ダイアナには自分の身に何が起こっているのか、わからなかった。
形の良い唇が近づき、ダイアナの目前に迫る。
これまでキスをしたことなど何度もある。ゆっくりとした動作は避けようと思えば避けられるはずだった。けれど、すみれ色の瞳に縫いとめられて、ダイアナは瞬(まばた)きもできずに唇を受け入れた。
互いの唇が触れあい、彼の舌がダイアナの口内にするりと入り込む。その瞬間、ダイアナの腰はジンと痺(しび)れ、頭は靄(もや)がかかったように、なにも考えられなくなる
「……っや」
彼の唇から逃れようとしたダイアナは、大きく息を吸い込んだ。途端に甘いにおいが立ちこめ、くらりと酩酊(めいてい)がダイアナを襲い、抵抗しようとした力を失ってしまう。
「はっ……あ……ん」
自分でも驚くような甘ったるい声が喉から漏れ、気づけば腰がもじもじと揺れている。ダイアナは自分の身体の症状に心当たりがあった。
(まさか……発情期?)
ダイアナの祖先に混じる獣の血は代を重ねるごとに薄まり、今ではめったにその特徴が現れることはない。けれど、両親共に豹(ひょう)の血を引くダイアナには、それが現れるかも知れないと告げられていた。
(よりによって、どうして……今!)
ダイアナは身体を襲う、自分ではどうすることもできない熱を少しでも逃そうとして、大きく息を吐いた。男の舌が深く差し入れられ、舌を絡めとられたと思えば、強く吸い上げられる。
「っは、あ……」
股の間から臀部の谷間に向かって濡れた感触が伝う。ダイアナの蜜壷からは蜜があふれ、滴っていた。
男の手が後頭部に回され、逃れようともがくダイアナの顔を引き寄せた。大きく仰(の)け反(ぞ)らせた喉を、男の口が襲う。首筋に沿って進んだ唇は、耳元へたどり着き、ちゅ、と大きな音を立てる。
「ん……あ……」
下腹部から熱が迫り上がり、ダイアナは苦しさに身体をくねらせた。男の顔を睨みつければ、涙で滲んだ視界に、猫のように細長く縦に変化した男の瞳孔が映る。腰に押し付けられた熱い塊は、欲望の高まりを訴えている。
(彼もまた獣人(じゅうじん)の血に突き動かされているのだろうか?)
熱に犯された頭の隅でらちもないことを考えながら、ダイアナはソファの背もたれをぎゅっと握った。
「ああ、なんて芳(かぐわ)しい」
男はダイアナの首元に鼻をすり寄せ、とろりとした声で陶然(とうぜん)とつぶやく。
「あっ、ああ……」
いつの間にか胸元に入り込んだ男の手が、ダイアナのささやかな胸のふくらみをもてあそび、その先端をつまんでいる。びりびりと全身を走る電流のような感覚に、ダイアナは思わず大きな声をこぼしてしまう。
身体を震わせ、目じりに涙をためたダイアナの姿を、男は満足そうに笑みを浮かべて見つめた。
ダイアナの瞳が月光を反射してきらりと金色に輝く。
「ひぁっ、ん……う」
男の手がドレスの裾(すそ)から忍び込み、ストッキングに包まれた脚をなで上げた。ゆっくりと手が上に移動する間に、むき出しにされた胸の先を男の口が含んで吸い上げる。
このまま発情期の熱に浮かされすべてを奪われてしまうのではないかと、ダイアナが諦めて目を閉じた瞬間、思わぬ助けがもたらされた。
「ラファエル様、いらっしゃるのですか?」
ガチャリという扉が開く音と共に、咎(とが)めるような声がかけられる。
男の意識が扉に向かったのを見計らい、ダイアナは力を振り絞って男の身体を蹴り上げる。
「うわっ!」
抵抗を想定していなかった男の身体は、バランスを崩してソファから滑り落ちた。ダイアナはすばやく身体を起こし、わき目も振らずに開け放たれた扉を目指す。扉の前で立ちすくんでいた男を突き飛ばして、化粧室に駆け込んだ。幸いにも先客はいなかった。
「はあっ、はっ、はぁ……」
洗面台に手をついて、乱れたドレスを直す。乱れた呼吸がなかなか戻らない。ダイアナは蛇口をひねって顔に冷たい水を浴びせた。
(これで、少しはましになったかしら……?)
未だに頭の一部は霞がかかったようにぼうっとしている。だがそんなことを気にしていられる場合でもない。化粧室の外にはさきほどの男の気配がする。踏み込んでくるのも時間の問題だろう。ダイアナは化粧室の奥にある窓に近づいた。
窓を開けて、下を覗き込んでみる。
二階に位置するこの場所から飛び降りることは不可能ではない。けれど、玄関までは少し距離があり、庭にはセキュリティ対策が施されているだろう。
(やるしかないわね)
ダイアナは素早く決断を下すと、ヒールのストラップを外し裸足になる。窓枠を両手で掴むと、勢いをつけて窓の外に飛び出した。
ひらりと身体を持ち上げ、窓枠を蹴ると隣に見える屋根の上に飛び上がる。音もなく屋根の上に降り立ったダイアナは、体勢を整え直して屋根の上を走り始めた。屋根の上にまでセキュリティ対策が施されている場所はほとんどない。ダイアナはそれを利用してアルテミスとしての活動を有利に進めていた。
ノーフォーク公の屋敷から少し離れた場所で、ダイアナは携帯電話を使ってコンラッドを呼び出した。
「コンラッド、迎えに来て」
「ダイアナ様! どこにいらっしゃるのですか?」
電話の向こうで慌てた声が聞こえる。
「お屋敷から北に半マイルほどかしら。……青い屋根の家の上」
「すぐに向かいますっ!」
叫ぶような応答があり、すぐに通話が切られる。
(これは、お説教パターンかな?)
ダイアナは内心でため息をつきつつ、屋根の上に身をひそめた。