37. フロレンシオの帰郷

「カザーレの街は花の栽培が主な産業なんだ。だからヴィットーレはそれを見せつけるように、いつも花から抽出した香水を振りまいている。花の匂いがする男なんてこの辺じゃあいつ位だ」

団長の言葉にフロレンシオには嫌な予感が走り抜けた。

顔色を変えたフロレンシオにオスバルドは声を掛ける。

「フロレンシオ、どうしました?」

「まずい、ナディアへの連絡が途絶えている可能性がある」

「どういうことですか?」

オスバルドは声を荒げた。

「まさかカザーレの代官まで仲間だとは思っていなかった。カザーレについてからナディアへ送った連絡は、代官が裏で手をまわして握りつぶしている可能性がある」

「確かに、ナディアからの連絡もありませんね」

ナディアなら兵を率いてカザーレまで遠征しかねない。

フロレンシオは一刻も早くナディアの元へ帰ることを決意した。

「はやくナディアに知らせないと、兵を率いてここまで来てしまうぞ」

フロレンシオの言葉にオスバルドも同意する。

「ナディアならやりかねません」

「私が先にベネットに戻る。悪いがオスバルドは代わりの代官が来るまでここに居てくれるか?」

「わかりました。が、今外に出るのは自殺行為ですよ」

オスバルドの正鵠を射た指摘に、フロレンシオは苛立ちを床にぶつけた。

吹雪は予想どおり二、三日続いた後、嘘のように空は晴れ渡った。ずっと代官所の中でくすぶっていたフロレンシオはすぐに飛び出そうとしてオスバルドに止められた。

「せめてこの辺の地理に詳しい者と一緒に行動してください。あなたは王都育ちで雪には慣れていないでしょう?」

「じゃあ、誰かつけてくれ」

フロレンシオはいらいらとオスバルドが指名したブルーノと共に、ベネットへと出発した。カザーレには寄らず、まっすぐにナディアのいるベネットへと向かう。

ほとんど休憩も取らずに移動するフロレンシオに、ブルーノのほうが先に根を上げた。

「お願いですから、もう少し休みましょう。これ以上移動するのは無茶です」

「ナディアが待っている」

「私の馬がもちませんって」

ずっと機嫌の悪いフロレンシオに、ブルーノはなんとかなだめつつこれ以上進むことを思いとどまらせた。

野営の炎を囲みながら夕食を食べると、二人は寝袋にくるまって眠り始めた。

遠くで馬のいななきが聞こえ、フロレンシオは体を起こした。ブルーノも気づいて寝袋から抜け出している。

「何だと思う?」

「さあ、とうとうナディア様が痺れを切らして出てきたのかも」

ブルーノの冗談に、フロレンシオは笑えずいななきが聞こえた方へと移動し始めた。

「気を付けてくださいよ」

「わかっている」

貧乏くじを引かされた感のあるブルーノは黙ってフロレンシオの後に続いた。

どうやら兵士たちの野営であるのは間違いない。フロレンシオは近くの木陰から兵士たちを見つめた。

問題は何処の兵士なのかということだった。ブルーノは兵士の中に見覚えのある顔を見つけて、飛び出した。

「おーい、ジャンパオロじゃねえか?」

ブルーノの問いかけに、兵士の中で唯一兵士らしくない格好をした青年が振り向いた。

「ブルーノさん!」

「誰だ?」

見慣れない顔にフロレンシオはブルーノに問いかける。

「ルカスの息子ですよ」

言われてみれば青年の顔立ちはルカスによく似ていた。

二人は馬を連れて野営中の一行に合流した。

「ナディア様の命令で、カザーレへ行く途中なのです」

「なんでお前まで一緒に?」

文官であるジャンパオロが同行していることの不自然さに、ブルーノが訊ねる。

「ナディア様の命令です。臨時の代官に任命されました。きっとフロレンシオ様と連絡が取れないなら代官が関係している可能性があるということで、私も一緒に行くように指示されました」

