21. 辺境伯の娘の婚約者

ナディアの怪我は順調に回復していた。少し足はひきずるものの、部屋で仕事ができるくらいには回復していた。熱も下がったので、ナディアは砦から自宅へと場所を移し、駐留している白百合騎士団の為の手配や、戦後の後始末に追われていた。

旧友が近くに駐留していることを聞きつけたマウリシオは、久しぶりにフェリクスと会えることを喜んでいたが、忙しく未だ実現していない。

マウリシオの命の炎が少しづつ小さくなっているのは、今や誰の目にも明らかだった。その日もナディアはマウリシオの寝室を訪ねていた。

「ナディア、そろそろ結婚式の準備を始めろ。俺の老い先も短いんだからいい加減覚悟を決めろ」

「わかりました。それで私の相手はどこにいるんですか?確か契約書ではフェリクス様の御子息のどなたかということですよね?」

「ああ、三人いるから誰でもいいとフェリクスは言っていたぞ」

マウリシオの適当な答えに、ナディアはため息をつきたくなった。

「そんなわけにもいかないでしょう。とりあえず名前と顔くらいは教えてほしいですね」

「そんな面倒くさい事はフェリクスに訊け」

「わかりました!」

ナディアは自棄になりながら、砦にいるフェリクスに会いに出かける支度を始めた。いつもの動きやすいズボンに着替え、部屋を出ようとしたところでルカスに見つかった。

(あちゃー。面倒な奴に見つかったな)

