第一章 風変わりな姫君と傭兵王の契約

ヴォルフの脳裏に衝撃が走った。
目の前に凛とした姿勢でたたずむ女性の口から飛び出した言葉に、彼は狼狽を隠せずにいた。ヴォルフは百人余りの傭兵団を率いる身であり、めったなことでは動揺しない。
短く刈り上げられたすこし濃い目の金髪を無造作に掻き、いましがた聞いた言葉が間違いであってほしいと願いつつ口を開いた。
「すまん……、もう一度言ってくれるか?」
「あなたがほしいのです」
やはり聞き間違いではなかったようだ。
彼が傭兵団として請け負っていた契約はちょうど終わったところだった。拠点としているローヴァイン領から最も近いこの町には、酒場や娼館などが立ち並び、独り者の多い傭兵団の団員たちが憂さを晴らすには格好の場所となっている。
ヴォルフは行きつけの酒場で、ひとり静かにグラスを傾けていた。いつもそばに控えている副長の姿も、町についてすぐに団員たちとともに娼館の扉をくぐってしまったため、ここにはない。
テーブルがいくつかとカウンターが一つあるだけの店内は、すでに酔客で賑わっている。そんな場所に突如として現れた年若い女性の姿に、一瞬店の中がしんと静まり返った。
集まる視線を気にすることもなく、彼女はまっすぐにこちらに向かって歩み寄る。
ヴォルフの前で立ち止まった彼女はにこりと唇に笑みを刻んだ。
すっと通った鼻梁と綺麗なアーモンド形をした瞳をした容貌は整っている。だが、どこか硬質で、あまり女性らしいとは言えず、中性的な印象を受ける。
鋭いと言っていいほどの眼光をたたえた瞳は美しく澄んだ水色。白金まじりの金髪は後ろで結わえ上げられ、白くほっそりとしたうなじが顔をのぞかせている。鮮やかな青色に染め上げられたドレスは、丹念な刺繍が施されており、上質なものだと一目でわかる。
すらりとした身体はまるで小鹿のようで、成熟している気配はない。花ならばまだ咲き初めと言ったところか。
傭兵として戦場で剣を振り回しているヴォルフの大柄で逞しい体格とは頭二つ分ほどの差があった。
男ばかりの傭兵団で、目にすることのある女といえば洗濯仕事のために雇っている老婆か、こういった町で欲望を解消するための娼婦くらい。ヴォルフの母も傭兵団が拠点とする領主の館で暮らしているが、あれは女のくくりに入れてはいけないと、彼は心の中で呟いた。
これまでヴォルフの周りにはあまりいなかったタイプだ。
熱烈な言葉とは裏腹に彼女の瞳は凍りついたように冷たい光を宿していた。
(これはベッドへのお誘いだと思ってかかると痛い目に遭いそうだ……。おもしろい)
ヴォルフは心の中でにやりとほくそ笑んだ。
「ベッドへのお誘いならば、間に合っている」
彼女がどのような反応を返すのか知りたくて、ヴォルフはわざと勘違いした風を装ってみる。これで彼女が怒って、この場を立ち去ってしまってもそれでいいと、挑戦的な気分で水色の瞳を見つめた。
「そうでしょうね……。残念ながらそちらの方面のお誘いではありません」
顔色一つ変えることなく、女性はヴォルフの言葉を切って捨てた。予想通り、彼女はそう簡単に挑発には乗ってこない。
「あなたの傭兵団を雇いたいと考えて、います」
「仕事の話なら副長にしてくれ」
普段、仕事を請け負うかどうかの判断は、すべて副長であるヘルムートにまかせっきりだ。
「ヘルムート副団長ではなく、あなたと交渉をしに来たのです。ヴォルフ団長」
男ばかりで酔客が多く、女性の姿がないこのような酒場でも、気後れすることなくまっすぐに自分を見つめてくる女性に興味が湧いてくる。
「なるほど……立ち話ですむようなものではなさそうだ」
(どうやら一筋縄ではいかないらしい)
手ごわい交渉相手が現れたことに、ヴォルフはわくわくと胸が躍り始めるのを感じていた。戦場で強い敵に遭遇したときにも似た興奮が背筋を駆け抜ける。
ヴォルフは立ち上がると、向かいの席の椅子を引いて椅子を勧めた。
「ありがとう」
上品な仕草でスカートを持ち上げ、彼女が席に着くのを見届けてからヴォルフは自分の席に腰を下ろした。
「それで?」
どうやらあちらはローヴァイン傭兵団のことをよく知っているらしい。こちらに有利な条件で交渉を進めるには、情報が不足している。ヴォルフは相手に話をさせることにした。
「ファーレンハイトが、あなたたちの力を必要としています」
(ファーレンハイトとは、また意外な……)
ヴォルフは女神ファーレンを信奉する閉鎖的で小さな隣国の名前を耳にして、嘆息した。実のところ、ヴォルフはかの国のことをあまり知ってはいなかった。
ファーレンハイトと周囲の国との間には険しい山々がそびえ、国交を阻んでいる。ローヴァイン領が属するセルヴァ王国に比べて、国土は四分の一ほどの広さにしか満たない小さな国だと聞く。そのほとんどが山岳地帯で耕作可能な面積は少なく、牛やヤギを放牧しながら生計を立てている者がほとんどだという。
