ナディアが辺境伯の爵位を継いでから三カ月が過ぎようとしていた。季節は秋から冬へと移ろうとしている。最近はマウリシオの具合も良くないことが多く、ナディアは領地の視察をずっと延期していた。収穫期を迎え、領民も忙しい為視察はもう少し後の方がいいだろうと延ばしているうちに、こんな時期になってしまった。
(もう、春まで待つしかないか……)
ナディアは執務室で書類を眺めながら、思案していた。
「ただいま」
フロレンシオが砦での訓練を終え戻ってきた。最近は自衛団の訓練も任せることが多く、互いに忙しい日々を過ごしていた。
「おかえりなさい」
フロレンシオは妻の体を抱きしめた。
愛を交わすたびに、愛しさが増していく。ほころび始めていた蕾はいまや完全に開花し、愛される喜びを知った体は妖艶な色香を纏っていた。
結婚してからふくらみが増した胸をフロレンシオが背後から撫で上げると、ナディアは息を乱した。
「フロルっ、まだ……仕事が……終わってないから」
「有能な領主様の仕事はきりが無いだろう。明日に回せばいい」
「もうちょっと……ん」
抗議を続けようとした口はフロレンシオの唇によって塞がれてしまった。執務机の上に押し倒され、ナディアの背中の下には書類が散らばる。
「ふ……あ」
重厚な執務机の上に縫いとめられるように倒されたナディアは、フロレンシオからの口づけを甘受した。自由になった腕をフロレンシオの首に回し、口づけを深める。
「っふ、あ」
ナディアがフロレンシオの口づけに溺れそうになった瞬間、執務室の扉がたたかれた。
「奥方様、お客様がお見えです」
ルカスの声に、ナディアとフロレンシオは急に我に返った。急いで身なりを整えると、フロレンシオが扉を開けた。
「誰だ?」
ナディアの問いかけにルカスが答える。
「バローネ侯爵がお見えです」
ナディアはバローネの名前を聞いて、瞳を輝かせた。時折辺境を訪れる青年はナディアにとっては兄のような存在であり、悩み事を打ち明ける相手でもあった。
「応接室に通してくれ。すぐに行く」
ナディアの嬉しそうな様子に、フロレンシオは眉をひそめた。
「バローネ侯爵とはどういう関係だ?」
「母の従兄弟にあたる人だ。たまにこっちに寄って、面白い話を聞かせてくれるんだ」
ナディアはフロレンシオの不機嫌な様子に気づかず嬉しそうに話し続けている。
「ふぅん。それなら私も一緒に挨拶しよう」
「ああ、フロルのことも紹介したいし」
ナディアは無邪気に喜んでいた。二人は腕を組みながら応接室へと向かう。ナディアが応接室の扉をあけると、懐かしい茶色の髪が目に入った。
「ダンテ!」
「ナディア!」
ナディアの姿を見つけたダンテ・バローネ侯爵は嬉しそうにソファから立ち上がり、ナディアに近付いた。ナディアの後ろにフロレンシオの姿を見つけてダンテは、ナディアを抱きしめようとした腕を止めた。
「結婚したと聞いたけれど、本当だったんだね」
ダンテは珍しい紫色の瞳でフロレンシオを睨みつけていた。
「ああ、ダンテ。こちらが私の夫のフロレンシオだ。フロル、こちらがダンテ・バローネ侯爵だ」
ナディアはダンテの様子に気づかず、嬉しそうに互いを紹介した。
「よろしく、フロレンシオ」
「こちらこそ、バローネ侯爵」
「ダンテと呼んでくれればいい」
「わかった。ダンテ」
二人の間に冷たい空気が流れるのに気付かず、ナディアは無邪気にダンテに久しぶりに会えたことを喜んでいた。
「ああ、ダンテ。話したいことがたくさんあるんだ。そう言えば、今回は急だったね。いつもは先に手紙で知らせてくれるのに」
「噂で君が結婚したと聞いて急いで来たんだよ。これでも」
「そうか、わざわざお祝いに来てくれたのか。ありがとう」
「まあ、ね」
含みを持たせた口調に、ナディアもようやくダンテの機嫌が悪いことに気がついた。フロレンシオの様子も同様だ。
「いずれ、君に求婚するつもりだったのに、こんなに早く結婚してしまうとは思わなかった」
ダンテの口調は苦さを含んでいた。
「ダンテ……そんなつもりは……」
「君が僕をそういう対象として見ていないのは知っていたけど、待つつもりだったんだ。それなのに、こんな男と結婚してしまうなんて……」
ナディアは助けを求めるようにフロレンシオを見つめた。
「あいにくだが、ナディアは私の妻だ」
フロレンシオはダンテを睨みつけた。