10. 家出娘、混乱する

「合同演習?」

ナディアが上げた疑問の声にフロレンシオが答える。

「そうだ。月に一度、複数の騎士団と合同で訓練を行う。模擬戦形式で、私たち白百合騎士団の相手は白薔薇騎士団と紅薔薇騎士団だ」

「数に差がありませんか?」

ナディアは真っ先に浮かんだ疑問をフロレンシオにぶつけた。

「こちらは砦での守備側だから少なく設定されている」

「なるほど」

ナディアは頷いた。

それからの数日、合同演習の為に二人は準備に追われた。

訓練に必要な物資の手配、馬の手配など必要な手続きは山ほどある。必要な書類を作成し、団長へ提出しなければならない。ナディアが言われた資料を集め、それをもとにフロレンシオが書類を作成していく。できた書類はナディアが団長室へと届けに走る。手配したものが揃っているかの確認も終えると、ようやく準備が完了した。

フェリクスの号令のもと、白百合騎士団はいよいよ合同演習が行われる砦へと移動を始めた。馬で一日ほどの距離にある砦は周囲を川に囲まれている。

ナディアは移動途中に見かけた地形を頭に叩き込みながら砦の入り口をくぐった。

既に砦には物資が届いていた。ナディアはフロレンシオと共に手配通りの数がそろっているか確認する。一通り確認が終わるとフェリクスの指示でフロレンシオと共に砦の周囲を索敵の為に回ることになった。ナディアはミゲルに乗ってフロレンシオの率いる第一小隊の皆と共に出撃した。隊が砦から出ると、砦の扉が閉められる。

無言で砦の周囲を回って確認を終えると、木立の中を進んだ。しばらく北へと進み、湧水がある所で休憩の為にフロレンシオが隊を停止させる。

ナディアは馬から降りてミゲルに水を飲ませながら、体を休めていた。

「ナディ、大丈夫か?」

フロレンシオも自分の馬に水を飲ませている。

「慣れているのでお気づかいなく」

「慣れているのか?」

「はい。普段私がいる場所は国境近くなので見回りは欠かせませんから」

「そうか」

ナディアは水筒から水を口に含んで、喉を潤した。

隊員たちも思い思いの場所で休憩を取っている。

演習中でなければ、きっとこうした場所で過ごすのも悪くないのだろうとナディアは想像した。

(好きな人と一緒に出かけたら楽しいだろうな。……ちょっと待て、好きな人って誰だ?)

ナディアは狼狽した。

(先日アリシアに言われたからって、意識しすぎなんじゃないのか?)

そう思いながらも、フロレンシオと一緒にいる自分を想像してしまい、ナディアの顔が赤らむ。

(今は演習中だ、何を考えているんだ。集中しないと……)

そう思った瞬間、矢が近くの地面に突き刺さった。矢じりは木でできているため、それほどの威力はないが、当たればそれなりに痛い。

ナディアは矢が飛んできた方向を見ると、紅い鎧に身を包んだ一団の姿が見える。

「紅薔薇騎士団だ」

フロレンシオの言葉に、ナディアは腰の刀を抜き放った。フロレンシオも同時に大剣を抜いていた。ナディアのもつ刀とは異なり、重さで相手の骨を折ることを目的とした武器だ。

「私の刃が届く範囲に入らないようにしろ!」

フロレンシオの注意に周囲から了解の返事が返ってくる。

あたりは一気に乱戦となった。ナディアも刀を峰側に返し、相手を殺さぬように持ち替えて構える。

ナディアは二人と切り結んでいた。一人が降参を告げると、もう一人との打ちあいになる。時間が長引けば、それだけナディアにとっては不利になる。なるべく早く降参させたいが、なかなか相手も強く決着がつかない。ナディアの得意とする突きを主体とした攻撃は、相手に怪我を負わせない為には使えない為、思ったよりも苦戦してしまう。

ナディアは汗で滑る刀の柄を握り直した。

「ナディ、後ろだ」

フロレンシオの声にナディが振り向くと、別の相手が襲いかかってくるところだった。

慌てて避けて脇に転がり、体勢を立て直す。刀を地面に突き刺し、立ち上がろうとした所で剣先が突きつけられる。

(降参するしかないか?)

ナディアがそう覚悟した瞬間、フロレンシオの剣が相手に突き付けられた。首の横で止められた刃に相手は観念して降参を告げた。

「助かりました。フロル」

「よかった」

フロレンシオの見せる笑みに、ナディアはアリシアの言葉を思い出した。

普段は冷たい態度だというフロルが私には自然に笑いかけてくれる。

(本当に彼は私の事が好きなのだろうか?)

