イリヤは自ら仕掛けたトラップの一つに侵入者の痕跡が残っていることに気が付いた。
――よしっ! かかった。
侵入者の痕跡から、逆を辿り侵入者の元へとたどり着くのは困難を極めた。侵入者は巧妙に何度もサーバを迂回しながら、幾つもの分岐を作りつつ侵入を果たしている。
イリヤは根気よくひとつひとつの枝葉を確認しながら痕跡を辿り、ようやく大本と思われる場所にたどり着いた。
イリヤは自身の痕跡を残さぬように、慎重に調査を進めていた。
ようやく目的の場所を前にして、深呼吸をする。
仮想世界では意味のない行為だが、それでも自分の集中力が研ぎ澄まされる気分がするのは人間の意識を引きずっているからだろうか。
イリヤは支援プログラムを起動しつつ、侵入元のサーバへと潜り込む。
――なんだ、これは!?
イリヤが逆侵入した瞬間にすさまじいまでの防御網に目を見張った。
――これをひとりで攻略するのは無理だ。
イリヤはすぐに判断を下し、いったんサーバから退避する。
イリヤは上官としてレイを呼び出した。
『アルファ、こちらファイです。現在Section9への侵入元サーバを突き止めたのですが、防御層が厚く、侵入に時間がかかりそうです。誰かを応援に回していただけませんか?』
イリヤは電脳空間から直接アルファの端末にコールした。
『了解した。私が出よう』
アルファからの意外な答えにイリヤは驚く。
『貴女が?』
『何か問題でもあるのか?』
『いえ……』
『では、現在座標を維持。すぐに行く』
『アイアイマム』
イリヤが答えると、数瞬後にはレイの姿がイリヤの前に現れる。
「アルファ、こんなすぐに」
「無駄口は閉じていろ。これがターゲットか……」
レイはイリヤの言葉を遮り、目前のサーバを冷静に分析していた。
「ふうん……。ふたりでかかれば何とかなりそうだな。三分で制圧する。ファイ、お前は私に遅れずについてこい。制圧中の私の防御を頼む」
「アイアイマム」
イリヤは忠実な部下としての顔を取り戻し、レイの命令に服従する。
「Ready, go!」
レイの号令を合図に、ふたりは目標のサーバに飛び込んだ。
イリヤが先ほど見かけた防御網は相変わらずの威容を誇っている。
レイは面白そうに目を輝かせると、次々と防御網に紛れこみ自分を上位権限保持者だと誤認させてしまう。
イリヤはレイの手際に目を見張りつつも、自分に与えられた役目を忘れない様にレイのサポートに回った。時折訪れる巡回型のプログラムを消滅させ、レイの侵入を手伝っている。
「よし、侵入経路を確保した」
鮮やかな手際でふたり分のパスコードを入手し、レイはさっさとサーバへの侵入を果たした。
イリヤが時間を確認すると宣言した時間よりも大分早い。
レイは後ろを振り返ることなく、サーバの管理者権限を取得し次々とデータを支配下に置いていく。
「来るぞ、ファイ!」
レイの手際に見惚れていたイリヤは、我に返った。
敵が仕掛けて来たウィルスを発見し、慌ててカウンターウィルスで無効化させる。
「気を抜くな!」
「イエスマム!」
イリヤは気を引き締め直して、命令の遂行に努めた。
そしてレイの宣言通り、三分でそのサーバは支配下に置かれていた。
オートボットにデータのサルベージと洗い出しを任せて、レイは支配下に置いたサーバのデータに軽く目を通す。
――当たり……だな。
「ファイ、良くやった」
「ありがとうございます」
「あとの処理はオートボットに任せる」
「いいのですか?」
イリヤはサーバをこのままにしておくことに疑問を感じて、レイに問いかける。
「ああ、私たちを最上位権限保持者として認めさせたから、ここはこのまま放置しておく。データも大体収集できたようだし、あとはこのサーバを経由する先をたどれば真の犯人へと導いてくれるだろう」
「そうですか」
「ああ、ご苦労だった。撤収する」
レイはそれだけ言うとさっさと姿を消してしまう。
イリヤは改めてレイのすごさに感心すると同時に、支配欲をかきたてられていた。
――やはり、あの美しい人がほしい。
イリヤは熱い思いを胸に自分も電脳空間から意識を切り離す。
VVMから体を起こすと、徐々に体に感覚が戻ってくる。これほど長時間VVMを使用するのは久しぶりだった。
数分ののち、体が完全に感覚を取り戻したことを感じると、ようやく立ち上がる。
体中にびっしょりと汗をかいていることにようやく気がついて、イリヤは苦笑した。
――これほど緊張したのは久しぶりだ……。
イリヤはロッカーから着替えを取り出すと、シャワーブースへと向かった。
上級士官ともなれば個室に浴室も備えられているらしいが、下級士官には共同のシャワーブースしかない。
イリヤは備え付けられたシャンプーで髪を洗いながら、改めてレイの手際の良さを思い返していた。
燃えるような赤い髪を翻し、鮮やかな手つきでサーバを制圧するレイの姿は、本当に美しかった。彼女は戦場で戦いに身を置いている方が、本来の彼女らしい。
金色に輝く瞳を思い起こすと、イリヤは下腹部が高まるのを感じた。
――このまま彼女を襲ってしまいたい。あの瞳に私だけを映してほしい。
イリヤはシャワーの温度を下げて、どうにか自分を抑えつける。シャワーを止めて新しい制服に着替えると、いつの間にかレイの個室へと足が向かっていた。
「ファイです。お話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
レイの部屋の前で呼び出すと、ロックが外され目の前でドアが開く。
「入れ」
彼女が腰を下ろす椅子の前へ足を向けると、タオルを肩にかけた状態でくつろいでいた。
どうやら彼女もシャワーを浴びたばかりらしく、赤い髪が更に色を濃くしている。
ふわりと髪から漂う甘い香りに、イリヤは脳裏が痺れるような感覚を覚えた。
「アルファ、今日はありがとうございました。貴女の助力が無ければ、私の力ではサーバに侵入することができませんでした」
「こういうことは、一人でどうこうできるものでもない。自分の力量を正しく把握することは重要だ」
「はい」
見下ろすレイの体は引き締まっており、まろやかな曲線を露わにする制服に抑え込んだはずの獣が首をもたげ始めるのを感じる。
「アルファ、……やはり貴女の名前を教えては頂けませんか?」
ふたりが関係を持ち、新本部で勤務を始めてから一度は無理矢理関係を持ったものの、なかなかレイは心を許してはくれなかった。
イリヤはだめだろうとは思いつつも、問いかけずにはいられなかった。
「変な奴だな。そんなに名前を知りたいのか?」
レイは苦笑しながら、イリヤの顔を見上げた。
「はい。貴女の事なら全て知りたい」
――心も、体も、全て私のものにしてしまいたい。
制御不可能なほどの執着心がイリヤの中で渦巻いていた。
――やはり、教えてはもらえないのか……。
そう、イリヤが肩を落として部屋を後にしようとした瞬間、後ろから声が追いかけてくる。
「レイ……だ。レイ・ヒムロ」
「レ……イ?」
「ああ、勤務時間外で他に人がいない場所なら呼んでもいい」
――誇り高き女豹の心の一部なりと許してもらえたのだ!
思わぬ承諾に、イリヤは自分でもだらしなく頬が緩むのを感じていた。
「レイ、愛しています」
レイへの愛しさが、イリヤの中で溢れて弾けた。