(あの国が俺たちを必要とするとは思えないが……)
ヴォルフたち傭兵は、戦場にあってこそ役に立つ存在だ。他国との交流をほとんど持たず、穏やかな暮らしをしているはずのファーレンハイトが、どうして傭兵の力を必要とするのか。
そんな納得できない思いが顔に現れてしまっていたのだろう。目の前の女性はどこか困ったような、苦笑とも取れる複雑な表情を浮かべていた。
「そう、これまでファーレンハイトはそれほど武力を持たずに済んできました。わざわざ急峻な山道を越えて侵攻しても、得られるものはわずかな耕作地とヤギや牛ばかりです。他国が欲しがるようなものはなにもありませんでした。ですが、事情は変わりました」
語りかけてくる女性のひたむきな視線に、ヴォルフの鼓動がドクリと跳ね上がった。
「もともとわが国には岩塩の鉱山があります。ほんの少し他国に輸出できるほどの量しか採掘できませんが……。けれど、最近になって白金の鉱脈が発見されたのです」
「白金……」
白金はかなり加熱しても溶けにくく、装飾品に使うには加工が難しい金属だ。しかし、魔術の触媒として使えばこれほど効果的に力を変換できるものは他に見つかっていない。さまざまな国が血眼になって探しているが、見つかっているのは僅かばかりで、圧倒的に量が不足している。本当にファーレンハイトで白金が見つかったのならば、各国がこぞってほしがるだろう。
泰然とグラスに入った蒸留酒を口に含んで、ヴォルフは口を開いた。
「そんな話は聞いたことがないが……?」
「このことはまだ公になっていません」
行儀よく座ったままの女性は、瞬きもせずにヴォルフを見つめている。ふいにいまだに彼女の名前さえ知らないことに気付いた。
「それが本当の話だとして、君はいったいどういう立場の人間なのだろうか?」
「これは失礼。私はレオノーラ・ダールベルク。ファーレンハイトの王です」
「そうか……、って王様!?」
聞き流しそうになって、ヴォルフは慌てた。
「……はい」
すこしだけ照れたように頬を染める女性――レオノーラを見つめ、ヴォルフは彼女の言葉が真実なのだと確信する。
(なんだって、王様がこんなところに……)
ヴォルフは頭を抱えたくなった。

   §

まずは傭兵王と呼ばれるヴォルフの関心を引きこむことに成功し、レオノーラは内心でほっと安堵の息をついていた。
いつも王城で話している奔放な話し方ではなく、猫を被った話し方にもいい加減疲れてくる。いつ、ぼろが出てしまうかと、ハラハラしていたが、ここまでは合格だろう。
レオノーラは滲みでる不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしないヴォルフの姿を見つめた。
ヴォルフの姿は話に聞いていたとおりで、彼女が酒場に足を踏み入れた瞬間、多くの客の中から一目で彼だとわかった。
まるで獅子のように鋭く光る瞳は琥珀色をしており、短く刈りあげられた金髪はすこし色が濃い。見上げるほど大柄な体躯を誇り、武人らしい引き締まった身体をしているのが服の上からでもわかった。腰には細身の剣を佩いている。
荒削りな容貌と鋭い目つきとは裏腹に、唇は面白がるように弧を描いている。
(この男を手玉に取るのは難しそうだ……)
それがレオノーラのヴォルフに対する第一印象だった。
レオノーラが隣国の小さな町の酒場まで、直接交渉に赴いたのには理由があった。
鉱脈が見つかってすぐに、レオノーラは鉱山を治める領主に警戒を強めるように指示をしていた。だが、領主と言っても実態は体のいい徴税人で、村人の自衛団くらいしか兵力は持っていない。他国が喉から手が出るほどほしがっている白金の鉱脈を守るためには、力不足は否めない。
そこで持ち上がったのは傭兵を雇うという案だった。
レオノーラは宰相と相談を重ね、隣国のローヴァイン傭兵団に白羽の矢を立てた。
多くの傭兵団が存在するが、野盗崩れの傭兵団も少なくない。そんな中で、ローヴァイン傭兵団の評判は突出していた。一度結んだ契約は決して破ることがないという。
そうして、ファーレンハイトはローヴァイン傭兵団に対して再三、仕事の依頼を送った。だが、契約を一手に引き受ける副団長ヘルムートから、使者が色よい返事を持って帰ってきたことはない。
ファーレンハイトで白金の鉱脈が見つかったことを知ったヘルムス神聖帝国が動き出した、という情報を得たレオノーラは、このまま部下に任せてはおけないと自ら動くことを決意する。
レオノーラが抱える細作からローヴァイン傭兵団の団長ヴォルフの容貌と、現れそうな場所を聞きだし、こうして一人交渉に赴いたのだ。
