしていた。クリーム色の肌のどこにも獣徴は見当たらず、自分の魅力を知らないかのように、無防備に振る舞う彼女の様子にレイモンドは完全に目を奪われてしまったのだ。
彼女から感じる魔力の波動は驚くほど強い。魔力を隠すこともせずに放出し続けている彼女の姿はカレンの街に住む魔法使いならば、目を疑わずにいられないだろう。
魔法使いにとって自分から漏れだす魔力を制御することは、基本中の基本だった。何より、相手に己の魔力の強さを悟られぬよう、秘しておくことは常識だ。
それすらもせずに強い波動を放つ彼女は、まるで魔力について何も知らないようだった。
実際、彼女は何も知らないのかもしれない。
パートナーにならないかとかけた声にも、きょとんとしたあどけない表情を返すだけだった。この街でレイモンドがパートナーとして求めて、頷かなかった相手は初めてだった。
面白い。
彼女に対する欲望がふつふつとこみ上げる。無意識とはいえあれほどの波動を放つ魔力持ちを放っておくのは世の損失だ。
確か、シオリ……と呼ばれていたな。
「シオリ……」
その名を呼べば自分でも驚くほどの独占欲がこみ上げる。彼女をベッドに組み敷いて、この欲望を思うままにぶつけてみたい。そのとき、彼女の目に映るのは自分の姿だけだ。
その考えはレイモンドの胸を熱くした。
彼女はギルドにいた。つまりギルドに用事があったのだ。
レイモンドは明日朝一番にギルドを訪ねることにして、家路を急いだ。
エドワードから思わぬ告白を受けた栞は、変に意識してしまい、エドワードの顔をまともに見られずにいた。
リアムはふたりの様子から何かがあったことは察したようだが、何も言わなかった。
「今日は空いていたから、部屋を二つ取った。シオリはひとりで休むといい」
「いいの?」
宿賃が気になったシオリは一行の財布担当であるエドワードに問いかける。
「それくらいは大丈夫ですよ。カレンの宿賃の相場は安めですから。シオリさんも落ち着いて休みたいでしょう?」
「うん、……ありがとう」
魔法都市と謳うだけのことはあって、宿の至る所に魔法具が使われている。スイッチ一つで流れ出すシャワーも、魔道具の一つらしい。
リアムから設備の使い方を教えてもらった栞は早速シャワーで汗を流した。タオルで髪の水気を拭いながら、栞は窓際に立ち、夜空に浮かぶ異世界の月を眺めた。
エドワードからの思いもかけない告白は栞を動揺させた。エドワードを恋愛対象として考えたこともなく、怪我を治してくれ、いろいろなことを教えてくれる姿に、いつの間にか兄を重ねて縋っていた。
押しつけがましくないエドワードの態度を好ましくは思うけれど、それまでなのだ。気持ちは嬉しくドキドキするけれど、自分の気持ちがそれ以上動くことはない。
それは栞が必ず日本へ、自分の世界へ帰ると決めているからだ。ただの客人でしかない自分がこの世界で深いつながりを築くことなどできはしない。そう、自制しているからなんとか心を揺らされずにすんでいた。
「お母さん……、お父さん、お兄ちゃん……」
次々と家族の顔が浮かんでは消えていく。
「絶対に帰るから……」
栞の呟きは夜の闇に吸い込まれていった。