ラファエラの翼の封印に成功してから数日が過ぎた。
研究の手伝いはラファエラを守るための口実だとガブリエレが白状したため、通常通りの研究に戻り、ラファエラは日常を取り戻しつつあった。
ラファエラはいつも通り植物採集の為に鞄を持って山へ出かけると、泉へと向かった。
あれから特に体の不調はない。ただひとつ変わったことといえば、動物の意思がわかるようになったことだろうか。
窓を開け、朝の空気を取り込んでいると、ラファエラの耳に、小鳥のさえずりとは別に、こしょこしょと小さなささやきが聞こえるのだ。
『あそこの木の実がオイシイね』
『そうだね。もう少したべよう』
空耳かと疑ってみたのだが、しばらく耳を澄ませていると、どうやら小枝に留まっている小鳥がしゃべっているようだ。
ガブリエレに相談すると、魔力を持っている者は動物と意思疎通ができると教えられた。
ラファエラは自分がおかしくなったのかと危惧していたが、そうではないと知ってほっとする。それどころか、動物の意志が解るようになったおかげで新しい薬草を発見することができ、ラファエラは喜んでいるくらいだ。
あれ以来レオとは会っていない。ラファエラはレオに会うことに怯えつつも、平穏な日々を過ごしていた。
(彼は何をしているんだろう?)
ふとした瞬間、ラファエラの頭をよぎるのはレオのことだった。気づくと仕事の手が止まっており、ぼんやりとしている自分の心を引き締めなおさなければならないことが、多くなっていた。今日も研究室での作業が思ったほど進まなかったので、ラファエラは気分転換を兼ねて山へと足を延ばすことにした。
森の中の泉は普段と変わらず冷たい水を湛えている。ラファエラはコップを荷物から取り出して水をくみ上げ、口に含んだ。柔らかな水が喉を通り過ぎ、乾いたのどを潤す。
『だれかくるよ』
『ヒトだ。おおきなヒト』
小鳥のささやきを耳にしたラファエラは身体をこわばらせた。
(もしかして……)
ラファエラは恐れつつも、その人が現れるのを待っていた。そして想像通りに現れたのはレオだった。
「久しぶりだな」
「こんにちは」
ラファエラはなんとなく目を合わせづらく、視線を下に向ける。レオのたくましい長身に、騎士団の制服がよく似合っていた。
(今日もかっこいい……)
「あれから身体の調子はどうだ?」
「おかげさまで痛むことは無くなりました」
レオの声に否が応でも翼を封印したときのことが思い出される。
(あまりあの時の事は思い出したくないのに……)
ラファエラはうつむいた顔をくしゃりとゆがませた。
「そうか、良かった」
軽快な笑い声につられて、顔を上げたラファエラは初めて見るレオの微笑みに、胸がドクリと鼓動を打ったのを感じた。
(やめて、その笑顔は反則でしょ。今まで冷たい目で見ていたじゃない?)
「何か用なの?」
ラファエラは何を言われるのかと身構える。
「私と結婚してほしい」
(はい?)
ラファエラの頭は真っ白になり、何も考えられなくなった。
「どうして?」
茫然としながらも、ラファエラは理由を問いたださずにはいられなかった。
レオほどの人が結婚相手に不自由しているということはないだろう。封印の為とはいえ、純潔を奪われてしまったのが理由だろうか。
「知らなかったとはいえ、君の純潔を奪ってしまった。責任を取りたい」
レオは本心を隠して、ラファエラが納得しそうな理由を告げる。
(やっぱり……。彼は責任感から結婚を申し出たのね)
自分のような取り柄の無い女には彼が興味を持ってくれるはずがない。責任感だけの求婚なんて、虚しすぎる。そう思うとラファエラの目からは自然に涙がこぼれた。
「ラファエラ、どうして泣く?」
レオは慌てた。
(そんなに私の求婚が嫌だったのか?)
「いいえ、なんでもないの。べつに相手は私じゃなくてもいいでしょう?」
ラファエラはわずかばかりの期待を胸に理由を問う。
「そろそろ結婚したほうがいいと周りからも言われている。この年まで純潔を保っていた君なら妻として迎えても、文句のつけようがない貞淑な妻になるだろう」
レオはもっともらしい理由を並べ立てた。
ラファエラは告げられた理由に、肩を落とさずにはいられなかった。
(父と母のように愛し合って結婚したいと思うのは、わがままなのかしら……)
「そう……なの。返事は少し待ってもらえないかしら? 兄にも相談したいし」
ガブリエレからも告白されていることを思い出し、ラファエラは返事を思いとどまる。
「わかった。この結婚は両家の長年のわだかまりを解消するのにもちょうどいい機会だと思う」
「……そうね」
ラファエラは彼の言葉を否定できなかった。もとより両家の不仲は婚約破棄に端を発している。だとすれば結婚が両家の不仲を解消するというのは理にかなっている。
「なるべく早く返事をくれるとうれしい」
レオはあっさりと立ち去った。後に残されたラファエラは、溢れる涙が止まらずその場に崩れ落ちた。
(レオは私を好きだから求婚したんじゃない)
泣き続けたあと、嵐のような激情が去り、ラファエラはようやく己を取り戻した。
(どうしてレオに求婚されたことがこんなに悲しいの?)
ラファエラは自問した。
(だって……レオが愛情ゆえに結婚を申し込まなかったから)
ラファエラは自分の出した答えに、レオに対して愛情を求めていたことを知る。ラファエラは絶望した。
(どうして愛してくれない人を好きになってしまったのだろう? 馬鹿なラファエラ)
ラファエラは立ち上がると、研究所へと戻り始めた。もう仕事ができるような精神状態ではないことはわかっていたので、研究所へと戻ると、早々に帰宅する。
テレーザが用意してくれていた夕食を、勧められるがままに口に運んでいた。けれどレオに対する気持ちでいっぱいなラファエラの手はすぐに止まってしまう。
「お嬢様、もう少し食べませんと体が持ちませんよ」
「わかってます」
なんとかスープを口に運びながらも、フェルナンドがいつ帰ってくるのか気になって仕方がない。結局ほとんど夕飯を残してしまい、テレーザに大いに心配されてしまった。
「あのお嬢様が食事を残すなんて!」
「あのお嬢様って、テレーザの中の私はどれだけ食いしん坊なの?」
「病気の時以外に食事を残すなんて考えられません」
そんなやり取りを交わしていると、フェルナンドが帰宅した。
「おかえり、フェル」
「坊ちゃま、お嬢様が食事を残されて……」
「どうしたの、ラファ?」
フェルナンドまでラファエラの具合を心配している。
「あのね、食事が終わったら話したいことがあるのだけど、いいかな?」
「わかった」
「じゃあ、居間で待ってるね」
(私だって悩むときはあるのよ)
ラファエラは居間を落ち着かなく歩き回りながら、フェルナンドが来るのを待っていた。あわただしく食事を済ませたフェルナンドがすぐにやってきた。
「それで話って?」
「今日、レオに会ったの。それで……、結婚してほしいって言われた」
「何だって!?」
(ちょっと待て)
ソファに腰を下ろしかけていたフェルナンドは思わず立ち上がった。
「私の純潔を奪ってしまった責任を取りたいって。両家にとってもわだかまりを解消できるからいいんじゃないかって……」
(確かに、ラファの純潔を奪った責任は奴にあるが……)
フェルナンドはラファエラの爆弾発言に言葉を失った。