いまごろ、城ではいなくなった王の行方を捜して、大騒ぎになっているのだろう。いつもとりすました宰相が大慌ていしている姿を想像して、可笑しさが込み上げてくる。
レオノーラは思わず笑みをこぼしそうになり、慌てて顔を引き締めた。
(いまはそんなことを考えている場合ではない。鉱山を、国を守ることができるかどうかの瀬戸際の交渉の場なのだ)
「はあっ……」
ヴォルフは突然大きなため息をついた。
「ここでは話にならない。場所を変える」
「構いませんよ」
レオノーラは立ち上がったヴォルフのあとに続いた。銀貨で支払いを済ませたヴォルフは、すこし淫猥な雰囲気の漂う通りをゆっくりとした足取りで通り抜ける。やがて一軒の建物の前で足を止めた。それほど大きくない田舎の街にしては豪奢な作りをしている。入り口の脇にある赤色の灯りが、ここが娼館であることを示していた。
レオノーラが雇っている細作から、こういった場所で情報交換をすることもあると聞いていたので、それほど驚きはなかった。レオノーラは生まれてこのかた国を出たことがなかったので、なにもかもが目新しい。
興味深く娼館の様子を観察していたのだが、ふと視線を感じて見やるとヴォルフがまじまじとこちらを見ていた。彼は慌てて首を振った。
「ちがう。副長がここにいるはずなんだ。」
「そうですか」
べつに彼がこういう場所を利用していてもかまわないのに、と思いながら館の扉を開けたヴォルフに続く。
受付の男がヴォルフの姿を見つけてにやりと笑った。しかし、次の瞬間うしろに続くレオノーラの姿に目を止めて、怪訝な顔をヴォルフに向けた。
「こりゃ、旦那。ヘルムート様がいらっしゃったんで、旦那もそろそろおいでになる頃あいかと娘たちが騒いでましたぜ。それとも、そちらの娘さんと……?」
「いや……、部屋は空いているか?」
歯切れの悪い様子でヴォルフは空いている部屋を求めた。
「へえ。こちらへどうぞ」
男はなんとなく察したのか、それ以上無駄口をたたくことなくふたりを先導して歩き始める。
細い廊下を進み、優雅な弧を描く階段を登った先で男は歩みを止め、重そうな木の扉を開く。思っていたよりも高価な内装に感心しながらレオノーラは室内に足を踏み入れた。
「ヘルムートを呼んできてくれ」
「承知しました」
ヴォルフが男に金を握らせると、うきうきとした足取りで男は部屋を出ていく。そんな様子を視界の隅に捕らえたが、レオノーラは観察に余念がなかった。
「なにか面白いものでもありましたか、王様?」
「王様はやめてくれ。レオノーラでいい」
思わずいつもの口調で答えてから、ハッと気づく。
「そっちが本当の話し方なんだな」
「まあ……そうだ」
取り繕うのを諦めたレオノーラは視線を逸らしながら頷いた。ここに乳母のフリーダがいたならば、ぼろを出すのが早すぎると、叱られるであろうことは想像に難くない。
「さすがに呼び捨てにはできないので、姫さんと呼ばせてもらおう」
「ああ、それでいい」
ヴォルフは部屋の隅に置かれたソファをレオノーラに勧めた。
「それで、期間と報酬は?」
「期間は二年。報酬は前金として金貨一万、契約の終了時にもう一万」
二年もあれば、国民たちから兵を募集して使い物になるくらいまで訓練できるだろうとレオノーラは考えていた。けっして裕福とは言えないファーレンハイトが、一万もの金を捻出するのは一苦労だった。それでも、国の将来の為に、白金の鉱山は守るべき価値があり、金一万以上の利益を生み出してくれるはずだ。
「ふうん……」
ヴォルフはうなるような声を上げたきり、目を閉じると考え込んでしまった。
やがてレオノーラが沈黙を気詰まりに感じ始めたころ、部屋の扉をノックする音が大きく響いた。
「入れ」
ヴォルフが短く命じると、ゆっくりと扉が開く。
扉の向こうには頬に傷跡のある壮年の男性が立っていた。
「ヴォルフ、どういうつもりだ?」
語気も荒く男性が部屋に入ってくる。久しぶりの自由な時間を邪魔された副団長ヘルムートの機嫌はかなり悪い。
「ヘルムート、こちらはファーレンハイトの王、レオノーラ・ダールベルク」
「姫さん、これが俺の副官、ヘルムートだ」
ヴォルフの紹介はあまりにも直球過ぎた。
「なっ……、本物か?」
「そうか、たしかに本人だとここでは証明できないな……。考えていなかった」
ヘルムートに指摘されて、レオノーラは自分の身元を証明する手立てがないことに気づく。
「疑うのならば、ファーレンハイトへ来てもらえば証明できるが……」
おずおずと口を開いたレオノーラにヴォルフが加勢する。
「嘘ならすぐにばれるだろう。わざわざ王だと名乗る利点がない」
「それはそうだが……」
