「クラン子爵……ですか」
ラファエルから自己紹介を受けたコナーは鋭い目つきで彼を見据えた。
「お嬢様をお連れいただき、ありがとうございました。わたくしはシェフィールド家の執事を務めております、コナー・ハーシェルと申します」
ラファエルとコナーの間に見えない火花が散っている。
「ダイアナのご両親に挨拶をしたいのだが……」
「両親はいません」
ラファエルの言葉をダイアナは冷たい声でさえぎった。
「十年ほど前に事故で亡くなりました」
「それは、すまないことを聞いた」
ラファエルの表情が痛ましげなものに変わる。
「いえ、ずいぶんと昔のことですから……。御用はそれだけですか?」
ダイアナは顔をこわばらせたまま、帰れといわんばかりに冷たい言葉を投げつけた。
「……わかったよ。今日のところはこれで失礼する。だが、君を妻として迎えるのだから、準備しておいてくれ」
「っは? 妻?」
突然の宣言にダイアナは目を白黒させる。
「君は私の伴侶だよ。結婚するのが当然だと思わないか?」
「伴侶だなんて、わからないわ! 私だってあなたのことが好きかどうかもわからないのに!」
(第一、あなたから好きだといわれた覚えもないわよ!)
口調を荒げるダイアナに、ラファエルは不意を突かれた顔をする。
「すこし、性急過ぎたかな……。でも私は君を愛している。君が頷いてくれるまで、何度だって求婚するから、覚悟しておいて?」
満面の笑みを浮かべるラファエルの顔に、不覚にもダイアナはどきりとしてしまった。
「もう、帰って!」
「はい、はい!」
笑い声を漏らしながらラファエルが屋敷を立ち去り、ダイアナは大きなため息をついてどさりとソファに腰を下ろした。
「コナー、お茶を入れてくれる?」
「かしこまりました。ですが……」
コナーは鋭い目つきでダイアナを見据えた。
「今朝、お嬢様が何も言わずに屋敷から姿を消してから何があったのか、洗いざらい教えていただきますよ?」
「はーい」
ようやく一難が去ったと思ったけれど、それは大きな思い違いだったようだ。ダイアナの口から再び大きなため息がこぼれた。
「つまり、気がついたらノーフォーク公の屋敷で捕まった相手の腕の中にいたと?」
「……そう」
あきれたようなコナーの表情に、ダイアナはおずおずと答える。
「そして伴侶だと告げられたわけですね?」
「まあ……」
コナーは自らのこめかみを手で押さえた。
「だとすれば、あの方は竜人、もしくは翼人の血を引いているのでしょう。もし竜人だとすれば、執念深さは有名ですから、逃れることは難しいでしょうね……」
「ええっ? そんなの困る」
伴侶という生涯ただひとりの運命の恋人を持つのは竜人か翼人だという。豹の血を引くダイアナにはそのような習性は理解しがたい。だが、恋のひとつもしたことのないダイアナにとっては、どちらにしても身に余る感情だった。
「ですが、あの方は変装していたお嬢様の姿を見抜かれたのでしょう?」
「そうだけど……私がアルテミスだと気づかれてはいないと思う。それに私は結婚なんてするつもりはないわ。父上の遺産をすべて取り戻すのが先よ」
心配そうに眉根を寄せるコナーを安心させるように、ダイアナは力強く言い放つ。
「いずれにせよ、今後の行動には慎重を期す必要がございますね」
片眼鏡の奥で、コナーの瞳がキラリと光った。
「お嬢様の発情期も終わったようですね」
コナーの冷静な声にダイアナの身体が強張る。狼の血を引く彼のことだから、匂いでわかってしまうのだろう。
「そう、みたい……ね」
「それならよいのです。種族の中には|匂い付け《マーキング》で発情の香りを消すことができるものもいるようですから……」
マーキングという言葉に心当たりのあったダイアナは、何かを言わなければ怪しまれると思い、口を開いたがするどいコナーの目つきにそのまま口を閉じた。
「まさか……、お嬢様?」
「してないわ!」
ダイアナは顔を真っ赤にして反駁(はんばく)した。親代わりのような存在であるコナーに、こんなことを知られるのは恥ずかしくて仕方がない。
取り乱すダイアナとは対照的に、コナーはいたって冷静だった。
「お嬢様が心からそれを望むのであれば私がとやかく申し上げることはございません。執事としての分を超えているとは思いますが、お嬢様が幸せになることが私の望みなのですから」
「コナー……、わかっているわ」
それ以上口を開こうとしないダイアナに、コナーは無言で頭を下げ部屋を辞した。
ダイアナはすっかり冷めてしまったお茶を口にする。
(私だって、自分の気持ちがわからないの)
触れられた途端に発情期に突入した身体に、ダイアナこそが一番の戸惑いを感じていた。自分の心とは無関係に身体は彼を求めて熱くなってしまう。
(嫌いではないのだけれど……)
好きかどうかを判断するには互いのことを知らなさ過ぎる。
「だいたい、どうしていきなり結婚という話になるのかしら!」
理不尽だという思いが膨れ上がる。
(こんなことを悩んでいる暇なんて私にはないんだから! 早く、父上の絵を取り戻さなきゃ)