「どこへお出かけに?」

「フェリクス様に会いに砦へ行ってくる」

「まさかとは思いますが、ミゲルに乗って行こうというおつもりではありませんよね?」

「いや、そのつもりだが……」

ナディアが怪我をしてから家人たちは妙にナディアに対して過保護になっていた。ナディアは少々ばつの悪い思いをしながらルカスの質問に答えた。

「まだ怪我が完全に治っていないのに、そのような無茶はおやめ下さい!」

「はぁ、わかったよ。馬車を用意してくれ。それならいいだろう?」

ナディアの言葉にルカスはそれでも首を縦に振らなかった。

「フェリクス様にお会いになるのでしょう?でしたらせめて女性らしい格好をなさってくださいませ。その様なズボンではフェリクス様に失礼です。カミラ!」

ルカスは侍女頭を呼びつけた。

「お嬢様にドレスを着せて差し上げなさい」

「承知しました」

「ちょ、待って」

ナディアはカミラに強引に部屋に連れて行かれ、めったに身につけることのないドレスに袖を通すはめになった。

「何で砦に行くだけなのに、こんな恰好をしなくちゃいけないんだ!」

「子女の嗜みですわ。お嬢様」

ナディアは抵抗するのも段々面倒になって、カミラの指示に素直に従った。ルカスが用意した馬車に乗り、ナディアはドレス姿で砦の門をくぐった。

馬車を降りると、オスバルドが目を丸くして待ち構えていた。

「これはどういう風の吹きまわしですか?」

「ルカスに着るように言われたから仕方なく着ているだけだ」

ナディアは少々ふてくされ気味に答える。

「なるほど。それで何の用事ですか?」

「フェリクス様にお聞きしたいことがある。今はお手すきだろうか?」

「おい!フェリクス様に客人だ、ひとっ走りして呼んで来い」

オスバルドがその辺の兵士に声をかけて命令すると、砦の中へナディアをエスコートし始めた。

「その足じゃ、歩きにくいでしょう?遠慮なく私につかまってください」

「ああ、よろしく頼む」

ナディアがオスバルドと共にフェリクスのいる部屋に着く前に、通りかかった辺境軍の兵士たちに散々からかわれ、ナディアはげんなりとしていた。

「ドレスを着たくらいで、何でこんなに騒がれなければならない?」

ナディアの苛立ちを隠せない様子に、オスバルドが笑った。

「そりゃ、こんな辺境に年頃の美人は少ないですからね。ナディアも普段からそういう格好をしていればもっともてますよ」

「いらん。こんな恰好じゃ佩刀(はいとう)もできやしない。第一私が美人だなんて、目がおかしいんじゃないか?」

「そんなことありませんよ。ナディアは性格こそマウリシオにそっくりですが、外見だけなら母君にそっくりですからね。もっと自信をもってもいいと思いますが」

「外見だけじゃそのうち飽きるだろう」

「尤もですな」

ナディアがオスバルドといつものように軽口を叩いていると、いつの間にかフェリクスの部屋の前へとたどり着いていた。

「ナディアです。よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

中からフロレンシオの声がする。どうやらフェリクスの他にフロレンシオもいるようだ。オスバルドが扉を開けると、予想通りフェリクスとフロレンシオの姿があった。

「これは驚いた! 服装を変えるだけで随分と雰囲気が変わるものだ」

フェリクスはナディアのドレス姿に驚嘆の声を上げた。フロレンシオは機嫌が悪そうにナディアを睨んでいる。

「ありがとうございます。お褒めの言葉と受け取っておきます。実は父から私の結婚相手についてのお話をフェリクス様に相談したくて伺ったのですが……」

「そう言うことなら、私はこれで失礼します」

オスバルドが部屋を出ていくと、フロレンシオも一緒に部屋を出て行こうとする。

「フロレンシオ、お前はここにいなさい」

フロレンシオは嫌そうな顔でフェリクスの言葉に従った。ナディアはフロレンシオに聞かれたくない内容だったが、フェリクスがここにいろと言うのならば何か理由があるのだろう。

「それで、どういう相談かな?」

いつもの厳格な騎士団長の顔ではなく、父の旧友としてフェリクスがナディアに問いかける。

「私の結婚相手は、フェリクス様のご子息のうちのどなたになるのでしょうか?」

ナディアはフロレンシオの視線を意識しつつ、本題を告げた。

「ふむ、マウリシオはなんと言っていた?」

「そんな面倒な事はフェリクス様に訊けと言われまして、こうして参った次第です」

「ナディは……、いやナディアだったな。ナディアはフロレンシオが好きなのではなかったのか?」

突然のフェリクスの発言にナディアは顔色を変えた。フロレンシオも驚いた顔をしている。

「……そうです。それがこの結婚に何の関係が?」

ナディアは思い切って答える。

「大ありだよ。どうせなら好きな人と結婚したいのではないのかね?」

「それはそうですが……、既に決められた許嫁がいるのであれば私は父の指示に従います」

「フロレンシオ、お前まさかナディアにちゃんと言っていないのか?」

フェリクスが怒りの混じった声でフロレンシオに詰め寄った。

「確かに、私が父上の息子であるとは告げていません。ですが、まさかナディアの結婚相手が私たち兄弟だとは思わなかったのです」

フロレンシオはフェリクスの様子にたじたじになっている。

「まさか……」

ナディアはわずかに見えた光明に、叫び出しそうになる自分を必死にこらえていた。

「ナディアの結婚相手にはフロレンシオを考えていたのだが、本当にこんな男でいいのかね?考えなおすなら今だよ」

「ちょっと、父上、余計な事は言わないでください」

フロレンシオが慌ててフェリクスの言葉を遮った。

「どうして、フェリクス様の息子だと黙っていた?」

ナディアはフロレンシオに向き合うと、真剣な表情でフロレンシオに問いかける。

「父の力でこの地位についたと思われたくなくて、騎士団では関係を隠している。だがわざとナディアに隠していたわけではないが……すまない」

ナディアの心は怒りを通り越していた。

「それで、フロレンシオはどうしたいの?」

ナディアの呆れたような口調に、フロレンシオはナディアの前に跪(ひざまず)いた。

「ナディア嬢、どうか私と結婚していただけませんか?」

騎士としての正式な作法に則って、フロレンシオはナディアに求婚した。

「いいよ。ただし隠し事はこれきりに願いたい」

ナディアは承諾の印に右手を差し出す。

「ああ、ナディア愛している」

フロレンシオは差し出した手を取り、その甲に誓いの口づけを落とす。

ナディアはその感触に頬を染めた。

「ごほん、そろそろいいかね?」

フェリクスの言葉に、二人は慌てて姿勢を正した。

「それでは、これで婚約も整ったことだし、せっかくなら私がここにいる間に結婚式を挙げてしまうというのはどうだろうか?」

フェリクスからの提案にナディアは頷いた。

「ナディアはそれでいいのか?」

フロレンシオはあまり準備時間が取れないことに不満そうだ。

「一日でも早く結婚して、父を安心させてやりたい。フェリクス様、よろしくお願いいたします」

「では、その様に取り計ろう」

こうしてナディアとフロレンシオの挙式が決まった。

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