ヘルムートは納得がいかない様子で、レオノーラの顔を不躾に見つめた。
「確かにファーレンハイトからはなんどか仕事の依頼があった。だが、それほど差し迫った様子もなかったし、なにより報酬の面で条件が折り合わなかった」
「二年の契約で、前金として金貨一万、契約終了時にもう一万だと」
「それならば……折り合わないこともない、ですが……」
ヘルムートの血のように赤い瞳がじっとレオノーラの表情を探っていた。
「ヴォルフ殿にはすでに伝えたが、わが国で新たに発見された白金の鉱脈の防衛を頼みたい」
「白金っ!?」
ヘルムートはすっとんきょうな声を上げた。目の色を変えてレオノーラに詰め寄る。
「本当なのですか?」
「まだ調査中だが、かなりの埋蔵量を見込んでいる」
レオノーラは頷いた。
(そういえば、これがあったな……)
ふと試験的に採掘した白金の欠片を持っていたことを思い出し、レオノーラは懐から銀色に輝く枝状の結晶を取り出した。包んでいた布を取り払うと、ヘルムートが息を呑んで見つめていた。
彼は鼻息も荒く近づいた。
「触っても?」
「もちろん」
レオノーラは親指ほどの大きさの白金を差し出す。
おそるおそるといった風にヘルムートは白金の結晶をつまみ上げた。結晶をゆっくりと手のひらでで転がしつつ眺める。
「使ってみればいい」
「よろしいのですか?」
ヘルムートは少しためらっていたが、手の中の煌めきに逆らうことができず、白金に向かって魔力を込めた。
途端に白金がいっそう鮮やかな輝きを放ち、手のひらに炎が宿った。
「これは……すごい。指の先ほどの魔力しか込めていないのに……」
堂目していたヘルムートは炎を消すと、レオノーラに結晶を差し出した。
「この白金の優先的な買い付けの権利をいただきたい」
レオノーラは白金の結晶をヘルムートの手から取り上げると、布に包んで懐へしまいこむ。
「おいおい、商売でも始める気か?」
ヘルムートの様子を、ヴォルフが苦笑しながらたしなめる。
「お前だって見ただろう? これほど変換効率のいいものはそう見つからない! この白金が使えるのであれば、どれほど魔術の行使が容易になることか!」
ヘルムートは、今度はヴォルフに向かって詰め寄った。
レオノーラは興奮をあらわにするヘルムートの様子を、無理もないと静観していた。
自らの内に溜めた魔力を魔術に変換して行使する者を魔術師と呼ぶ。魔力を変換するための触媒として金属や宝石が使われる。そしていまだ白金ほど効率よく魔力を変換できる触媒は見つかっていない。かなり魔力が強い者であれば、触媒の力に頼ることなく魔術を行使できるが、触媒を使う方法に比べるとどうしても威力が落ちてしまう。故に魔術師は自らの力を最大限に発揮できる材料を常に探し求めているというわけだ。
交渉の場であるというのに、そんなことにはお構いなしにヴォルフはヘルムートに尋ねた。
「俺は魔術を使わないからよくわからんが、そんなに違うのか?」
「当たり前だ! お前にナイフを持って戦えというようなものだぞ」
「なるほど」
確かにヴォルフの力を生かすには大剣の方が向いているだろう。剣を嗜む者ならではのたとえに、レオノーラは笑いを堪え切れずに噴き出した。
「ふっ」
「ええい! お前が口を出すと話が進まん」
なかなか進まない交渉に、ヘルムートが痺れを切らした。
「よいよ。ローヴァイン傭兵団に優先的な購入権を与えよう」
「本当ですか!」
レオノーラの宣言にヘルムートは喜色をあらわにする。
「それくらいで傭兵王を抱えるローヴァイン傭兵団を雇うことが叶うのならば、安いものだ」
おかしさのあまり目じりに滲んだ涙を拭いながら、レオノーラは答えた。
「では、契約を!」
「ちょっと待て!」
契約を交わそうとするヘルムートの声に、急に真面目な顔つきになったヴォルフの声が重なる。
「なんだ? せっかく交渉がまとまりかけたのに」
ヘルムートは深紅の瞳でヴォルフを睨みつけた。
「魔術を使うお前はその条件で納得しているのだろうが、俺は納得できない」
「なにが不満だ、ああん? いつも交渉は俺に任せっきりで、なにもしないくせに……」
ヘルムートはとなりにいるヴォルフに向かってすごむ。
「ひとつ、条件がある」
ヴォルフはヘルムートの態度をものともせずにレオノーラを見つめていた。
(あとひと押しで、彼は落ちる。ならば、どんな条件であろうと構うものか)
「なんなりと」
レオノーラは頷いて先を促した。
「姫さん、あんたがほしい」
「ヴォルフ!!」
ヘルムートは顔色を変えてヴォルフを怒鳴りつけた。
「それは性的な意味でということか……?」
「もちろんだ」
予想外の要求にレオノーラは戸惑っていた。
「ヴォルフ、いい加減にしろ!」
「お前は黙ってろ!」
「だが!」
