――眉月――

十三年前に私は事故で両親を一度に失った。その悲報を私にもたらしたのは両親の親友であるアレッシオ・ウリッセ・クレメンティ子爵だった。

アレッシオ様は度々我が家を訪れていた。領主であるアレッシオ様がなぜただの小作人である我が家を訪ねていたのかは分からないが、当時はたまに来るお父さんの友達だという認識だった。

父とアレッシオ様は気が合っていたようで、よく両親と遅くまで語り合い、泊まっていくことも多かった。粗末な家にもかかわらず、アレッシオ様は私の家にいると落ち着くと言ってよく顔を見せてくれた。

 

あの日、私はその知らせを信じられずにいた。

今朝、両親はいつものように学校へと向かう私を笑顔で送り出してくれたのだ。

「嘘……でしょう?アレッシオ様」

「残念ながら……本当だ」

学校へと私を迎えに来てくれたアレッシオ様の目は赤く充血していた。

「いや、うそ!お母さんもお父さんも帰ったらちゃんと家にいる」

「ルチア……」

嘘。きっといつものように畑仕事から帰ってきたお父さんと、お母さんが家で待っているはず。

両親の死を認められない私はアレッシオ様に連れられ家へと急いだ。馬車に揺られる間にアレッシオ様が状況を説明してくれていたが、ほとんど右から左へと耳を通り抜けていった。

「街へ買い物に行った帰りに、暴走した馬車に撥ねられたそうだ。私も街に用事があって、騒ぎを聞いて駆け付けたときにはもう……」

――横たわる二つの棺。家についた私が見たのは小さな棺に入れられた両親の姿だった。

なぜ? お父さん、お母さん、私を置いて行ってしまったの?

泣き崩れる私をずっとアレッシオ様が支えていてくれた。

「可哀そうに……」

「……即死……」

「……買い物に出かけ……運悪く……」

「……馬車に撥ねられたって……」

葬儀の手伝いに来た近所の人たちの話し声が断片的に聞こえてくる。

ねえ、お父さん、お母さん。私どうしたらいい? どうして一緒に連れて行ってくれなかったの?

泣いて、泣いて、干からびるほど泣いたけれど、それでも涙は止まらなかった。泣き疲れて眠ってしまった私を抱き抱えてくれていたのはアレッシオ様だった。

翌朝目覚めると、アレッシオ様がもう葬儀の手配を済ませてしまっていた。

私は教会へ行き、葬儀に参列した。参列してくれたのはアレッシオ様と近所のおじさんおばさんたちだけ。

お父さんもお母さんも駆け落ちして家を出てしまったから、親戚はいない。もしかしたらおじいちゃんやおばあちゃんがいるかもしれないけれど、お父さんもお母さんもそういう話はしてくれなかった。

葬儀が終わると、お父さんとお母さんは二人並んで、教会の隣にある墓地の土の中に埋められていく。

「二人に最後のお別れを言いなさい」

アレッシオ様に言われて、私はただ泣いた。

「お父さん……お母さん……」

この先どうして生きていいのか分からなかった。親戚もなく、ほかに身寄りのない私を引き取ってくれる人などいない。それに気づいた私は絶望した。このまま孤児院へと行くしかないのだろう。茫然と立ち尽くす私にアレッシオ様が声を掛けてくれた。

「ルチア、君さえよければしばらく家で暮らさないか? 屋敷には十分空き部屋もあるし、落ち着いてから今後の事を考えよう」

「……いいのですか?」

こんな小娘を引き取っても何の益もないのに、アレッシオ様はなぜこんなにやさしくしてくださるのだろう? そんな私の疑問に応えるようにアレッシオ様が話を続けた。

「私はクリスの親友だ。その忘れ形見を孤児院などへはやりたくない。私には収入もあるし、君一人養うことくらい簡単なことだ。それに……クリスとニコラを殺した相手からは賠償金をもらっている。二人は帰ってこないがせめて君にだけは苦労させたくない。君の名義で信託財産として受け取れるようにしてあるから、心配はいらないよ。君が成人するまで、私が後見人として見守らせてほしい」

