5. ラファエルの恋

ホールを取り囲むように配置された二階の廊下の手すりに寄りかかりながら、ラファエルは夜会を楽しむ客を眺めていた。いつもと同じような人々が集い、いつものように時が過ぎていく。ラファエルは興味もない夜会に参加しなければならない境遇(きょうぐう)を嘆(なげ)きつつ、これも仕事と言い聞かせた。

その女性がホールに現れた瞬間、ラファエルの身体に雷に打たれたような衝撃が走る。目がどうしようなく彼女にひきつけられ、離すことができない。

まず目に付いたのは黒髪との対比が鮮やかな白いうなじだ。

(ほっそりとした首筋に噛み付いたら、彼女はどんな顔をするだろう?)

姿勢の良い背中からおしりにかけてのまろやかな曲線は、思わず触れたくなる。

いつもより早い足取りで階段を下りる間も、彼女から目を離すことなく進んでいく。パートナーに寄り添うでもなく、ひとりでバーのスツールに腰をかけているところを見ると、決まった相手はいないようだ。

自分でも驚くほどほっとしながら、ラファエルはもう少し近くで彼女を観察することにした。

スカートからのぞくほっそりとした足首は、掴めば折れてしまいそうなほど細い。グラスに口をつける姿を見ていると、自分があのグラスになりたいとさえ思ってしまう。

(何を考えているんだ、私は!)

会場を見回す彼女の視線の先に、自分が映ったような気がしてドクリと鼓動が高鳴る。

キラリと一瞬彼女の目が光ったような気がしたが、彼女の目は伏せられ、自分など目に入った様子もない。苛立(いらだ)ちがラファエルの胸を焼いて騒いだ。

(どうして私を見てくれない?)

いまだ彼女と一言さえ交わしていないというのに、強烈な嫉妬と独占欲が生まれる。自分の存在を彼女に認めさせ、忘れられないようにしたい。そんな暗く重い感情がはけ口を求めて胸を荒れ狂う。

彼女がスツールから立ち上がったのを目にしたラファエルは、彼女に近づこうと足を踏み出した。けれどいきなり目の前に現れた人影に進路をふさがれてしまう。

「ラファエル、お久しぶりね」

「どなただろうか?」

邪魔をするなと怒鳴りつけたい気持ちを堪(こら)え、目の前の女性を睨みつける。身体の線をことさら強調したドレス、甘ったるい香りはあからさまで、艶を含んだ声と視線が身体の関係を期待していた。整った容貌と、隙のないメイクは、これまでラファエルが好んでベッドを共にしてきた女性に多く見られる特徴だ。けれど、ラファエルの記憶に目の前の女性は存在していなかった。薄情だと言われればそれまでだ。

「……っ」

屈辱に顔を赤くしている女性をかわして、ラファエルは目的の人物を探した。

先ほどまでいたはずの場所に彼女の姿がない。ホールに視線をめぐらせても、それらしき人影は見つからない。ラファエルは慌てた。

(どこだ?)

これまで多くの夜会に参加してきたラファエルだが、彼女の姿を見かけた覚えはない。もしここで彼女を見失ってしまえば、再び会える確率は低い。

(逃してなるものか……!)

ラファエルは駆け出すと、一気に階段を上った。途中で怪訝(けげん)そうな顔をした執事とすれ違うが、そんなことを気にしている余裕はない。

(見つけた!)

うしろ姿だったが、彼女のものだと確信する。どうして彼女が一般客には公開していないこの場所にいるのかはわからないが、気配を消して動いていることから、正当ではない理由があるのだろう。ラファエルは身を潜めながら彼女のあとを追った。

ためらうことなくある部屋に入っていった彼女の姿に、密会でもしているのではないかという疑念がラファエルにわきあがる。

(そんなことは、許さない)

勝手な憤りに囚われながら、ラファエルは気配を殺したままするりと部屋に入り込む。ひとり分の気配しかないことに安堵(あんど)しながら彼女の背後に迫る。

どうやら書類をさがしているらしい。戸棚の中をかき回している姿を見ていると、ふとした悪戯心(いたずらごころ)が沸き起こる。ラファエルは心のままに行動に移る。

うしろから彼女の口を塞(ふさ)いで、抱きしめる。口に伸ばした手は彼女の顔に触れたが、抱きしめようと近づいたところで鋭い蹴りを食らってしまう。寸前のところでかわすが、容赦なく急所の近くを蹴り上げられた。

(マジか!)