ヘルムートの抗議の声をヴォルフはひと睨みして黙らせる。
「お前とファーレンハイトの使者との間では、交渉はまとまらなかったのだろう? 交渉に俺を巻きこんだのだから、俺の好きなようにやらせてもらう」
それまでややあきれつつも、ふたりのやり取りを見守っていたレオノーラがおずおずと口を開いた。
「お前も物好きな男だな…… 」
彼が普段付き合っているであろう女性たちとは、比べるべくもないだろうに。レオノーラは自分の姿が男性にとって魅力的ではないことを自覚していた。メリハリに乏しい姿、男だと言っても通用するようなきつい眼差しと容貌。
王としての務めを果たす中で、レオノーラは周囲から女性としての役目を求められたことはない。そんな自分を抱きたいと言うヴォルフは、さぞや特異な性癖の持ち主に違いない。レオノーラはそう己を納得させて彼に向かい合った。
「私などの身体でよければすきにするがいい。抱き心地までは保証できんが……。だが、その分はきっちりと働いて返してもらうから覚悟しろ」
「やっぱり、姫さんは面白いな。普通はそんな身売りみたいなことは嫌がるだろうに……」
ヴォルフは自分から申し出ておきながら面白がっていた。
「政略結婚となにが違うのだ? 契約に基づいた関係に変わりはない。お前たちは私の身体と報酬と白金の購入優先権を得る。私はローヴァイン傭兵団という守りの手札を手に入れる。実に意義のある取引だろう?」
「本当にこのような条件でよろしいのですか? はっきり言って、ヴォルフの条件はまともじゃない。それほどまでにご自分を犠牲にする理由があるとは思えません」
それまで黙っていたヘルムートが口を挟む。
「おいおい、ヘルムート。お前はどっちの味方なんだよ」
「それはもちろんローヴァイン傭兵団の味方だ。ったく、こんな下衆な条件で仕事を受けるのは初めてだ」
ヘルムートは眉根を寄せて毒づく。
「異論がないのであれば、契約を」
レオノーラはヴォルフに向かって腕を差し出した。
にやりと口の端に笑みを刻むと、ヴォルフは彼女の腕を引き寄せる。
「ローヴァイン傭兵団の長、ヴォルフはファーレンハイトの王、レオノーラと契約をここに結ぶ。我ら傭兵団はファーレンハイトの王の求めに応じ、二年の間、彼の国を守ることを誓う。その見返りとして、ファーレンハイトは金貨合わせて二万枚の支払いと共に、採掘された白金の優先的な購入権を傭兵団に与えるものとする。また王レオノーラは二年の間、我ヴォルフに恋人のように身体を与えるものとする。契約の条件はこれで間違いないな?」
「承知した。きちんと避妊してくれるのであれば、問題ない」
レオノーラが諾の返事を口にした途端、ヴォルフはレオノーラの身体を引き寄せ、腕の中に抱き込んだ。
「では、契約だ」
レオノーラが契約の魔術を発動し、眩い光がふたりを包む。
それぞれの右腕に契約の紋章が魔術によって刻まれていく。契約を違えた場合、この紋章が発動し、代償としてその腕を切り落とすだろう。契約の魔術はそれほどの重みを持って結ばれる。契約が条件どおりに履行されたとき、その紋章は力を失い消える。
それが契約の魔術の絶対的法則だった。
レオノーラは袖をまくって、肌に刻まれた緋色の紋章を指でなぞった。手首から肩にかけて蔦が絡まりあうように模様を描いている。
ヴォルフの右腕にも同じ紋章が刻まれているはずだ。
彼の右腕に視線を投げかけていたレオノーラは、同じように腕を眺めていたヴォルフと視線がぶつかり合った。
「ここまで束縛の強い契約魔術は初めてだ」
ヴォルフはレオノーラの顔を見つめてにやりと笑った。
こうしてレオノーラとヴォルフの間に契約は結ばれた。
「ファーレンハイトへ向かうのは明日でいいな?」
ヴォルフとの間に距離をとって、レオノーラは彼の顔を見上げた。
「ああ、今日はもう遅い。宿は取ってあるのか?」
「いや、こうも上手く事が進むとは思ってもいなかったのでな……。この町には着いたばかりで、宿は決めていない」
ヴォルフに問われ、レオノーラはふとまずいのではないかと思い始めた。
「この時間だと、見つからないでしょうね」
「そうなのか?」
ヘルムートに言われてレオノーラは肩を落とした。
自分で旅をするのは初めてで、勝手がよくわからない。勢いよく国を飛び出してきたものの、早速問題にぶつかり当惑する。
ヴォルフがするりと彼女に近づいた。レオノーラの顎に指を伸ばし、顔を上げさせる。琥珀色のヴォルフの瞳が彼女の視線を捕らえた。
「なんならここに泊まってもかまわないぞ。俺と同じベッドでもよければな?」
顎を掴んでいるヴォルフの指に手をかけ、振り払う。
「契約の履行には、ちょっとばかり気が早すぎると思わないか?」
