3. 夜会

コンラッドの運転するファントムは、静かに大きな邸宅の車寄せ(ポーチ)に停止した。ドアマンが素早く黒塗りの車に近づき、後部座席のドアを開ける。金髪に碧眼のこれといって特徴のない男性が車を先に降り、後ろから続く女性に手を差し出してエスコートする。

黒のシックなドレスを身に纏(まと)ったダイアナは、この日の為に雇ったパートナー役の男性に腕を預けて屋敷に足を踏み入れた。今夜のダイアナは髪を黒くしている。髪は高く結いあげられ、白く華奢なうなじが露わになっている。音も立てずにゆっくりと細いヒールで足を運ぶ姿は、豹の血を引いていることを感じさせる。

「いらっしゃいませ」

髪を後ろに撫でつけた執事と思(おぼ)しき男性がダイアナに向かって頭を軽く下げる。ダイアナがバッグから招待状取り出して見せれば、執事の顔はほころんだ。

「バーリントン伯爵でいらっしゃいますか?」

「いいえ、代理で参りました」

ダイアナはすました顔で嘘を口にする。バーリントン伯爵としてのダイアナの顔はほとんど公に知られていない。ダイアナはそれを利用して多くの場所に潜入してきた。

「当家での時間をお楽しみくださいませ」

「ありがとう」

ダイアナはパートナー役の男性を促して先へ進む。夜会にはすでに多くの人が集まっているらしい。ホールの方からは音楽が漏れ聞こえてくる。

「ここで、契約終了かな?」

ダイアナをエスコートしてきた男性が背後から囁く。

「ええ、ありがとう。好きなときに帰ってもらって結構よ。車はシェフィールドの名前を出せばどこでも送ってくれるわ」

「短い間だけど、楽しかったよ。また用があれば呼んでくれ」

俳優志望だという彼は、挨拶代わりに頬にキスをすると、にぎわう人にまぎれて消えた。

本来ならば主人(ホスト)であるノーフォーク公に挨拶に行くのが筋なのだが、代理として出席しているのでかまわないだろうという判断で、ダイアナは適当にホールで時間をつぶすことにした。ホールで踊る招待客の姿を横目に、バーカウンターに向かったダイアナはミモザを注文した。

この日のために雇われたのであろうバーテンダーが鮮やかな手つきで注文に応えている。

ダイアナが目の前に置かれたフルートグラスに口を付けた瞬間、背後から鋭い視線を感じる。不自然にならないように注意を払いながら、さりげなく振り返った彼女の目に、圧倒的な存在感を誇る男の姿がはいる。

黒くつややかな髪にかなりの長身の男は、珍しいすみれ色の瞳でじっとダイアナを見つめていた。食い入るような男の視線に、ゾクリと背中に震えが走る。

ダイアナは男に気づいたことを気取られぬよう目を伏せ、フルートグラスに残ったミモザをあおった。

(こんな場所で目を付けられるわけにはいかない……)

バッグを強く握り締めていたことに気づき、ダイアナは息を吐いて力を抜く。今夜この場所に来たのは、踊り明かすためでも、顔を広めるためでもない。ダイアナはことさらゆっくり振る舞い、化粧室に向かった。

メイクを直し、気持ちを落ち着けると、ダイアナは化粧室から出る。夜会の会場になっているホールへは戻らず、二階へ続く階段を上った。

いつもより早く脈打つ鼓動をなだめすかして、ダイアナは堂々と廊下を歩き、目星を付けていた部屋にするりと入り込む。人の気配がないことを確認して、部屋の奥に目を凝らす。

夜空を照らす月を隠していた雲が晴れ、部屋に月光が差し込んだ。

月明かりに浮かび上がった戸棚が目に入る。ダイアナはこの屋敷のどこかにあるはずの父の絵画の痕跡を探すために戸棚の扉をそっと開いた。

月明かりを頼りに書類をかき回してみるが、戸棚の中にはたいした書類は入っていない。扉を閉めて別の部屋を探ろうと振り向いたダイアナの口を誰かが塞いだ。

突然のことに驚いたダイアナは大いにあせりながらもつま先を蹴(け)り上げる。まともに蹴りを食らった相手の身体が後ろへ下がる。口を押さえる手が緩んだ隙(すき)に、ダイアナは床を蹴り、出入り口の扉を目指してソファを飛び越えた。

「……ぁっ」

何とか逃げおおせたと思った瞬間、ダイアナの足首がつかまれ、ソファの上に押し倒される。

見上げた目に映ったのは、先ほどホールでダイアナをじっと見つめていた男の姿だった。

「とんだじゃじゃ馬だ……」

男はすみれ色の瞳に情欲を宿し、組み敷いたダイアナの身体を舐めるように見つめている。

最後の抵抗とばかりに、ダイアナは身をよじり、足をばたつかせる。しばらくの間、もみ合っていたが、男の力には適(かな)わなず、ダイアナは大きく息を荒げつつ抵抗をやめた。

「誰だ?」

男のすみれ色の瞳が見る見るうちに近づいてくる。

ダイアナは避(よ)けることができずに、ただ唇が重なるのを茫然(ぼうぜん)と見ていた。

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