彼女がソファを飛び越えようとする姿が目に入る。ラファエルはとっさに手を伸ばし、彼女の身体に飛びついていた。

もんどりうってソファの上に倒れこみ、なんとか彼女を組み敷くことに成功する。ラファエルに流れる竜人(りゅうじん)の能力がなければ、彼女を捕らえることは難しかっただろう。それほど彼女の動きはすばやかった。

「とんだじゃじゃ馬だ……」

押さえ込んだ柔らかな身体の感触に、ラファエルは己のうちにふつふつとわき起こる衝動に身を任せた。

(君が……ほしい。ここまで私を熱くさせる、君はいったい)

「誰だ?」

問いかけを発しながらも、ラファエルはその答えを聞くことなく彼女に唇を重ねていた。舌で唇を探れば、誘うように口が開かれる。ラファエルはすかさず舌を内部へと侵入させる。

(甘い……)

「……っや」

彼女のかすれた抵抗の声が耳へ届き、腰が熱く、重くなる。首を振って唇から逃れようとする彼女の仕草が、よけいに自分の欲望をあおった。彼女は抵抗の意志を見せながらも、その一方で身体はやわらかくとろけ、ラファエルに寄り添うようにゆれている。

「はっ……あ……ん」

(かわいい。愛しい。もっと、もっとだ!)

夢中になって唇をむさぼっていると、彼女の身体から香水やコロンではないなんとも言いようのない甘いにおいが立ち上ることに気づいた。その香りはラファエルの思考を麻痺(まひ)させ、竜人としての本能をむき出しにさせていく。

「っは、あ……」

ラファエルは彼女のうしろに手を回し、逃れられないようにしておいて口づけを深めた。芳(かぐわ)しい香りの出所を探して首筋に顔を埋(うず)める。耳元を強く吸い上げれば、いっそう香りが強く立ち込めた。

その瞬間、ラファエルは無意識のうちに喉元に噛み付いていた。

竜人には求愛のための鱗が存在する。それは喉元にあるたった一欠片(ひとかけら)の鱗で、そこへ触れることを許された雄だけが交合へと至ることを許されるのだ。相手の喉元に求愛の鱗は存在しないにもかかわらず、許されたという歓喜(かんき)がラファエルを襲う。

「ああ、なんて芳しい」

「あっ、ああ……」

甘い声と柔らかな身体に、ラファエルは生まれてはじめて深く溺れていた。これほど彼を夢中にさせた女性はいない。情欲だけでなく、身体と心が共に求める女性を見つけた喜びに笑みが浮かぶ。

(見つけた。私の……伴侶(はんりょ)だ)

「ひぁっ、ん……う」

彼女から明確な抵抗の意思が表示されないうちに、このまますべてを自分のものにしてしまおうと、ラファエルはスカートの裾から内部へと手を侵入させた。すべらかなストッキングをなで上げつつ、ささやかだが形の良い膨らみを口に含む。

彼女の金色に光る目が涙を滲ませて閉じられた。

「ラファエル様、いらっしゃるのですか?」

闖入者(ちんにゅうしゃ)の声と扉が開く気配に不意をつかれたラファエルは、蹴り上げられてバランスを崩す。まともに彼女の上にのしかかれば怪我をさせてしまうと思い、なんとか身体をひねればソファの上から滑り落ちてしまう。

「うわっ!」

気がつけば彼女は部屋を飛び出していた。声をかけてきた執事を突き飛ばし、ものすごい勢いで逃げていく。

(逃げられれば追いたくなるというもの……)

「ラファエル様?」

混乱する執事を置き去りにして彼女のあとを追う。逃げ込んだ化粧室の前でしばしの間、躊躇(ちゅうちょ)したもののドアノブに手をかける。案の定ロックされていたそれを無理矢理手でこじ開け、奥に進んだが、彼女の姿はない。

開け放たれた窓の下に転がるヒールが一足と、甘い彼女の香りだけが残されていた。

(逃げられた……か)

同じ竜の血を引く友人たちから、恋に落ちる瞬間はまるで電撃が走るようだと聞いたことはあったが、ラファエルは一笑に付していた。それがまさか自分の身に起ころうとは。

(これが竜の恋……)

「なんという迂闊(うかつ)さだ」

竜人にとって生涯でただひとりとなる伴侶を得ることは、広大な砂漠の中でたった一粒の宝石を見つけだすことに例えられるほど難しい。そのため、竜人のほとんどが見つけることなく一生を終える。

ラファエルはその貴重な伴侶を見つけ出すことができたというのに、名前も知らず、素性も知らないのだ。

(どんな手段を使っても彼女を見つけ出す)

恋に狂った竜の子孫は、伴侶を手にすべく動き始めた。

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