5. ふたりの逃避行

レイとイリヤを乗せたバイクは勢い良く格納庫を飛び出すと、地上へと伸びた坂道を登った。バイクは力強いエンジン音を唸らせ、夜の香港を疾走する。

ビルの影からは赤い翼らしき構成員がふたりの乗ったバイクに照準を合わせていた。

「ファイ、二時の方向、ふたり」

レイの声がBDUに取り付けられたヘッドフォンからイリヤの耳に指示が下される。レイは走る車の間をバイクですり抜けながら、ひたすら進んだ。

イリヤは素直に指示に従い、アサルトライフルを構えてぶち放す。無反動式に改良されたライフルは前方の敵をいとも容易く排除した。

「まだだ。十一時の方向に一人、五時の方向にもまだいる」

レイの声に従ってファイはバイザーの情報通りライフルの照準を合わせる。揺れるバイクの上からは考えられないほどの精度で次々と敵を屠っていく。

背後から閃光と、少し遅れて大きな爆音が響く。

レイはバイクを止めて背後を振り返る。

無事、本部が破棄されたことを確認したレイはバイクの進路を変えた。

「どこへ?」

「命令したはずだ。あらかじめ決めておいた潜伏場所へ向かう」

こんなときでも冷静なイリヤの様子にレイは苛立ちを覚える。レイはその苛立ちをぶつけるようにアクセルを吹かすと、海側に向けて急発進した。

香港の中心部から走ること二十分ほど、レイとイリヤがたどり着いたのは使われていない様子の倉庫だった。

重たい鉄の扉を開けバイクを中へと隠すと、レイは倉庫の奥の方へと黙って進む。イリヤはとりあえず黙ってレイのあとについて行った。

扉を開けるとほこり臭い匂いが鼻を突く。事務所のような部屋は机と書類棚が並んでいる。レイは配電盤の上の方にあるスイッチに手を触れた。

書類棚が音もなくゆっくりとスライドし、新たな扉が現れる。

レイは扉に近付くと脇にあるスキャナーに目を合わせる。

「網膜パターン認証。アルファと認識。進入を許可します」

AIの物らしき人工音声が小さく扉の方から聞こえる。

イリヤが不思議そうにその様子を見守っていたが、急にレイに腕をつかまれ開いた扉の中に引きずり込まれた。

背後で扉が自動的に閉まり、内部は暗闇に包まれた。

バイザーのモニターにはこの通路の先に部屋があることを示している。

イリヤは黙って前を歩くレイのあとをついていくしかなかった。

次に現れた扉の前でも同様にレイが認証作業を行い、ようやく部屋らしき場所にたどり着いた。

「私はこれから潜る。お前は適当にしていろ」

レイは一方的に宣言すると、部屋の隅にあるVVMへと体を滑り込ませた。

取り残されたイリヤは部屋の探索に取り掛かった。VVMの他にベッドとソファ、簡易キッチンがあることを確認し、BDUを脱ぎ捨てソファに腰を下ろした。

自分達を襲ってきたテロリストとはいえ、人を殺したことに今更ながらイリヤは体が震えた。

訓練では何度でも行ってきたことだ。それでもあっけないほど簡単に倒れて行く姿をバイザー越しに見てしまった今は、簡単には割り切れない。

――考えるな。

――あれは任務だ。

――私はUIAの局員だ。こういうこともあることはわかっていたはずだ。

イリヤは必死に自分に言い聞かせていた。

室内にはVVMの動作する微かな冷却ファンの音だけが響いている。

イリヤは見つけた冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのボトルを取り出し、賞味期限を確認すると口に含んだ。

少し冷静さを取り戻したイリヤは、レイがVVMから出てくるまでに食事を用意することを思いつき行動に移す。

イリヤは棚を物色してレーション見つけ出すと、調理機へと放り込む。仕上がりを告げる電子音が響き、イリヤはテーブルの上にレーションを置いて、冷蔵庫からミネラルウォーターをもう一本取り出してその横に置いた。

レイがVVMから姿を現す。その表情は怒りに満ちていた。

「アルファ、食事を用意しておきました」
「ああ」

レイは短く返事を返すと、席に着いた。テーブルの上のミネラルウォーターに手を伸ばす。一気にボトルの半分ほどを飲み干すと、ようやくレイは大きく息をついた。

「やはり『赤の翼』の犯行だった」

「そうですか」

イリヤは表情を変えずに頷いた。

レイがレーションに口をつけるのを確認すると、イリヤもレーションを食べ始める。あっという間にレーションを食べ終えたふたりの間に気まずい沈黙流れた。

「これからどうなるんですか?」

「とりあえず、UIAの上層部に問い合わせ中だ。しばらくは潜伏する」

「なぜですか?」

納得できないイリヤはレイに詰め寄った。

「この時期に襲撃を受けるのはおかしい。それにあの場所はかなり巧妙に偽装されていたはずだ。内通者の存在を疑うべきだ」

「内通者……」

イリヤは思ってもみなかった言葉に、めまぐるしく頭が回り始めた。

「つまり、現時点で一番怪しいのは新入りの私というわけですか」

「バカではないようだな」

レイは面白そうに唇をゆがめた。

「だが、現時点でお前が内通者だと決まったわけではない。この時期に赤い翼がわざわざUIAのしかもArea9のこんな部署を攻撃する理由がない」

レイは立ち上がるとイリヤが気付かなかったスイッチに手を触れ、隣の部屋に続く扉を開けた。

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