ダイアナが宝飾品や絵画の紛失に気づいたのはつい一年ほど前のことだった。当然ダイアナはそれらを買い戻すように指示を出した。盗難されたものであることを知らされた人は、手に入れた品を惜しみながらも返してくれる人がほとんどだった。けれど、代々受け継がれてきた曰(いわ)くつきの品物を手に入れた一部の収集家は、どれほど金銭を積んでも返そうとはしない。
幼い頃に両親を亡くしたダイアナにとって、それらの宝飾品や絵画は両親と自分を繋ぐよりどころだ。
遺品の行方を突き止めたダイアナは、両親の遺品を返してくれない相手のもとから盗みだすことを思いつく。両親に代わってダイアナを育ててくれたコナーの手を借りて怪盗アルテミスを名乗り、これまでにいくつかの遺品を取り戻すことに成功していた。
隠し扉を閉じたダイアナは、執務室の上に積み上げられた書類をげんなりとした顔つきで眺めた。それらを横目に、執務室の隣にしつらえられたクローゼットに向かい、被っていたかつらをずるりと外す。
栗色の髪の下から現れたのは、夜目にも鮮やかな金髪(ブロンド)。
化粧道具を取り出しメイクを落とせば、泣きぼくろが印象的な、匂い立つような女性の姿はすっかりなくなってしまう。
大胆なスリットの入ったドレスを脱いで、簡素なシャツとスカートに着替える。覗き込んだ鏡の中には、二十三歳という年齢にふさわしい女性の姿があった。
目の色は豹(ひょう)の血を引く父親から受け継いだ淡い黄色で、見方(みかた)によっては金色に輝く。豊かな金髪と十人並みの容貌は母から受け継いだものだ。もうすこし美しい顔に生まれたかったという願望がないわけではないが、これといって特徴のない顔はメイク次第で大きく変わる。怪盗という大っぴらにできないことをしているダイアナにとっては、長所といえた。
ダイアナは肘掛け椅子に身体を沈めた。コンラッドが差し出した紅茶のカップを受け取り、机の上に置かれたPCの電源を入れる。
「さて、仕事を片付けましょうか?」
「急ぎのものはこれだけです」
コナーが差し出した書類に目を通し、指示を出す。
ダイアナには怪盗として遺品を取り戻す以外にも、バーリントン伯爵としての仕事があった。
両親が亡くなり、ダイアナ・シェフィールドがバーリントン伯爵を継承したのは若干(じゃっかん)十歳のころだ。父の執事として仕えていたコナーの助けがなければ、これまでやってくることはできなかっただろう。領地の管理や、所有する企業の経営など、ダイアナの小さな肩には多くの人の生活がかかっている。
ため息をつきたくなる気分を堪えて、ダイアナはメールボックスに届いたメールに目を通していく。
「ねえ、コナー。このメールは見た?」
「ああ、それならば私のほうで回答しておきました」
ダイアナの肩越しにディスプレイを覗き込んだコナーは、ダイアナの父といってもいいほどの年齢だ。公私共に長年付き合ってきただけあり、ダイアナの判断を先回りして動いてくれる。
CC(カーボンコピー)で送られたコナーの返信メールに目を通したダイアナは、彼の判断に満足して笑みを浮かべた。
「ありがとう。問題ないわ」
「ダイアナ様、よろしいでしょうか?」
手紙を手にしたコンラッドが声をかけてくる。数年前に新たにシェフィールド家の執事に加わったコンラッドは、コナーの息子であり、怪盗アルテミスとしての相棒だ。あごひげをたくわえたコナーの容貌とは似ても似つかぬコンラッドの姿は、多くの人にかわいいと評されている。
コンラッドから受け取った手紙に目を通したダイアナは顔をしかめた。それらはすべて夜会への招待状だった。社交シーズンの最中(さなか)、ダイアナ宛に届く招待は多い。コンラッドが差し出したのはどれも断るのが難しい招待ばかりだ。
その中でも特に注意が必要なノーフォーク公からの招待状をつまみ上げ、ダイアナはくるくるとカードを手の上で回した。
「お嬢様、そちらの招待は受けておいたほうがよいかと……」
珍しく進言してくるコナーに、ダイアナは問い返す。
「あら、もしかして?」
「はい。ノーフォーク公の屋敷には、旦那様の絵画があるはずなのです」
ダイアナはコナーの言葉に妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。
「だったら、ぜひ参加しないといけないわね」
怪盗アルテミスにとって、次の標的(ターゲット)が決まった瞬間だった。