クラウディオはすくすくと成長し、三か月に差し掛かろうとしていた。ナディアもフロレンシオに執務を任せて、自ら母乳を与えてクラウディオの育児に専念している。
フロレンシオも執務の合間にはクラウディオの様子をしょっちゅう見に来ては、ナディアに追い返されていた。
ナディアの心は満たされ、こんな日がずっと続けばいいと願っていたが、ついにその日が訪れる。
マウリシオの病状が悪化し、ベッドから出ることが敵わなくなった。医者に今日が峠だと告げられて、ナディアはクラウディオをつれてマウリシオの病床を見舞っていた。マウリシオと親しくしていた人々も呼び出され、最後の別れの時を過ごしていた。
「本当に、俺は幸せ者だ。きっと戦場で死ぬと思っていたのにベッドの上で、しかも孫の顔まで見ることが出来た。これ以上は望み過ぎってもんだ」
マウリシオの弱弱しい声にナディアは別れの時が近づいたことを感じさせた。
「わかりました。父上が幸せに眠れるように、私は精一杯頑張ります。ですからご心配なさらないでください」
「おまえ、……強くなったなぁ。やっぱり母親になると強くなるってのは本当なんだな」
「そうかもしれません。クラウディオの為にもしっかりと辺境を治めなければなりませんから」
「ルカス……」
側に控えていた家令がベッドの側に歩み寄る。
「ほんとうに今までありがとうな。すまんが、ナディアたちを頼む……」
「いえ、マウリシオ様にお仕え出来て、楽しい日々を過ごさせていただきました。私もそのうちそちらに参ります。それまでは誠心誠意、ナディア様にお仕えいたします」
「ああ……最後まですまん」
ルカスの目には涙が溢れていた。
「フロレンシオ……」
「はい、義父上。ナディアとクラウディオの事はご心配に及びません。私の命を持って守って見せます」
フロレンシオの力強い誓いに、マウリシオは頷いた。
「オスバルド……」
「はい。ここに」
涙を堪えきれずに、オスバルドは声を詰まらせながらベッドの側に進み出た。
「お前に嫁さんを見つけてやりたかったなぁ」
「あなたがしっかりしていないから、そんな暇がなかったことぐらいわかっているでしょう?これからは、ナディアとフロレンシオに任せて、ゆっくりさせてもらいますよ」
「ああ、そうだな……」
マウリシオの閉じた目尻から涙が伝ってシーツに染みを作っていた。
「父上っ!」
マウリシオの声が小さくなり、ナディアはとうとうその時が訪れたのかと叫んだ。
「モニカとクラウディオが迎えに来たみたいだ。ナディア……幸せに……」
マウリシオの声が途切れた。
医者がマウリシオの脈を取り、死亡を確認する。
ナディアは泣き出しそうになる自分を必死にこらえようとしたが、フロレンシオが抱きしめると堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「父上っ……、父上ぇ……」
ナディアの悲痛な叫びに、クラウディオもつられて泣き出してしまう。ナディアはなだめることも忘れて泣いていた。
「あんまり悲しむものではありません。マウリシオ様は幸せだとおっしゃっていたではないですか」
ルカスに諭され、ナディアはようやく泣き止む。
屋敷にマウリシオの死亡が伝えられ、領主の屋敷は悲しみに包まれた。
前辺境伯の死の知らせは瞬く間に領地に広がった。代官所には弔意を表す黒色の旗が掲げられ、喪に服した。