やさしいアレッシオ様は私の不安を取り除くように、ゆっくりと私に話してくれた。突然すべてを失ってしまった不安に私はそのとき、いけないとは知りつつも頷いてしまった。彼にそんな義理は無いのに。

家や畑は借りていたものだったから、アレッシオ様がすべての手続きをしてくれた。私は仲の良かった友達や近所のおじさん、おばさんたちと別れ、アレッシオ様と共にクレメンティ子爵領の領主の館へと向かい、住み慣れた家を後にした。

馬車に揺られて半日ほど過ぎた頃、ルチアの目の前に現れたのは重厚な佇まいの大きな屋敷だった。私は初めて訪れる領主の館に圧倒されていた。大きな屋敷は、見る者に畏怖を覚えさせる。かつては戦場近く、防御の際の砦としても機能していたという話を聞いて私は納得した。

出迎えた屋敷の執事が私をみて眉をひそめた。主人の手前何も言わなかったが、きっとみすぼらしい子供を連れ帰ったことを不満に思っていたのだろう。

私はアレッシオ様の部屋に近い客間に通され、しばらくここで過ごす様に告げられた。馴れない移動で疲れた私は、夕食も取らずにそのまま眠ってしまった。

 

私が学校であったことを話すと、お父さんとお母さんが二人とも笑っている。

「だめよ、ルチア。そんなお転婆ばかりではお嫁にいけないわ」

「いいの。こんな私でもいいっていう人を見つければいいの!」

「そうだよ、ニコラ。ルチアに結婚の話はまだまた早い」

突然お父さんとお母さんの姿が消える。

「お父さん?お母さん?」

代わりに現れたのは血まみれとなった二人の姿だ。

「いや、どうして?」

「ルチア、すまない」

「ルチア、ごめんなさい」

お父さんとお母さんは泣きながら交互に私に謝ってくる。どうして二人とも血まみれなの? いつもみたいに笑って。私の事を叱ってよ。

「いやあ!」

「ルチア!」

強く抱きしめられる感触に私は目を覚ました。アレッシオ様が私を抱き締めている。

「うなされていた」

あれは夢だったの? ああ、全部夢だったら良かったのに。お父さんもお母さんも死んだというのは全部悪い夢だったら……。

アレッシオ様はぽろぽろと涙をこぼす私を抱き締め、ずっと背中を撫でてくれていた。私はアレッシオ様の黒髪を一房握りしめた。私は泣き疲れて寝てしまうまで、温かな感触に包まれていた。

 

結局、私が初等科を卒業するまでアレッシオ様の屋敷で生活することになった。

アレッシオ様のご家族はウリッセ公爵領に住んでいて、アレッシオ様は一人で暮らしていた。ご家族はあまりいい顔をしなかったが、親友の忘れ形見としてアレッシオ様にはとても可愛がっていただいた。まるで父の様に私の話を聞いてくれ、的確な助言をくれる。

私はアレッシオ様に褒められる為に、一生懸命勉強した。新しい学校にも徐々に慣れ、友達も増えていった。

学校が長期休暇に入ると、アレッシオ様は本来ならば小作人の娘である私には必要のないダンスや礼儀作法の家庭教師を呼び、私に学ばせた。私はアレッシオ様の期待に応えようと、何事にも全力で取り組んだ。

努力の甲斐があって、常に成績は上位を保つことが出来た。初等科を卒業する時点で、農民の子であればそのまま農業に従事し、商人の子であれば中等科まで学び、その後家業を継ぐのが一般的だ。私は父の様に小作人となるものだとばかり思っていたが、アレッシオ様の強い勧めで中等科へと進むことになった。