振り払ったときに触れたヴォルフの大きな手のひらとがっしりとした指先の感覚に、レオノーラはなぜだか鼓動が大きく跳ね上がるのを感じた。
「身体の相性を早めに確かめておくのは大事だと思わないか……?」
ヴォルフは指を外されたにもかかわらず、今度はレオノーラの頬に指を這わせた。彼は意図的に顔をレオノーラの耳に近づけ、耳元に囁きかけてくる。
急に色気を漂わせ始めたヴォルフの態度に、レオノーラは戸惑った。彼が自分の言葉にレオノーラがどう反応するのかを試していると、彼女の直感は告げていた。
「私は疲れているんだ。お前ならば相手に困るということはないだろう。誰かのベッドに潜り込んだとしても、 私は気にしないぞ」
再び伸ばされた手をレオノーラはすげなく振り払う。
「つれないな……」
「私がここにいることを忘れていないか?」
機嫌の悪そうな低い声がヘルムートの喉から発せられた。ヴォルフの首に腕を回して捕まえると、ヘルムートは出口へ彼を引きずっていく。
「別に忘れていたわけじゃない」
「お前の部屋は用意させてある」
ヘルムートはヴォルフに対するぞんざいな口調をガラリと変えて、レオノーラに対して丁寧に話しかけた。
「姫様、よろしければこちらの部屋をお使いください。まあ、こんな場所でもよろしければ、ですが」
「ひとりで眠らせてもらえるのなら文句などあるはずもない。ありがたく使わせてもらう」
レオノーラは満足げに笑った。
「ヴォルフ、行くぞ」
「へいへい」
渋るヴォルフを引きずりながら、ヘルムートは部屋を出た。
扉を閉めた瞬間、ヘルムートは顔から表情を消した。不穏な空気を感じたのかヴォルフは黙ってあとに従う。
ヘルムートはしばらく廊下を進み、同じ階にあるヴォルフのために用意された扉をためらうことなく開いた。
誰もいないその部屋は、先ほどレオノーラと交渉を行っていた部屋とは随分と雰囲気が異なっている。いかにも娼館といった淫靡な空気が漂っていた。
ヘルムートはヴォルフの大きな身体を突き飛ばすようにして部屋に押し込むと、自分もそのあとに続いた。後手に扉を閉め、足音も荒く部屋の隅に置かれた椅子に腰を下ろす。そして、ヘルムートは渋い顔で、ヴォルフを睨みつけた。
「ヴォルフ……、本気なのか?」
「ああ。きちんと契約だって交わしただろう?」
ヴォルフは完全に事態を面白がっている。
ヴォルフの父親に目をかけてもらっていたヘルムートは、ヴォルフを自分の弟分のように思っていた。自分が育ててもらったようにヴォルフを育て、戦場で生き残る術を伝えてきた。
ずっとそばで彼を見守ってきたヘルムートには、ヴォルフの悪い癖が出てしまっていることに気づき、失望のため息を禁じえなかった。
父親から受け継いだ領地を維持するために傭兵団を組織し、外国へその戦力を売ることで収入を得て領地を守ってきたヴォルフは、剣の腕も立ち、周囲からの信頼も厚い。けれど、戦場を生き延びてきた者の多くに見られるように、戦場でしか生きている実感を得ることができなくなっていた。
戦場ではない場所では、退屈を紛らわせるなにかを探して、享楽的な生活を求めてしまう。
たいていは、女性と付き合うことで気を紛らわせていたようだが、ヴォルフが心を動かされたようには見えなかった。ヘルムートは無駄とは知りつつも、忠告を口にした。
「相手は仮にも一国の王だぞ。遊び相手にするにはリスクが高すぎる」
「っは。いまさらだな。契約を止めなかったお前にも責任はあるからな」
ヴォルフはヘルムートの忠告を笑って受け流す。
「あのなぁ、確かにあの国の白金に目がくらんだというのは認める。だからって、姫様の身体まで契約条件に入れるなんて、常軌を逸しているとしか……」
「あの国とは、これまで付き合いがないんだ。相手を試すにはちょうどいいと思ったから、おまえも止めなかったんだろう?  同罪だ」
ヴォルフは小さなテーブルの上に置かれたデキャンタから、琥珀色の液体をグラスに注いでヘルムートに手渡した。
「それに……、意外と姫さんと遊ぶのは楽しそうだ」
なにを思い浮かべたのか、ヴォルフの唇は弧を描き、唇をペロリと舐めて湿らせる。
「ほどほどにしておけよ?」
無駄な忠告になると知りつつも、ヘルムートは渡されたグラスを口に運んだ。喉を通り過ぎた蒸留酒が胃のあたりでかっと熱を生み出す。
「じゃあ、俺は部屋に戻る。あとでフィーネが来るはずだ」
ヘルムートは娼館一の売れっ子の名前を告げる。
「さすが、俺の副官だ。よくわかってる」
上機嫌でグラスを傾けているヴォルフを横目に、ヘルムートは部屋から退散する。
「なかなか、退屈せずにすみそうだ……」
ヴォルフは宙に向かってグラスを掲げた。

   §

「お嬢様、朝ですよ」
