レイはSection9のデータベースにアクセスしてきた場所を仮想世界の中で辿っていた。
――おかしい。外部から侵入された形跡がない。
本部が今は破棄されたあの場所にあったが、Section9の活動を支えるAIやデータベースは地球衛星軌道上の人工衛星上にある。
レイはUIA内部からのアクセスをチェックすることにした。ここ一か月ほどの間にSection9のサーバにアクセスしてきたのは、UIA上層部だけで他からの侵入は無い。
一番頻度が高いのは上司に当たるオメガからのアクセスだった。
レイはヴィジフォンでオメガを呼び出す。数コールの呼び出しのあと、画像と音声が呼び出しに応じた。現れたのは薄い金色の髪を長く伸ばし、冷たいサファイアブルーの瞳を持つ男の姿だった。
「レイ、どうかしたのか?」
低い声がレイの鼓膜を震わせた。
「今からダイブできますか?」
「ああ。かまわない」
レイの姿を認めたオメガは画面の向こうで微笑んだ。
「ではArea3のパリにあるサーバで会いましょう」
「わかった」
一瞬にしてオメガの姿が消える。レイは自分が指定した場所へと仮想世界の中を移動した。
現実(リアル)では数時間かかる移動も、仮想世界(ヴァーチャル)の中では一瞬だ。
レイはオメガとの待ち合わせ場所へ着くと、彼が現れるのを待った。すぐにオメガが姿を現す。先ほどヴィジフォンで確認した姿のままだ。仮想世界では外見などただのデータに過ぎないのであまり意味はないが。
オメガはレイよりも先に遺伝子操作を受けて生まれたUIAの幹部だ。一九〇cmを越える身長は軍人らしく引き締まっている。背中に流したプラチナブロンドが豪奢な印象を与えている。普段彼が周囲に見せる顔は無表情で、冷たく整った顔に相応しい姿で周囲に威圧感を与えている。
けれどオメガはレイの前ではその表情を一変させる。
「オメガ、私は現在Section9襲撃について調査しています。情報を共有させてください」
レイが手を差し出すと、オメガは笑った。
「コードネームで呼ぶなんて無粋だな。ショウと呼べ」
「任務中ですので」
レイは務めて冷たい声で答える。
ショウは苦笑すると、レイの差し出した手をつかんだ。
レイからショウへこれまで調べた情報が流れ込んでくる。襲撃を受けたときの状況、その直前までの任務と成果、局員の行動記録など膨大な分量が送られてきた。
けれどどれ一つとして怪しい情報はない。だからこそ、襲撃を受けた理由が分からないのだ。
レイから情報を受け取ったショウはしばらく考え込む様子を見せた。
「ふむ、これは厄介だ。内部を疑ってかからなければならないとは」
「監査部を動かしていただけませんか?」
「監査部……ね。いいだろう。新しい本部も早急にこちらで手配しておく。Area9標準時で……明日の9:00には用意ができるだろう」
「ありがとうございます。オメガ」
レイはショウに頭を下げた。
「今の私は機嫌がいいから、レイのお願いなら何でも聞いてあげるよ」
「任務中です。アルファとお呼び下さい。そのほかに特に必要なことはありません」
不敵な笑みを浮かべながらレイに近付いたショウは、レイの髪を一房すくいあげた。
「早くリアルの君に逢いたい」
ショウは瞼の下にレイに焦がれる情欲の光を押し隠して、捕まえた髪に口づけを落とした。
「私は貴方に合う必要性を感じません」
レイは身を翻すと、逃げるようにショウの元から掻き消える。
「残念、逃げられた」
仮想世界に取り残されたショウは、言葉ほどは残念そうでもなく、レイに触れた手を名残惜しげに見つめたまま仮想世界をあとにした。
現実世界へと戻ってきたショウは秘書AIに香港行きのチケットを手配させる。
自分の権限で止めさせていたSection9の新本部の活動凍結を解除すると、秘書AIも利用しながら手際よく新本部に必要な装備を配置していく。Section9の任務に必要な準備は整った。
ショウはブリーフケースを取り上げると、UIA本部ビルから空港へ向かうエアカーに乗り込んだ。
ショウの口元には珍しく笑みが浮かんでいた。
オメガとしての彼を知る者が見れば驚きに硬直してしまうだろう。
ショウはエアカーの中でオメガの顔を取り戻すと、手元の端末を操作して監査部の局員に召集を掛ける。
『Section9を査察する。香港の新本部へ集合』
すぐに数人の局員から応答メッセージが返ってくる。ショウを乗せたエアカーが空港に着く。
搭乗口には招集をかけたデルタ、イプシロンの姿があった。
「お久しぶりです。オメガ」
「ああ、ふたりとも久しぶりだ」
仮想世界で顔を合わせることはあっても、現実の肉体を伴って会うのは実に久しぶりだった。
「オメガが出てくるということは、かなりの大きい事件になりそうですね」
デルタは嬉しそうに笑った。
「徹底的にやる」
ショウはレイから得たSection9局員のデータをデルタ、イプシロンへと転送する。
「ほう、楽しそうな面々ですね」
イプシロンは銀縁の眼鏡のブリッジを持ち上げ、ずれを直した。
搭乗を促すアナウンスが流れ、三人はゲートをくぐった。