アレッシオ様の家族からは、未だ独身のアレッシオ様が、未婚の女性と住むのは感心しないと注意を受けた。私もアレッシオ様の足かせにはなりたくなかったので、家を借りて住むことを申し出た。アレッシオ様は家を出ることに反対していたが、最終的には長期休暇には必ず帰ってくることを約束させられ、全寮制の子女が通う隣の領地にある学院に入学することに落ち着いた。

貴族や良家の子女が多く通う学院では、新たな発見の連続だった。新たにできた友人リーザとは親友と呼べる関係を築くことが出来た。

父と母にはお転婆だとよくからかわれていたが、私はアレッシオ様の為に精一杯おしとやかに振る舞っていた。けれどリーザはそれを見抜いていた。

私は領地へ戻った時の為に役立てたいと、農地の経営について学んでいるときにリーザと知り合った。

「あなたが……、クレメンティ子爵が後見人をしているという子なの?」

リーザは初対面の私にずけずけと尋ねてきた。

「そうですけれど、何かご用でしょうか?」

「ああ、そんなに警戒しないでちょうだい。私はリーザ・カッペリーニ。カッペリーニ子爵の娘なの」

次期ウリッセ公爵であるアレッシオ様に近付こうとする人は多い。私は警戒も露わにリーザを見返す。名乗られたのならば、名乗り返さないのは無礼に当たる。私は仕方なく答えた。

「私はルチア・ベリーニと言います。それで、何の用でしょうか?」

「領地の経営について私も勉強しているの。あなたが成績優秀だと先生に聞いたの。できたら一緒に勉強しない?」

思わぬ申し出に私は面食らった。今まで私に近付いてくる人は、ほとんどがアレッシオ様に近づこうとする人ばかりだった。私自身に価値を見出して近づいてきたのは彼女が初めてだった。こうして私はリーザと知り合った。

共に学ぶうちに父を助けようと努力するリーザの姿に共感を覚え、私は彼女の事をうらやましく思った。

彼女は末席とはいえ貴族の身分を持っている。一方の私はアレッシオ様に後見を受けているとはいえ、ただの農民の娘。アレッシオ様の為にできることはほとんどない。せめて中等科を卒業したら、家令見習いとしておそばに置いて頂けないだろうか?

夏休みに入り、私は約束通りアレッシオ様の領地へと帰った。

もはやクレメンティ領は私の故郷となっていた。

「ただいま戻りました」

王都から領地へと戻っていたアレッシオ様に帰郷の挨拶をする。

三十二歳となり男盛りを迎えているアレッシオ様は、優しい微笑みで私を迎えてくれた。

「おかえり、ルチア。しばらく見ない間に随分と成長したようだね」

「アレッシオ様、私も十四歳となったのですから、成長したと思うのですが……」

アレッシオ様は青紫の瞳を面白そうに輝かせた。

「私にとってルチアはいつまでたっても幼いころの可愛いルチアだ」

「どうせ今は可愛くありませんよ」

拗ねる私にアレッシオ様は優しい笑みを浮かべた。

「そんなことはないよ。随分と綺麗になった。年頃の女の子というものはあっという間に変化するものだね」

私は慣れない褒め言葉に顔が紅潮するのを押さえられなかった。

「からかわないでください!」

「ははは!」

それまでよくしていたように、私はアレッシオ様と休暇を過ごした。二人で遠乗りに出かけたり、図書室で読書をしたりして楽しく過ごした。

その年の夏休みは本当に今でも忘れることが出来ない。無邪気でいられた最後の夏休みを。

 

 

ルチアは夏休みに入り、いつものようにクレメンティ子爵領に帰ってきた。

「ただいま戻りました」

「おかえり、ルチア」

戻った私をいつものようにアレッシオ様が迎えて下さった。

けれどひとつだけいつもと違うことがある。アレッシオ様が女性の秘書を伴っていたのだ。いずれウリッセ公爵を継ぐ身としてお父様からいろいろな仕事を任されているらしい。忙しそうにしているアレッシオ様には申し訳ないが、来年の秋には卒業を控え、今後の進路について相談をするために時間をもうけてもらった。