翌朝、レオノーラは娼館の下女に起こされた。見慣れた天井とは異なる景色に、一瞬ここがどこなのかわからなくなる。
(ああ、ローヴァイン傭兵団と交渉するために、セルヴァ王国に来たんだった……)
慣れない移動に疲れ、脱いだドレスを片付けることもなくベッドにもぐりこんで以降の記憶はない。
レオノーラは眠い目を擦りながら、ベッドを抜け出す。
王と言っても小さな領土しか持たない貧乏国の君主でしかないレオノーラは、身の回りのことはひとりでできるようにしている。
上客を泊めるために用意されていたのであろう。ベッドの寝心地は快適だった。
くしゃくしゃになってしまった髪を、下女に手伝ってもらいなんとか見られる格好に整えると、昨日着ていたドレスにもう一度袖を通す。
(身体一つで飛び出してきてしまったからなぁ……。なにか着るものを調達しよう。あとは大勢で移動するなら馬も必要だな)
レオノーラは決意すると、ローヴァイン傭兵団が待っているという店の裏口に急いだ。そこには顔見知りとなったヴォルフ、ヘルムート以外にも数名の傭兵らしき姿があった。
「おはようございます、姫様」
艶々とした顔で挨拶をしてきたのはヘルムートだ。
「おはようございます」
ヘルムートに挨拶を返したレオノーラは、ヴォルフの顔色の悪さに気づく。
「どうかしたのか? 顔色が悪い」
「いいや……なんでもない」
明らかに寝不足とわかる疲れた顔で、ヴォルフはレオノーラを見下ろしている。ふと甘い香りが彼から漂ってくる。
女性の残り香だろうか。
昨夜はほかの女性を抱いても気にしないと言ったものの、やはり他の女性を抱いたのだ、と思うとレオノーラの胸に若干の失望がよぎる。
(私に言い寄っておきながら、結局は誰でもいいのか……。別に嫉妬しているわけじゃない……)
レオノーラは胸に湧き上がったもやもやとした感情が形になる前に否定し、己に言い聞かせた。
「姫様、私は一度傭兵団に戻り、部隊を連れてきます。それまでの間、ヴォルフと町でも見物しながら待っていてもらえますか?」
「……ああ、かまわない」
「では。ヴォルフ、契約者の安全確保は最優先だからな!」
渋面を作っているヴォルフに、ヘルムートはピシリと言い放ち、仲間を連れてその場を離れた。
ふたりきりになると、レオノーラはなんとなく気詰まりを感じて、ことさら快活に振舞うように心がける。
「すまないが、いくつか購入したいものがある。案内を頼めるか?」
「ああ……」
ヴォルフは低い声でぼそりと返事をする。レオノーラは彼を待つことなく歩き始めた。
「動きやすい服と、馬を買いたいのだが」
「馬!? ちょっと、姫さん。この町にはどうやって来たんだ?」
それまでずっと不機嫌な低音だったヴォルフの声の調子が変わった。
「いや、普通に空を飛んできたんだが……、変だろうか?」
ファーレンハイトの王都の外れの人目につきにくいところまでは徒歩で移動し、飛行魔術で空を飛んできたレオノーラだったが、あきれたようなヴォルフの表情を見て不安になる。
「飛行魔術を使えるのか……。どおりで、宿を取っていないはずだ。馬を使ってきたのならまず馬を預けなきゃいけないからな」
「ああ。ひとりならば、飛んだほうが早い。だが、傭兵団と行動を共にするなら馬が必要になるだろう?」
「……そうだな」
なげやりな感の漂うヴォルフは放っておいて、レオノーラは騎獣商を探してきょろきょろと辺りを見回した。
「馬ならこっちだ」
ヴォルフが先にたって通りを歩いていく。陽が高くなるにつれて、行き交う人も増えていた。ヴォルフの歩く速度が早く、レオノーラは小走りで追いつこうとするが、歩幅の差はいかんともし難い。
徐々に遅れ始めたレオノーラに気づいたヴォルフは、彼女の手を掴んだ。
「はぐれたらまずいだろう?」
「そうだな。感謝する」
レオノーラは彼に手を引かれるままに進んだ。程なくして、騎獣を扱う商人の店にたどり着く。柵の中には何頭かの馬が放たれていた。
ヴォルフはなにも言わずに、レオノーラの様子を見守っている。よさそうな馬に目をつけたレオノーラは、早速交渉に取り掛かった。
「商人殿、あの青毛はいかほどだ?」
全身が真っ黒な馬を指差しながら、レオノーラは商人に問う。
「あいつは気性が荒い。お嬢さんにはちぃとばかり、荷が勝ちすぎているんじゃないかと思うが……、ほしいというのならば金貨十二枚でどうだ?」
壮齢の商人はニヤニヤと笑っている。
(おそらく、甘く見られているのだろうな……)
彼女も表情を読ませないように顔に笑みを張り付かせた。
「あいにくと金貨の持ち合わせがない。これでも……いいか?」
レオノーラは持っていた紫水晶の玉を商人に差し出した。商人は疑い深い顔つきで、レオノーラの手のひらに乗せられた親指の先ほどの玉をつまみあげた。太陽の光に玉をかざして眺めていたが、次第に顔色が変わっていく。