「さすがナディア」

オスバルドはナディアの推察力に感心していた。しかしフロレンシオはこんな場合なら、ナディアが直接出向いてくると思っていただけに、拍子抜けしていた。

「ナディアはどうした?一緒に来なかったのか?」

「ええ、ちょっと体調を崩されまして……」

「何だ? 病気なのか?」

ジャンパオロにとびかからんとする勢いでフロレンシオは詰め寄った。

「いえ、病気ではないのですが……」

歯切れのわるいジャンパオロにフロレンシオはとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「こうしてはおれん。一足先にベネットに戻る。だれか馬を代えてくれ」

フロレンシオは近くに居た兵士から馬を奪うと、ベネットに向かって駆け出した。ブルーノが追いかける暇もなく、フロレンシオは駆け去ってしまった。

「あーあ、俺オスバルド様に怒られるだろうな……」

「ご愁傷様です」

落ち込むブルーノをジャンパオロが慰めた。

 

 

 

フロレンシオはほとんど眠らず、馬を駆けさせた。途中の街で領主権限を使い、馬を代えて、夜通し駆け続け、ベネットの街の門をくぐった。

門番たちが突然のフロレンシオの帰郷に驚いている。フロレンシオはそれにかまわず、領主の館へと馬を進める。

もどかしい思いで馬から降りると、早朝の冷たい空気の中屋敷の扉を開けた。

「ナディア!」

フロレンシオが屋敷に入るとルカスが慌てて飛び出して来る。

「おかえりなさいませ。旦那様」

「ナディアは何処だ?」

「寝室でお休み中です」

「具合が悪いと聞いたが……」

「それはナディア様から直接お聞きになってください。その前に汗と埃を落として、身ぎれいになさってください。でなければ、ナディア様の寝室には入れません」

ルカスの頑として譲らない態度に、フロレンシオは己の恰好を見直して、おとなしく風呂に浸かることにした。温かい湯は体の強張りを解してくれるが、ナディアが気になって仕方ないフロレンシオはそれどころではない。風呂もそこそこに着替えて、ナディアの寝室を訪れた。

「ナディア?大丈夫なのか?」

「フロル……?」

部屋の中からか細い声が聞こえた。フロレンシオは待ちきれずに扉を開けた。十数日ぶりに見るナディアの体は痩せている。フロレンシオは驚いてナディアに駆け寄った。

「本当に、フロルなのか?」

ナディアは信じられない様子でフロレンシオに近寄ったが、途中で顔色を変えてバスルームに駆け込んだ。

「ナディア、どうしたんだ?」

嘔吐するナディアにフロレンシオはおろおろと近づき、背中をさすった。

「うっ……。もう、大丈夫」

涙目になりながら、吐き気を抑えているナディアをフロレンシオは抱えてベッドへと連れ戻す。カミラが水の入ったグラスを持って部屋へと入ってきた。

「ナディア様、どうぞ」

ナディアはカミラから水を受け取ると、少しだけ嚥下した。

「大丈夫だから」

「だが、そんなに吐くなんて、悪い病気なのか?」

心配げにナディアの顔を覗き込むフロレンシオに、ナディアは何とか笑顔を作って答えた。

「病気じゃないから心配いらない。」

「ジャンパオロもそんなことを言っていたが……」

「ジャンパオロに会ったのか?」

なかなか本題にたどり着けない会話にフロレンシオが苛立ちを募らせる。

「そんなことより、ナディアの具合はどうなんだ!」

「赤ちゃんが出来たらしい」

「……」

思いもかけない言葉にフロレンシオは言葉を失った。

「赤ちゃん?」

「ああ、嬉しくないのか?」

「ナディア、本当か?」

「本当だ。それでどうなのだ?」

なかなか答えないフロレンシオに今度はナディアが苛立つ。

「嬉……しい。嬉しいに決まっている」

フロレンシオはナディアを抱きしめた。

カミラは二人の様子にそっと部屋を後にした。

 

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