「来年の秋には中等科も卒業です。できれば家令見習いとして、こちらの領地で働かせていただきたいのですが……」

私の申し出にアレッシオ様は顔色を変えた。

「なぜだ? ルチアの成績ならば問題なく高等科へと進めるだろう。私はルチアには自由に学びたいことを学んでほしい」

「ですが、私は小作人の娘にすぎません。分不相応です」

「そんなことはない。ルチアは私が後見しているのだ。どのような家にでも嫁ぐことが出来る」

嫁ぐ? 私に誰かの元へ嫁げとおっしゃるのですか?

アレッシオ様の言葉に私は言い知れない不安を覚えた。なんなのだろう、この胸が寒くなるような感覚は。

「私は嫁ぐ気持ちなどありません。アレッシオ様のお役に立ちたいのです」

「私はそのようなことは望んでいない。そのまま高等科へと進みなさい」

進路についた対立した私とアレッシオ様はしばらく口をきかなかった。

夕食の席で秘書を紹介される。

「こちらは秘書のジリオーラ・ダンドロ。こっちは私が後見人を務めるルチア・ベリーニだ」

「初めまして」

「初めまして、アレッシオからあなたの話はよく聞いていました。話通りの可愛い御嬢さんね」

「いえ、よろしくお願いいたします」

私はアレッシオ様の名前を呼び捨てにする彼女に衝撃を受けた。彼女はアレッシオ様から名前を呼ぶことを許された存在なのだ……。

休暇の間もアレッシオ様は秘書のジリオーラさんと精力的に仕事をこなしていた。才色を兼ね備えたジリオーラさんはアレッシオ様の厳しい要求にも、顔色一つ変えずに淡々と仕事をこなしているように見える。

見目麗しく、豊満な身体を持つ彼女は私生活面でもアレッシオを支えている様子だ。ふとした瞬間に、彼女の肩や腕に触れるアレッシオ様を見るたびに、私の胸に痛みが走った。

何故こんなに胸が痛いのか。私は途方に暮れた。こんな気持ちを相談できる相手はいない。母が生きていたら何か助言を与えてくれただろうか?

私は窓辺から空に輝く上弦の月を見上げた。

 

新学期が始まり、私は学院へと戻った。結局進路についてはアレッシオ様に押し切られる形で高等部へと進むことになった。寮の部屋にリーザを招き、進路について告げると大喜びされた。

「良かった。また一緒に勉強できるわね」

「本当は領地でお仕事を少しでもお手伝いできればと思ったのに……」

「でも、高等科に進めばもっと経営について詳しく学べるわ」

「そうね……」

もやもやと胸に巣食う鈍い痛みに、私は歯切れ悪く返事をした。時折脳裏によぎるのは、アレッシオ様とジリオーラさんの親しげな様子。

「どうしたの、ルチア? 休暇から戻ったあなたったら、まるで恋煩いをしているみたいよ」

恋煩い? これが恋だというの?

私は胸を突かれた。物語の中に登場する恋というものはもっと楽しい物のはずだ。

こんな苦しい気持ちが恋だというの?

茫然とする私にリーザが畳み掛けた。

「あら、本当に恋煩いなの? 相手は誰?」

「アレッシオ様……みたい」

「ルチア……」

リーザは思いがけない答えに言葉を詰まらせた。彼女にもこの思いが届かないことが分かったのだろう。無言で私の肩を引き寄せた。

「私でよければいつでも相談に乗るわ」

「……うん。ありがとう」

恋だと自覚した途端に失恋とは……。私って本当に鈍感だったのね。

いずれお父上の公爵位を継ぐアレッシオ様と小作人の娘である私では身分が違いすぎる。アレッシオ様に告げることのできない思いに、私は涙をこぼした。

リーザは私が泣き止むまで、背中を撫でてくれる。かなり泣いた私は少しすっきりした。瞼は腫れ上がってしまったけれど……。

告げることのできない思いでも、抱くことだけは自由でしょう? 今しばらくの間、あなたの事を想うことを許してください。アレッシオ様。

 