「お嬢さん、あんた……これ!」
白金にはずいぶんと劣るものの、魔術に使える宝石としてはなかなか質が高い。素材を買い取ってくれる店に持ち込めば、最低でも金貨十枚ほどにはなるだろう。
「いいだろう。この玉と青毛を交換だ」
商人の答えにレオノーラは笑って頷いた。
取引を終え、馬の手綱を引いてヴォルフのところへ戻ったレオノーラの顔は、無事移動の足を手に入れることができた喜びにほころんでいた。
気性が荒いといわれていたわりには、青毛はおとなしくレオノーラのあとをひょこりひょこりと着いてくる。
黙って成り行きを見守っていたヴォルフは、寄りかかっていた柵から身体を起こし、レオノーラと馬に近づく。
「よく見えなかったんだが、なにで支払った?」
「ああ、これだ」
レオノーラは胸のあわせから小さな袋を取り出し、その中から先ほど商人に渡したものよりも、幾分か大きな紫水晶の玉を取り出した。
「これ、高いものなんじゃないのか?」
「どうだろう? そんなにはしないと思うが……」
ヴォルフはじろじろと玉を眺めていたが、レオノーラの返事を聞いてあきれ返る。
「あのなぁ……。姫さんが非常識だってことはよ~くわかった。こんなもの持ってるなんて知られたら、たちまち物取りに身包みはがされるぞ。大事にしまっとけ」
ヴォルフはレオノーラの手を包むようにして玉を隠させる。
レオノーラは無用心だったかと、内心では反省していたが、表情にはあらわさなかった。
「次は着替えだったな」
ヴォルフがレオノーラの手を引き、レオノーラは青毛の手綱を引きながら、一行は古着屋へと向かった。
「姫さんは、古着じゃ不満かもしれないが、仕立てている時間はねえ。ファーレンハイトに着くまでの二、三日分あれば足りる。適当に動きやすそうな服を選べばいい。た・だ・し、あの玉で支払うのはやめろ」
少々世話焼きな母親のような口ぶりで、ヴォルフは注意を並べ立てる。
「わかった、わかった」
レオノーラはヴォルフの剣幕に気圧されつつ、ひとりで古着屋に入った。馬はヴォルフが見ていてくれるというので、甘えることにする。
動きやすそうなドレスと、男物のシャツとズボンを二着ほど試着して購入を決めた。ヴォルフに言われたとおりに、今度は銀貨で支払いを済ませる。
ついでにその場を借りて着替えると、レオノーラは店の前で待つヴォルフに合流した。
「姫……さん……」
すっかり出で立ちを変えたレオノーラにヴォルフは目を瞠った。
「おかしいか?」
(店内で着替えたときに姿見で確認したときは、それほど悪くないと思ったのだが……)
丈の短いドレスの下に同じ色のゆったりとしたズボンを合わせている。その服装は凛々しいレオノーラの顔立ちによく似合っていた。
「……いいや。準備が終わったのなら、あいつらと合流するぞ。そろそろ到着している頃だろう」
ヴォルフは愛想のない口調で言い捨てると、レオノーラの手を掴む。
「はい!」
レオノーラは元気よく返事を返し、ヴォルフのあとに続いて歩き出す。右手をヴォルフに引かれ、左手に買ったばかりの青毛の手綱を引いて、町の中心部を抜ける。
町の外れまで移動すると、土埃を巻き上げながら、移動する一団が視界に飛び込んできた。百人には満たないほどの集団が馬を駆り、荷馬車を引きながら一糸乱れぬ隊列を組んで近づく。
先頭に見覚えのある人の姿を見つけ、レオノーラは顔をほころばせた。
小さかった姿が見る間に大きくなってレオノーラたちに近づく。
「ヘルムート殿!」
男らしい精悍な顔に笑みを浮かべている副団長の姿は、頬に傷があることを差し引いてもかなりの男前だとレオノーラは思う。
「お待たせいたしました。ローヴァイン傭兵団、総勢八十名参上いたしました」
レオノーラがふと隣を見やると、整然と並ぶ傭兵たちをヴォルフが誇らしげな眼差しで見つめていた。そして傭兵たちの視線もまた、ヴォルフへの尊敬を含んでいる。
ヴォルフが手を上げて注意をひきつけると、あたりのざわめきはさっと静まる。
「俺たちの新しい雇用主、ファーレンハイトのレオノーラ王だ。わかっているとは思うが、くれぐれも失礼のない様に頼む」
「おうっ!」
威勢のいい返事がそこかしこから上がった。
「レオノーラ・ダールベルクだ。とりあえずはファーレンハイトまでの道中、よろしく頼む」
不満や戸惑いの声はどこからも聞こえない。非常に統率の取れた傭兵団の様子に、レオノーラは知らず知らずの間に浮かべていた笑みを深くする。
「出発する!」
ヘルムートの掛け声に、傭兵団はきびきびと動き始めた。

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