15. 家出娘、帰郷する

目を覚ましたナディアは昨夜の出来事を嵐のように思い出し、一瞬戸惑った。初心者相手にフロレンシオは容赦なく情熱を発揮し、何度も体を重ねた。窓から差し込む明かりに気付くと同時に失神するように眠りに落ちたことを思い出した。

体を起こすと、股間からどろりとした感触が流れ出しナディアは慌てて側に置かれた布をあててそっと拭った。

ナディアは痛む身体なだめすかして、床に散らばる服を拾い上げる。隣で眠るフロレンシオに、目を覚ます様子はない。

眠ったまま別れを告げる暇もなく彼の下を去ることは、幸せかもしれないとナディアは思い直した。

(フロル、好きだ)

「私のことは忘れてくれ」

(私を忘れないでほしい)

ナディアの口をついて出た言葉は心とは正反対の言葉だった。

無防備に眠るフロレンシオの額にキスを落とすと、ナディアはそっと部屋の扉を後ろ手に閉め、早朝の街を駆け抜けた。しとしとと柔らかな雨が降り注いでいる。

下肢を中心に時折疼くように体を走る痛みが、昨夜の情交が現実にあったことだと告げていた。

ナディアは瞳から滝のように流れる涙をこの雨が隠してくれればいいと願った。

宿舎に着いた時には雨は上がり、朝の柔らかい光が雲の隙間から差し込み始めていた。

ナディアは騎士団の宿舎に戻ると荷物を纏めていく。増えた荷物は王都で手に入れた武器と、アリシアと一緒に買った服、それと初めての恋。大泣きした頬は少し赤くなってしまったが、目立つほどではない。アリシアには別れを告げる手紙をしたためて部屋の扉の下へ滑り込ませた。

(できれば辺境へ帰っても、文のやり取りぐらいはできればいいが)

ナディアは思い出を断ち切るように勢いよく立ち上がると、団長室へ足を向けた。

「ナディです。出発前のご挨拶に参りました」

「入れ」

既にフェリクスは机に向かっていた。

「恩人に礼は言えたか?」

「はい。調べていただきありがとうございました。礼も言えたので、ここへ来た目的は達成できましたし、そろそろ故郷へ戻ろうと思います」

「そうか、道中気をつけて行け。マウリシオに会うことがあれば、フェリクスが宜しくと言っていたと伝えてくれ」

フェリクスは淡々と告げる。

「承りました」

ナディアは居場所をくれたフェリクスに深く一礼すると団長室を後にした。

ナディアは厩からミゲルを連れ出すと、背中に荷物を括りつけた。最後に騎士団の建物を見上げると、ナディアは勢いよく騎乗した。ミゲルも王都での生活が良かったのか、つやつやと毛艶を輝かせている。

「さあ、帰ろうか」

ナディアはミゲルの首筋を軽くなでると、振り向くことなくベネディート領へ向けてミゲルを駆けさせた。

 

 

 

途中の町で何度か宿を取りながら、ベネディート領へと向かう。今までと格好は変わらないのに、男に声をかけられることが多くなり、ナディアはうんざりしていた。

「ベネディート領へ向かうなら方向は同じだし、一緒に行かないか?」

「あいにく連れ合いには不自由していない。声をかけるなら他を当たってくれ」

ナディアは苛立ちを抑えきれず、受け答えがぶっきらぼうになってしまう。

「そう言わないで、一緒に楽しく行こうよ」

「うるさい!」

今まで利用していた安い宿に泊まると、声をかけられる事が多いことに気づく。王都でもらった褒美と給金だけでかなりの手持ちがあったので、結局ナディアはそこそこ値の張る宿を取るはめになってしまった。

柔らかなベッドに沈み込むように寝転がると、ナディアはフロレンシオの事を思い出してしまい涙がにじんだ。

(最近泣いてばかりだな、私は)

移動中や人の目がある所では、気を張っているので大丈夫なのだが、こうして宿の部屋で一人休んでいると、ついフロレンシオを思い出してしまう。

(離れてからこんなに好きだった事に気づくなんて、本当に私は救いようがない)

父がもし病に倒れることが無ければ、結婚などしなくてもよかったのに。だが、結婚に嫌気がさして王都へ行かなければフロレンシオに会うこともなかっただろう。いずれは誰かと結婚していたかもしれない。ぐるぐると廻る思考の海でナディアはいつの間にか眠りに落ちていた。

ナディアは父の容体も気にかかり、最短の日数で辺境への道程を走破した。そしてナディアは無事ベネディート領への帰還を果たした。

懐かしい景色に、ゆっくりとミゲルを走らせる。

屋敷が近付くと、家令のルカスがナディアの姿を目ざとく見つけて玄関から駆け寄る様子が、馬上のナディアからはよく見えた。

「お嬢様、よくお戻りになられました。旦那様が首を長くしてお待ちでしたよ」

「不在の間、変わりはなかったか?」

「それは……」

ルカスは言いにくそうに顔を歪めた。

「父上が倒れことはフェリクス様から聞き及んでいる」

「フェリクス様にお会いになられたのですか?」

「ああ、王都の騎士団で働かせて頂いた」

「それは懐かしい」

ルカスは懐かしさに目を細めた。

「ルカスはフェリクス様を知っているのか?」

「知っているも何も、私をここへ遣わして下さったのはフェリクス様です」

「そうだったのか……」

ナディアは自分のあずかり知らないところで、フェリクスという父の盟友に出会わせてくれた運命に感謝を捧げたくなった。

「父上の様子はどうだ?」

ミゲルを厩へと連れて、世話をしながらルカスに父の病状を尋ねる。

「小康状態を保っております」

「そうか……。馬の匂いを落としてから父上の所へ伺う」

「承知しました。そう言えば、なんだかお嬢様は雰囲気が変わられましたね」

「そうか?私としては家を飛び出した時となんら変わっていないつもりなのだが……」

「女性らしい雰囲気というか、……出すぎた事を言いましたね。失礼します」

途中で顔色を変えたナディアに、ルカスは踵を返すと屋敷の中へと戻って行った。ナディアはルカスの後ろ姿を見送って、再びミゲルの世話を始めた。

(それほど自分は変わってしまったのだろうか?)

人を愛することを知ってしまったら変わらざるを得ないのかもしれない。

懐かしい我が家へ足を踏み入れると、家人達が口々に挨拶を掛けてきた。

「お帰りなさいませ」

「ただいま」

「お湯を用意してあります」

「ありがとう」

ナディアは用意してもらったお風呂に入り、汗とほこりと匂いを洗い流し、せっかくだからとアリシアに見立ててもらった新しい服に着替えてさっぱりとした。

「よし!」

ナディアは気合を入れ直して、父の元を訪ねた。

「ただいま戻りました」

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