中等科最後の夏を、恋を自覚した私はアレッシオ様と過ごすのが躊躇われ、リーザに誘われるままカッペリーニ領で過ごすことにした。

アレッシオ様に手紙でそのことを知らせると、残念だが仕事で忙しいため今年は領地で過ごせそうにないので、ちょうどよかったという返事をもらった。

嬉しいような、悲しいような気持ちでリーザと共に夏休みを過ごした。

周りに相談できる女性がいなかったこともあり、リーザと過ごすことは思いのほか楽しかった。二人で出かけて買い物をすることも、お洒落をして過ごすことも初めての体験で、私は興奮した。

二人で高等部へと進学した私たちは相変わらず勉強に明け暮れた。私は農地の経営以外にも、品種改良や経理についての知識を深めていった。

高等科へ入って最初の休暇に、私はようやく気持ちの整理をつけて領地へと帰った。

「ただいま戻りました」

「……おかえり、ルチア」

いつものように微笑んでくれると思っていたアレッシオ様の顔は強張っていた。

「どうかしましたか?」

「いや……、なんでもない」

珍しく歯切れの悪いアレッシオ様に私は思わず顔を見つめた。アレッシオ様の青紫の瞳には言いようのない光が宿っていた。

私はその正体を確かめることが恐ろしく、なるべくアレッシオ様と一緒に過ごさないように心掛けた。好きなのに一緒に居たくない。その矛盾した気持ちに私は一人自分の部屋で夜空を見上げた。

なかなか眠気が訪れず、私は寝間着のまま庭に出た。月光が降り注ぐ庭では月光の下にだけ咲くという白い花が蕾を綻ばせようとしていた。私は時が経つのも忘れ、その花が開く瞬間を待って立ち尽くしていた。

「もう、寝る時間だ」

不意に後ろから声を掛けられ、私は驚きに飛び上がった。振り向いた先に居たのは……。

「アレッシオ様……」

「あまり夜に出歩くと風邪をひくぞ」

「はい。でももう少しで蕾が開きそうなんです」

私が月光花を指し示すと、アレッシオ様は頬を緩めた。

「私も咲くところは初めて見るな」

そのまま二人でしばらく開花に見とれていた。月光を受け輝く白い花は、朝にはその輝きを失ってしまう。その儚さに私は胸が痛くなった。

 

 

高等科へ入って最初の夏休み以降、私は何度かの休暇をクレメンティ子爵領で過ごした。アレッシオ様は休暇に女性を伴うようになっていた。

毎回女性は違っていて、社交界では女性関係が派手だという噂を聞くようになった。私は休暇を子爵領で過ごすことが苦痛になりつつあった。アレッシオ様が連れてくる女性はいつも美しく、魅力的な女性ばかりだ。やはり私の思いなど届くはずがないと思い知らされる。

私は高等科の最終学年に差し掛かり、一つの決断を迫られた。

街で職を探し、クレメンティ子爵領を離れるか、それとも家令見習いとして働けるよう、もう一度アレッシオ様にお願いするか。

私は卒業と同時に領地へと帰ることが決まっているリーザに相談を持ちかけた。

「ルチア、彼の元で働くのはやめておいた方がいいと思うわよ」

「……だよね。自分でも馬鹿だと思っているわ。だけど街で仕事に就いたら、もうアレッシオ様には接点もないし、会えなくなってしまう気がするの……」

「ルチアはもう少し他の人にも目を向けてみればいいのよ」

「どういうこと?」

リーザの言葉に私は首をかしげた。

「ルチアは結構学院の男子に人気があるのよ」

「えぇっ?」

初耳だ。自分のような平凡な女性を好きになる人がいるのかしら?