なぜだかナディアは鼓動が速くなるのを止められず、頬を紅潮させながらフロレンシオの差し出した手を取って立ち上がった。

周りでも大方勝敗はついており、白百合騎士団の脱落者は十二名中二名という少なさだった。残った紅薔薇騎士団の騎士の一部は大勢を悟って退却したようだ。フロレンシオは降参した脱落者と共に、一旦砦へと戻る様に指示して最後尾を守りながら砦へと戻った。

フェリクスに襲撃を受けた地点を報告すると、ようやくナディアたちは休むことを許された。

ナディアは野営中の炊飯部隊から皿を受け取り、パンとシチューの食事を済ませると、砦の中にある仮眠室ですぐに眠りについた。

夜中に見張りの交代の為にナディアは起き出した。昼間に索敵に出た第一小隊と砦の門の前で集合する。十二人いた隊員は十人に減っていた。二人一組で城壁の上を監視するように指示を受け、ナディアはフロレンシオと共に見回りをすることになった。

ナディアはフロレンシオの後に続いて砦を囲む城壁の上へと昇る。

満月の今夜は空も晴れ渡り、地上を月が皓々と照らしだしている。そのため壁の上からは周囲がよく見渡せた。遠くの方に焚火のような灯りが見え、紅薔薇騎士団か白薔薇騎士団であろう野営の位置がわかる。

フロレンシオが城壁に背を預けて座ったので、ナディアも習って横に座った。フロレンシオは遠くの灯りを睨みつつ、ナディアに話しかけてきた。

「ナディは本当にこのままここへ残って、騎士になるつもりはないのか?」

「無理だな。私には継がなければならない責任がある」

フロレンシオはナディアの素っ気ない態度に苛立ちを見せる。

「それでナディは幸せになれるのか?」

「幸せ……?」

(幸せとはどういうことだ? 父上の決めた許嫁と結婚して辺境伯の後を継ぎ、国境を守っていく事が自分の役割だ。そこに幸せという曖昧な感情が介入する余地はない)

「どう言うことが幸せなのか私にはわからない。ただ、果たすべき役割をきちんと果たしたいと思っている」

「ナディにこれまで好きな人はいなかったのか?」

「好きな人?家族以外でという意味ならばいない。顔も知らない許嫁ならいるが……」

「本当に顔も知らない男と結婚するのか?」

フロレンシオは怒っている様だ。ナディアは自嘲しながら答えた。

「ああ、父上が契約を交わしたそうだ。父上が決めたのなら従うほかない」

ナディアとしてはせいぜい許嫁が不快感の少ない相手であることを願うだけだ。

「それでいいのか?恋の一つも知らずに結婚することがナディの幸せとは思えない!」

「貴方に私の幸せは関係ないだろう」

ナディアの言葉にフロレンシオの顔色が変わった。

「関係ない……だと?」

「そうだろう?貴方は私の上司に過ぎない。それも期間限定の」

ナディアの言葉は途中で遮られた。フロレンシオの唇によって。

(なに? なぜフロルがこんなことを?)

ナディアは訳が分からず、フロレンシオを引き離そうとこぶしを脇に向かって突き出す。しかし、その手は易々とフロレンシオに捕らえられてしまった。

「ん……やめっ」

フロレンシオの舌がナディアの唇の上を優しく這いまわった。ナディアを拘束している左手はそのままに、右手でナディアのおとがいをつかむと、啄ばむように優しいキスを繰り返す。ナディアはその熱い感触に、思わず力が抜けてしまう。それを感じたフロレンシオは舌をナディアの口内へと侵入させた。

ナディアは初めて味わう感触に戸惑い、捕らえられた腕からも力が抜けていく。

ナディアの抵抗が弱まった事を感じ取ったフロレンシオは、更に大胆にナディアの口内を探り始める。吸い上げられた舌に、ナディアはじんと痺れるような感覚を覚えた。

「ふぁ……あ」

思わず漏れた声にナディア自身が驚いていた。

(なんなのだこれは? 酷く優しく扱われていることはわかる。だが、この体の熱はどうしたらいいのかわからない)

ナディアの体からはいつの間にか力が抜け、フロレンシオに支えられていた。

「はぁ、あ……、ん……」

ようやくフロレンシオがナディアの唇を解放すると、二人の間に銀の糸が伝い落ちた。

「これでも関係ないと?」

冷静な顔を崩さないフロレンシオとは対照的に、ナディアは息が上がり頬を赤く染めていた。

「わ、から……ない。なんだこれは?」

「キスも知らないのか?」

「これがキス?」

(話に聞いたことはあるが、こんな風になるなんて思ってもみなかった。世の恋人たちはこんなことをしているのか?)

「嫌だったか?」

混乱しているナディアに、フロレンシオは急に弱気になってナディアを見つめている。

「嫌では……なかった」

思わずこぼれた言葉にナディア自身が驚いた。

「もう一度キスしてもいいか?」

「わからない」

「嫌がらなければ承諾とみなす」

フロレンシオの顔が再び近付いてくるが、ナディアに拒否しようという気持ちは起こらなかった。

再び重なる唇。

「口を開けて」

フロレンシオの言葉に素直に従い、ナディアは口を開けた。すかさずフロレンシオの舌が歯列を割って滑り込む。歯茎を、舌を余すところなく舐めていく。

「は……あぁ……」

ままならない息にナディアは声を漏らす。

その声がますますフロレンシオを煽り、キスに夢中にさせていく。ナディアは力の入らなくなった手で、フロレンシオの上着に縋った。

「ナディ、好きだ」

熱く囁かれる言葉にナディアは返す言葉をもたなかった。

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