「あら、知らなかったの?」

「だって私みたいな平凡な女のどこがいいの?」

「あなた、自分の容姿をわかってないわね……」

リーザの呆れたような声に、私はつい反論してしまう。

「自分が平凡だってことくらいわかってるわよ」

「まっすぐな金髪だけでも、私がどれだけうらやましいと思っているか知らないの? それに目は大きくて、鼻筋も綺麗に通ってる。どこが平凡なのよ」

「だって……アレッシオ様の連れてくる女性は本当に美しいもの」

「クレメンティ子爵が連れている女性は確かに美しいという評判だけど、ルチアだってちゃんと化粧すればすぐにそれくらい綺麗になるわよ」

本当にリーザの言うことが正しいのだろうか?

「でも……もしも綺麗になったとしても、アレッシオ様に女性として見てもらえないよ。きっといつまでもあの方にとって、私は保護すべき対象だもの」

「その様子だとルチアが高等科の氷姫と呼ばれちゃったりしているのも……知らなさそうね」

私の愕然とした表情をみたリーザはようやくからかうのを止めてくれた。氷姫? 何それ!

「私のどこが氷なのよ」

「無意識だと思うけど、他の男の人を寄せ付けないようにしているでしょう?」

「……かもしれない」

親しくする男友達はいても、恋愛感情を持たれそうになると逃げるようにしている。これ以上ややこしくなるのはごめんだった。それにアレッシオ様と比べるとどうしても見劣りしてしまうのだ。

「恋はね、別の恋で忘れるのが一番の特効薬らしいわよ」

「そうなの?」

「らしいわよ?」

「ふうん」

私にはきっと無理だ。まだ、アレッシオ様を忘れることはできない。もう少しだけそばに居させてほしい。そう願うのは間違ったことなのだろうか?

「もう結論は出ているみたいね」

リーザの言葉に私は気づかされた。相談したいと言っておきながら、とっくに結論は出ていたのだ。

「うん。話を聞いてくれてありがとう」

「どういたしまして。卒業したらそうそう会えなくなるんだから、相談するなら今の内よ」

「わかってる。本当にありがとう、リーザ」

私は一つの決断と共にクレメンティ子爵領へと帰った。

 

「駄目だ」

私のクレメンティ子爵領での家令見習いをしたいという願いは、アレッシオ様にあっけなく却下された。

「なぜですか?」

「私は一年の大半を王都で過ごすことは知っているだろう。どうせなら、私の秘書として働けばいい」

思ってもみない誘いに私の心は舞い上がった。たまに訪れる子爵領ではなく、ほとんど王都にいるアレッシオ様のそばで働くことが出来るのだ。

もう少しだけでもそばに居ることを許された私は完全に浮かれていた。

「本当ですか? 嬉しい!」

私は嬉しさのあまり、思わずアレッシオ様に抱きついてしまった。

「ルチア、離してくれないか?」

アレッシオ様の言葉に私は慌てて飛びのいた。

なんてことをしてしまったのだろう。

アレッシオ様の顔を見上げると、不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。

気分を損ねてしまっただろうか?

「すみませんでした」

「いや、その……子供の頃以来だな」

「……そうですね」

なんとなく気まずくなり、私は視線を逸らした。

「では、よろしくお願いします」

「ああ」

学院に戻った私は秘書に必要な技能を学び始めた。リーザは驚きながらも応援してくれた。私はがむしゃらに努力した。全てはアレッシオ様の役に立つ為に。

卒業と同時に私はアレッシオ様の下で働き始めた。最初は失敗もあったが徐々に慣れてきて、半年も経った頃にはなんとか一人前の秘書として働けるようになったのではないかと思っている。

アレッシオ様の要求は厳しいが、正当なものだった。彼の要求に応える為私は夢中で働いた。お陰でアレッシオ様の下で共に働く同僚とも、交流を深める暇もないほど忙しい。

私はひたすらアレッシオ様の下で彼の為に働いた。ようやく少しでも彼の役に立つことができ、満足していた。

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